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今日の名も無き人々の言霊 17

今日の名も無き人々の言霊 17

古本聡

今日はいつもと違って、世界でもっとも有名な言葉の一つを取り上げてみたいと思います。その言葉とは、“To be, or not to be, ― that is the question.”です。これは、かの劇聖ウィリアム・シェイクスピア(1564-1616)の4大悲劇の一つ、1600~1602年頃に執筆、上演されたという『ハムレット』第3幕1場で主人公が独り語りする有名な台詞の冒頭部分です(正式には「ハムレットの第4独白」と呼ばれています)。様々な映画やドラマ、漫画にさえも引用されているので、1度は聞いたことがあると思います。

デンマーク王子のハムレットは、父王の急逝後、愛する母ガートルードと叔父クローディアスとが早々に再婚し、叔父が国王の座に即位したことに、陰謀ではないのかと強い疑念を抱きます。そして、突然目の前に現れた父王の亡霊から、実は「叔父に毒殺されたのだ」と告げられ、復讐を誓います。しかし、それが正しいのか? 果たして亡霊の言葉は真実なのか?、と同時に苦悩します。その独白が次に挙げる一節です。

“To be, or not to be ― that is the question :

 Whether ’tis nobler in the mind to suffer

The slings and arrows of outrageous fortune,

Or to take arms against a sea of troubles,

 And by opposing end them? To die : to sleep ;

 No more ; and by a sleep to say we end

The heart-ache and the thousand natural shocks

That flesh is heir to, ’tis a consummation

 Devoutly to be wish’d. To die, to sleep ;

To sleep : perchance to dream : ay, there’s the rub ;

 For in that sleep of death what dreams may come

 When we have shuffled off this mortal coil,

Must give us pause : there ’s the respect

 That makes calamity of so long life ;

・・・・・・“(実際はこの2倍以上の長さの独白です)

私が今回問題提起したいのは、最初の“to be or not to be, that is the question.”の意味が日本語に翻訳された際、そして日本の社会に広く伝わっていったときに、大きく歪曲されたのではないかということなのです。つまり、この短いフレーズは、今や知れ渡ってしまった「生きるべきか、それとも死すべきか」というような、生死の二者択一を表しているものではない、ということです。

上の英文を、最初のフレーズを抜いてザっと訳してみると次のようになります。

「To be, or not to be ― that is the question :

非道なる運命の楔と鏃を

心に刺されて耐え忍ぶのがよいのか

それとも苦難の荒波に抗って、襲い来る苦しみを退けて

終止させるべきか? 死ぬことは眠ること

それ以外何でもない 眠りに就いてしまえば

心の痛みも肉体に纏わる数多の苦しみも

終わらせることができる

それこそ願ってもないことではないか

 死ぬことは眠ることにほかならない

 眠ればおそらく夢を見る そこに戸惑いを感じる

この世の煩わしさから解き放たれた後で

死の眠りの中に待つはどんな夢か

それを思うと誰もが躊躇する

だからこそ苦痛の人生をいつまでも長引かせるのだ

・・・・・・」

一読すれば理解できると思いますが、ハムレットは生か死か、というような単純な選択に悩んでいるわけではなく、毅然と現実の苦難に立ち向かって父親の無念を晴らすべきなのか、そうしない方が、母親を含み周りの皆が平穏に居られてよいのではないのか、について迷っているわけです。若い王子の深い苦悩なわけです。冒頭のフレーズの割と直ぐ近くに「死ぬとは眠ること」や「終わらせることができる」などという文言が並べられているので、ハムレットが「死」について何も考えていなかったわけではないとは読み取れはできますが、生死の選択にのみ悩んでいるのではないし、逆にどんな苦難が襲い掛かって来ようとも生きて行くべきだろうともがいていたのは明白です。第一、キリスト教の力が絶大だった中世ヨーロッパで、文芸作品の主人公が自死を選ぶわけがないのです。

それでは、何故「To be, or not to be ― that is the question」=「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」、という理解が日本では一般的に広まってしまったのでしょうか。それは、私独自の推論になりますが、先ずは、日本語としてまとまっていて響きが良い、という理由が挙げられます。次に、こちらの方がより大きな理由ですが、日本人にとって、生と死、それらに伴う苦難や苦悩についての定義が単純な方が受け入れやすいから、というのがあるのではないでしょうか。私たち日本人は、自ら死を選ぶことは罪だという意識はありません。逆に死は全ての罪を帳消しにしてくれるものであり、潔い死は美しいと、未だに頭の片隅に刷り込まれています。短絡的で突飛な言い方で申し訳ないのですが、こういう日本的認識にかかれば、シェイクスピア悲劇も「赤穂浪士の仇討」的に捉えた方が理解しやすいのでしょう。戯曲「ハムレット」が最初に邦訳された時代には、今よりももっとそんな意識傾向が強かったのだと思われます。だから、あのような「生死二択論」の訳になってしまったのでしょうね。

他の言い回しでの訳し方も、これまで色々実践されてきました。その中で私が最も原文の意味を伝えている、と思ったのは、小田島雄志氏の「このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ」です。

ちなみに、私が初めて読んだこの戯曲はロシア語版でした。ロシア語にはbe動詞がありませんが、存在や状態をあらわす単語があり、違和感なく読めたのを憶えています。そこには、生きる為に悩みあがく一人の人間としてのハムレット王子の姿がはっきりと読み取れました。

実は、今日のこの言葉について書こうと思ったきっかけは、最近報じられた芸能人の自殺とALS女性患者の嘱託殺人でした。自ら死を選ぶ人にしろ、武士の情けと言わんばかりに死を与えて悦に浸る輩にしろ、生にについてもっと視野を広く持ってもらいたい、生死二択の論理に固執しないでほしい、と伝えたいのです。死ぬ理由、死なせる(殺す)理由を考えるより先に、生きる理由、生かす理由をまず考えるべきです。

 

それでは、また次回!

【筆者プロフィール】
古本 聡(こもとさとし) 1957年生まれ
 脳性麻痺による身体障害1種1級 旧ソ連で約10年間生活。内5年間を現地の障害児収容施設で過ごす。
18~24歳の間、障害者運動に加わり、障害者自立生活のサポート役としてボランティア、介助者の勧誘・コーディネートを行う。
大学卒業後通訳・翻訳会社を設立、2019年まで運営。
2016年からユースタイルカレッジの重度訪問介護従業者養成研修統合課程での実習/講話を主に担当。
現在はユースタイルラボラトリー社員。
妻、娘の三人家族。