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重度訪問介護で平和を作る パート11 ~公共交通機関に乗り続けて~  安積遊歩

重度訪問介護で平和を作る パート11   ~公共交通機関に乗り続けて~ 

安積遊歩





札幌の公共交通機関は、バスと地下鉄とJR。ステイホームになる前はよく乗ったが、ここ4ヶ月はまったく乗っていない。日々、公共交通機関を使っていると、絶えず注がれる差別の眼差しやヘイトスピーチをいちいち気にしていたら、外には出られないという覚悟がある。

しかしそれが日常となってくると、覚悟していること自体も忘れて外に出るようになる。そしてバスに乗ろうとしたそのとき突然、「予約してたの?」とか「連絡聞いてないけど」と言われることがよくあったし、今もある。

バスに乗ろうとするとき、「時間がかかるから」という理由で、私たちは一番最後に乗せられるし、一番最後に降ろされる。だから外出時には、「間に合わないかも」と思いながら、それでもなんとか走って間に合わせるようなことはしない。いつもたっぷり時間をとっているし、その乗りたいバスに間に合わなければ次のバスを待ったり、別な方法を考えたりする。

そのうえ、私は介助者と手動車椅子で外出するから、彼らの慣れと力量も一瞬だが考慮する。たぶん、介助者が慣れているか慣れていないかで、私の身体の緩み度が違う。そして介助者もまた同じ気持ちだろう。

天候も重要だ。曇っていれば、自分の雨具だけでなく介助者の雨具も気にしなければならない。小雨で、慣れている介助者のときは、「傘持ったから大丈夫」と言われれば、まあいいかと思って外に出る。でも、私が使う傘だけを持ち、「自分はこれくらいならどうってことないから」と言って、濡れながら行こうとする介助者もいる。そうなると私のほうが心配になるので、簡単に「まあいいか」とだけ思って出かけることはできない、ということを若い介助者との関わりのなかで学んだ。

とにかく、外に出るということだけでも、いろいろと考えなければならないことが多い。そのうえ、バスの運転手に「連絡」や「予約」という言葉を突然言われると、心臓が一瞬ぎゅっと鷲掴みされるような、その瞬間、突然頭突きをくらったような衝撃がある。その衝撃のなか、ただちに「連絡や予約をしろと言うほうがおかしい。公共交通機関なのだから、連絡や予約をしなくていい。もしそれでもまだ言うのなら、家の前まで迎えに来てください。予約をするならタクシーと同じですものね」と真顔で言ってみる。そうすると、それ以上の嫌味を言われることはほとんどない。

ただ、あるとき、絶対に乗せないという運転手がいたので、あまりに悔しく、本社に電話したことがあった。「予約しないと乗せない」というルールを作っているのか問いただすと、「それはないが、リフト付きのバスがまだ7、80%しかないので、それに乗っていただけるよう連絡をしてもらっている」と言ってきた。わたしはすぐに「リフトが2、30%にしか付いていないことは了解の上で乗っている。だいたい、以前はリフト自体が全くなかった頃から私たちは運動をして、ここまで車両を増やしたのだ。いまさら今度は『リフトのあるバスをまわしてあげたいので』と言われても、例えば出がけにお腹が痛くなったとか、急にそのバスに乗れなくなるということはあるわけで、そうなったらそれは自分の責任だから、なんとか考えるけれど、それ以前にバスに予約して乗るということ自体、そのバスに都合をあわせなければならない。そんなことさせられたら、公共交通機関を使う意味がなくなるのだ」と、よく話をすると彼は一応謝ってくれた。

それ以外にももう一度、ひどい対応をされたことを書く。
バスを降りながら、「疲れたね、早く帰ろう」と言って振り返ったら、若い女性の介助者にぴったり体を寄せるようにして私の頭を指差し、「この人の名前を教えなさい」と運転手が言っていたのだ。若い介助者は困ったように体を離そうとするのだが、かなりしつこく迫っている。私が驚いて大声を上げて「名前を聞くのなら本人に聞きなさい!」と言うと、ようやくびっくりしたように私の方を見てきた。
なんと手には私の名前を書き取ろうと、ペンとノートも持っている。
「人に名前を聞くのなら、まず自分の名を名乗るのが先でしょう。あなたはなんと言うのか?」と聞くと、一応名乗りはしたが、今度は私の電話番号まで聞いてきた。

いちいちバスに乗る客に名前と電話番号を聞くと言うのは、あまりの非常識である。さらに言えばヘイトスピーチとも言える。それでも気を取り直して「あなた方があまりにひどい対応を取るから、改めて本社に出向き交渉しようと思っていたところだったのでいいですよ。電話番号も言いますから、ちゃんと上司に伝えなさい」と言った。彼の手が私の電話番号を書き取りながら震えているのが見えて、さらに不快感は募った。

差別をされるのは、本当に辛い。
しかし、差別をしてくる人たちのどれだけが、自分が差別をしていることに気が付き、傷付いているのだろうか。

たぶん、百歩譲って多少気が付いてはいても、自分が差別していることで、私も自分自身も傷付いているという自覚はまったくないだろう。なぜならバスの運転手も効率を求められ、大量の客を時間通りに目的地まで運ぶことを迫られ、評価され、それができないと傷付けられる。

私が小さい頃には、バスには車掌さんが乗っていた。バスの運転手は客を安全に目的地に運ぶ、つまり運転することだけが仕事だった。客との対応や、お金の収集、つまり接客の部分は車掌さんの仕事だった。
それが私が10歳前後の頃からワンマンカーという名のシステムとなった。ワンマンカーによって運転手たちは運転以外の仕事をするようになった。安全運転をするということだけでも十分に疲弊するにも関わらず、時間通りに着かなければ客からも上司からも怒られる。そして、都市部では障害を持つ私たちへのサービスもまた仕事として担わされるようになったのが、ここ数十年くらいのこと。

私は車掌さんがいた時代、車椅子の友人が車掌さんに抱っこされてバスの乗降をしていた写真が新聞に載っていたのを覚えている。車椅子の人がバスを使おうと思うことは、それだけでも革命的な時代だった。だから、バス停で手をあげていた障害を持つ人に介助者はもちろんいなかっただろうから、驚いて車掌がバスから飛び出してきて、彼に手を貸し乗せてくれた、という記事だ。

しかしその後、本当に残念なことに、バスの中から車掌は姿を消し、運転手と私たちはリフトが出来てもなお、分断されてしまうほどの効率至上主義が蔓延していったのだった。

だから私は運転手の差別的な態度に対抗し続けるだけではなく、ある日、本社に要望書を持って赴いた。札幌市内の私鉄バス会社2社とJR駅に対して交渉を試みたのであった。

ところで長い間アメリカでは、黒人たちは同じバスには乗れても、後ろの席にしか彼らの席 はなかった。白人が全てのルールを作るという権力を握り、黒人はそれに従うしかなかった。ただ、肌の色が違うというだけで自分の乗りたい場所に乗れなかったのである。

私たち車椅子使用者もまた、バスの中で車椅子ごと乗れる場所が決まっているので、運転手はそこを確保するためにも動かなければならない。そしてそれは、確かに彼らにさらなる過重労働を強いる。

しかし、もしかしたら車椅子に乗っている私たちもまた、自由に席を選びたいと思っているかもしれないという想像力や柔軟性は、この世界には皆無だ。皆無どころか車椅子の人が乗ることによってそのスペースに乗っていた人は席を動かなければならない時もあるので、運転手はその動かなければならない客に向けてのみ、頭を下げる。

アメリカで黒人たちが白人席の方に乗り始めた時、運転手はルールを破ってはいけないと言い募り運転を拒否したり、あるいは白人の運転手が警察を呼んで黒人乗客を暴力的に追放したこともあった。

私は、もし私が、車椅子用に設えられた席を代わってくれる人に向かって頭を下げる運転手と一緒になって頭を下げなければ、他の乗客がどんなふうに思うだろうかと考えながら、「ありがとう」と言ったり、言わなかったり。
いずれにしろ、アメリカの中での黒人と、日本の中でのマイノリティである私たちは、社会からの差別的な眼差しにホトホト苦しんでいる。

アメリカの中で若い黒人の子を持つ親たちは、自分の子どもに白人社会から暴力を受けないようにいくつかの注意事項を伝えながら育てるという。 まず、ポケットの中に手入れて歩かないとか、警察に職務質問されたら睨んだり口答えしたりせずに、フレンドリーに答える、とか。

今回のblack lives matterの抵抗運動を横目にしながら、私は自粛の中で自分の体のことをゆっくりと考え、感じている。
人種差別は肌の色で劣った人と決めつけられ、黒人の命にはどれほど価値がないかを証明し続けることが人生となっている歴史がある。しかし彼らはその凄まじい差別の中を諦めずに生き、そして今、抵抗運動が全アメリカじゅうに広がっている。

障害者差別はそこに加えて、劣っているけれどもかわいそうであり、お気の毒なという同情心がプラスされる。しかしその同情心もバスの運転手の過酷な労働の中では簡単に吹っ飛び、劣っている者が遵守すべき態度を頭ごなしに私たちに教えてくるのだ。

私はもちろん見下されながら教えられることが、本当に嫌いだし、それこそが差別だと知っているから、いちいち立ち上がり続けてきた。
そしてその場合でも過酷な労働ゆえに同情心を保てなくなった運転手を罵倒し、排撃することだけはすまいと決めてきた。

黒人を差別し、死にまで追い詰める白人警察官と、私に予約しろと迫りながらそれでもリフトを出し続けてくれる運転手の差別性は、まったく違うものではある。 白人警察官には、奴隷制度の加害者であったという恐怖がぴったりと張り付いているように感じられる。

しかし、私に差別的な言葉を投げかけてくる運転手は、私に死ぬべきとまでは、まったく思っていないだろう。それどころか「過剰労働を共になんとかしてくれよ」と言う悲鳴にすら聞こえるときがある。

つまり、もっとも問題なのは、この速さや能力を徹底的に押し付けてくる優生思想のシステムである。そのシステムによって、わたしたちは分断され、互いへの共感を育てることを非常に困難にされる。

しかし今は、そこからの解放を願いつつ、社会変革のためにと頑張り続けた身体に、(バスや地下鉄を使い続けるという闘いから)しばしの休息をあげようと思う。

バスや地下鉄を乗り続け、闘い続けてきた私の身体、その身体がこの4ヶ月、そこからまったく離れることによって緊張が緩み、ゆっくりするということの意味と価値が随分わかってきたようなのだ。身体を大事にし、長生きを志すことこそが真の平和への道なのだと言って102歳まで生きた、沖縄の平和活動家、阿波根昌鴻さんの言葉をたっぷりと味わい噛み締めながら。