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ALS患者さんに対する嘱託殺人を受けて~障害を持って生まれること~ 安積遊歩

ALS患者さんに対する嘱託殺人を受けて
~障害を持って生まれること~

安積遊歩



障害を持って生まれてきたので、大方の人とは全く違ったしかたで世の中に迎えられた。家族や親戚は私の存在を喜んでくれた。

特に母親は私の命があるというその一点で、大切にしてくれた。

その後、“五体満足”で生まれなかったことで親に申し訳なく思っているという仲間の話を聞いて、私は一度も自分の体が良くないものと親からは言われていないことに心から思い至った。

私が骨折しやすい体と知ってからはその痛みの激しさにどんなに泣いても、ただひたすら聞き続け、愛しんで、大切にしてくれた彼女がいた。その彼女の、私の命に対する無条件の愛と信頼で基本的な自己信頼が培われたと思う。

しかし、ここに恐るべき人たちがいた。医療者たちである。

その痛みや涙を悪いことにして、私の体の痛みや辛さはあってはならないと言わんばかりに治療という名の、さらなる痛みと辛さである虐待を繰り返された。20回前後の骨折にプラスして、8回以上の手術。その上、骨折した時に動かされ、何度も撮られたり、巻かれたりする、レントゲンやギブス。

母親のもとに居れば、感情の爆発はひたすら愛おしさの極みで受け止められ、安心感の表現は涙と叫びで保証された。表面的には苦しむ子供であったが、そこは私にとっては天国のような安らぎだった。しかし、医療者の側に行くと身体そのものに対する否定的な眼差しの上に、その身体が悪なのだと言わんばかりの暴力。泣けばさらに侮辱され、病院は、まさに地獄そのものだった。

10代になるころには体の痛みも加速して、自己否定感は外からくる優生思想によって日常と化した。14歳を迎える前後の3ヶ月間は、私にとっては最多の自殺を試みた日々だった。

私にとって医療は、娘を産む時まで悪の権現としか見えなかった。

それは命を助けるものではなく、命を追い詰めてくるモンスターだった。

それでも娘を妊娠した時は帝王切開しかお互いに助かる道はないだろうと直感し、素晴らしい女性医師と出会うことが出来た。

彼女はまさに医師とはこうあるべきという人を体現した医療者だった。彼女との出会いによって、私の医師に対するトラウマはほとんど消失したとさえ言える。

ただ残念なことに幼い頃の私を取り囲んだ医師たちは90%男性だった。だから彼女との出会いによっての男性医師に対する不信感は完全に払拭してはいなかった。

今回の京都の林さん殺害事件で男性医師2人が犯人であると聞いた時には、「やっぱりそうなったか」という驚きにプラスして、心のどこかに微細な納得が湧いてしまった。

これだけの女性差別、子供への差別、様々なマイノリティーに対する差別に満ち満ちた日本。自殺者の数が世界の中でも最多と言われながら、同調圧力をお互いに掛け合い続ける人々。そんな中で生き延びるためには、まず、1人ではいないという孤独にはならないという具体的状況が必要だ。

幼い時に自殺未遂を繰り返した私は、まず具体的にひとりぼっちにならないことが、死を避けるために重要なことだと心から知っている。その上重い障がいがあれば介助が必要なために決して1人になってはならない。そうした状況でも幸せに生きることを求めて私たちは重度訪問介護で作ってきた。

にも関わらず、林さんは医師たちに殺された。報道によれば介助者を別室に待機させている間のほんの僅かな時間に起こったことだという。側に居た介助者が戻って来た時には林さんの状態は急変していた。病院にすぐ搬送されたが、命を回復することは出来なかった。側に居て彼女の急変を見守り続けた介助者の苦悩は、どんなに凄まじいものであろうか。

「ほんのちょっと部屋を外して欲しい」と言われた少しの時間に、医師という立場を利用してやって来た殺し屋たち。もちろん彼らも殺人者になろうとして生まれ育ったわけでは全くないだろうから、その成長の過程にいったい何が起こったのだろうか?異様な競争原理と生産性でしか人を見ない歪な人間関係に取り囲まれ、優生思想を現実化してしまった彼ら。私は死刑制度には完全に反対だが、彼らには医療の技術を使って彼女の苦しみを少しでも味わってほしいとさえ思ってしまう。

辛い人々の「殺して」という思いへの1番の答えは、「絶対に生きててほしいよ」という心からの愛情に満ちた力強い眼差しだ。

しかし、この人たちはそれとは真逆の対応をしてしまった。言葉もなくほんの数分で毒を注入した彼らにとっては、林さんは人間ではなく、ものとしか見えてなかったのだろう。

「死にたい」と叫ぶ人に、本当に「死にたい人」はいないという命の本質に、医者でありながら気付けない人がいるということ。私は死に際して安楽死や尊厳死を望むこと自体が周りの人を傷つけるだろうと気づかう人々を何人も聞いたり、見たりしてきた。どんなに苦しい死に様に見えても身体は「生」に向けて位置付けられ、周りの人はそれを応援したいと頑張り続ける。しかし最後の最後の瞬間に「ありがとう、いっぱい頑張ってくれて。もうさよならできるよ。」と言った途端に安心してにっこり笑って逝った人もいた。

最後の最後まで人は関係性の生きもので、決して自分だけの身体でもなければ生でもなく死でもない。正直私は医療に自分のからだを弄りまくられることが嫌なので、もし生きていてほしいと強力に願ってくれる人がなければ今後呼吸困難に陥った時に人工呼吸器をつけたくないと思ってしまうだろう。

しかし私には娘がいる。私が40歳の時に迎えたので、せめて80歳位までは生きていて欲しいと頼まれている。だが人生は時に不可思議と不条理に満ち満ちたドラマだ。だからもし私が言葉で表現ができなくなって、それでも娘が生きていてほしいと願うなら「もちろん人工呼吸器をつけて生きていくよ」と伝えている。

そのドラマはいつも政治との関係、人との関係で時に圧倒的な悲惨へと追い詰められてしまう。そこからの脱出の第一ステップとして、私たちは重度訪問介護制度を作った。もしあなたと関わる人が、どんなに死を望んだとしても少なくとも常に人のいる状況の中では、自殺はできないはずだった。

では、なにが林さんの絶望を更に誘ったのだろう。それは、死に向けてあまりに浅薄で思索なき社会、そして自由意志という名の「優生思想」が隅々にまで蔓延る社会の有り様とシステムだ。林さんの死は、医療者もまたとてつもない優生思想に侵されていると言う私の子供の時の直感を見せつけてくれた。

「死にたい、殺してくれ」と叫んでも、また、発語としての応答がなくなったとしても、身体は痛みを感じ生きたいといい続けている。脳死と言われた身体でさえ、臓器移植をするときに全身麻酔をする必要があると聞いた事がある。臓器を取り出すときに体は暴れると言うのだ。

この一点から考えても私は、身体は死を望む事はないと確信している。また、「死にたい」と言い募る自由意志は、一見、尊重に値すると思うのだが、医療者までもがそれを本気にし出したら、いったい誰が障がいの重い人や、実に過酷な無理心中を思う親たちの辛さや絶望を聞いてくれるのであろうか。

たった1人でも真剣に、すべての人にある「死にたい」と言う絶望期に、ただただ愛情を持って側に居てくれる人がいて、助けを求めることを「迷惑」と見ない社会があり、それがシステムとしてもうまく機能してくれたら…。障がいの重い人でなくても、全ての人が一生のうちで「死にたい」と思うことは、何度かある。それを乗り越えるためには助け合うことを迷惑とするのではなく、きき続けると言うシンプルなそして力強い道具こそが医療の中にあること。それこそが医療者の本質であるはずだ。