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地球の偉大な自然と共生していくために~札幌の豪雪とアイヌの人達を想う~ 安積遊歩

地球の偉大な自然と共生していくために~札幌の豪雪とアイヌの人達を想う~ 安積遊歩

安積遊歩



私は今、札幌に住んでいる。毎年、あまりの冬の厳しさに来年こそは雪のないところに出ようと考える。しかし、春の緑の息吹の美しさ、そこここに命が満ち溢れていく激しさ。そして夏の蒸し暑さのない過ごしやすさに移動するということが中々できない。そんな中、丸6年が経ってしまった。

札幌は年間降雪量6メートル。何かで読んだのだが、100万人以上の人口がいる大都市の中で豪雪度世界一だそうだ。毎年の除雪費が◯億円。冬の灯油の消費量も多分それに比例するだろう。だから家の中やビルの中はめちゃくちゃ暖かい。

ただ車椅子で外を歩く時は自分の体を少しも動かさずに乗っている訳だから、長い距離を乗っている時は、体中の冷えが半端ない。

しかしそれ以前に、冬の間は雪が歩道にも凄まじいので、車以外では一切外出が出来なくなる。

普段、公共交通機関を使うことが多い私としては、雪で閉じ込められることにまるで慣れることができない。特に私が住むところは札幌の中でも雪が多い。そのため1年目にはタクシーを使って帰宅しようとしてホワイトアウトに遭い、遭難しかけたこともあった。

ホワイトアウトについては言葉では知っていたが、現実に体験して、その恐怖が肌身に染みた。

あと、家まで100メートルというところで、タクシードライバーが「もうだめだ、降りて下さい」と呻いた。確かに雪の降りようは、激しいという言葉を通り越している。どんどん車が埋まっていく。ドライバーがそこから脱出しようとするのだが、雪が積もるスピードの方が早く、その努力が報われない。

私は、ここで降ろされたら家までどうやって行くのだと恐ろしくなって「それは無理です」と叫び返した。「無理と言われてもここでみんなで埋まるわけにはいかない。降りて下さい」と運転手がさらに言ってくる。

その時それまで黙っていた、私の脇に乗っていたヘルパーさんが「私がおんぶするからでましょう。私の地元ではこういう事がよくあるんです。」と言った。そしてドアを開けた瞬間には、奇跡のように雪の激しい降りが一瞬止まった。ヘルパーの彼女は、私をおぶって家まで連れていってくれると、荷物と車椅子を取りにまたタクシーにとって返した。

その間、タクシーは降り積もる雪の中でUターンに成功し、最後の車椅子を取るときにはいなくなっていたという。その体験はトラウマになり、その後の冬には札幌を脱出するということを決めた。

幸いにも娘がニュージーランドにいる。ニュージーランドの四季は日本と反対だから穏やかな夏となる。最初の年は1か月くらいだったが、次の年にはニュージーランドにプラスして沖縄や西日本を回るようになり、ここ3、4年の中で1番長いときは丸々4か月いないこともあった。

私はダメ元精神の人であるから、その際できることは全てチャレンジしてやってみた。まず家賃だ。私の家は借家だから4か月いない間、全額プラス家の前の除雪費を支払わなければならない。その上、家の面倒を見てもらう人を考えなければならないとしたら、とんでもなく大変なことだと気が付いた。だからダメ元で家賃の交渉を不動産と大家にしてみた。

もし私が冬を目前に引っ越すとしたら、不動産会社が一軒家を大家から預かって管理するのは中々に手間らしく、家賃も半分以下に簡単に下げてもらえた。その上管理人まで置いて欲しいと頼まれ、友人を探してお願いした。友人には管理人としてお金を払うことではないから、これは結局又貸しということではないかと思った。しかし、大家や不動産の方から言えば人が住んでてくれた方がありがたい訳で、長期間私は友人に家を見ててもらう事になった。

北海道に住むようになって、今まで頭の中でしか知らなかった差別を語ってくれる友人ができた。先住民であるアイヌの人達である。

北海道は明治2年までアイヌの人達が神々と共に生きていた場所だ。ところが明治政府が明治2年以前にやってきて過酷な植民地政策を強いた。それまで北海道はアイヌ(人間)モシリ(大地)と呼ばれていた。ところが明治政府はアイヌモシリを無人の地と決め付け、『北海道』という名を冠した。さらにその地の豊かな様々な資源を収奪し、アイヌ語の使用を禁じ、時にはアイヌの人々の命も奪った。そうした話を聞くたび涙が流れた。今では地名の70%〜80%はアイヌ語でありながら、その事自体を知らない人々がほとんどで、その豊かで崇高な文化への注目もあまり無い。

差別の凄まじさを考える時、私はときに北海道はアイヌの人々に返し、和人は皆、本州に帰れば良いのにとさえ思う。これは全く非現実な愚かな考えでしかないのだが。

なぜ愚かかといえば、まず第一に、この厳しい冬を乗り越えてきたアイヌの人自身さえ、あまりの植民地主義の中でその知恵を継承している人はほとんどいない。

第二に、豪雪の中で生き抜いてきた中に、障害を持つ人達はどんな状況で生き延びたのだろうか。そのことを考えれば、私たちの生きるは医療や様々な技術の革新なしにあり得なかった。

私達は車椅子を操作し、人によっては人工呼吸器を使い、近代社会の医療や医術の進歩によってその命が保証されている訳だ。

重い障害を持つ人が、先住民の中でどんな風に生き延びてきたのか。その話は未だ誰からも聞けていない。アイヌの文化は口伝の文化だし、死は悲惨な出来事とは認識されていないので、障害を持って生き延びることは本当に少なかったかもしれない。

ただアイヌの人達は、大地を血で染め上げるような凄まじい争いは全くしなかったと聞く。冬の厳しさを乗り越え、神々と生きるための社会があった。あくまでも神々と共生し続けてきたのだ。

そうした精神性とこの科学技術を使った生活が、平和に向けて見事に融和していくような、そんな社会を今から創り上げるしかないのだ。

そのためにもう少し車椅子を使って、豪雪の中で生き抜くには何が必要なのかを調査し研究し、自分のものとしていかなければならないと思い始めている。あるいは、今まで通りこれからも冬季間のみ道外に出るという暮らし方もあるにはある。しかし、今年はその見通しは全く甘くない。なぜならコロナがやってきているからだ。

私にとって怖いものは死ではない。死はどの人々にも均等に訪れる。その平等性において、死に抗おうという気にはなれない。しかし死に付随する状況、つまり死を強いられること、殺されるような状況は極力拒否したい。豪雪とコロナによって即死はもたらされない。しかし、隔離される事の方が私にとっては恐怖なのだ。昔、施設の中にいた時、隔離され、ご飯を食べる時間はもちろん、トイレに行く時間も管理されていた。また、施設の庭に出る際も許可を求めなければならず、自由の無い生活だった。それは監視し合うことで消耗し、時に互いに敵対する心を生み出した。

今回ステイホームをしてしみじみ思ったことは、自主隔離ならまだ心を殺さずにやっていけるということ。たとえ凄まじい雪で1か月出られないことがあっても、衣食住に管理をされないならば、つまり感染を避け隔離されないでいられるなら自主隔離をやむなしと言う気持ちで送ることができた。

2月半ばから約1か月は車で2、3回出ただけだった。その後、緊急事態宣言が出てからは、1か月半は車でも出なかったし、トータル4か月間バスとか地下鉄に乗らなかった。6年目にして初めての事だった。

幸いにも私の介助の人達は私に感染予防の様々を強いてくるという人は全くいなかった。また、私の指示に文句を出す人も全くいなかった。自分のしたい生活をヘルパーの人たちときちんと送れたと言う事、これも本当にありがたかった。

今年の冬は豪雪対策としての道外脱出がコロナでままならなくなるかもしれない。特に娘のいるニュージーランドは感染予防に完璧に近く成功している。だからこそ未だ感染の終わっていない日本人を迎えることはかなり難しいだろう。いくら経済が立ち行かなくなるという恐怖があっても、人の命を守るために政治はあるのだというポリシーが先行している国の潔さは見事だろうから。

それならば骨折が来る前にはステイホームを決めて様々な本やDVDを読み倒す計画を立てるのも悪くないかもしれない。そしてネットでできるピアカウンセリングや仕事を計画し続けること。

豪雪だから、コロナだから自主隔離するのではなく、人間の大地を環境破壊から守っていくために、つまり地球の偉大な自然と共生していくために、2度か3度ほどの冬をアイヌモシリに留まり過ごすこと。それは、障害を持つという属性に乗っ取って諦めての行動というのではなく、人類の1人としてこの地球との共生を考えての大いなる決断と考えることもできるかもしれない。