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土屋訪問のはじまり

土屋訪問のはじまり

高浜敏之



土屋訪問介護事業所は2014年6月に東京都中野区で重度訪問介護のサービス提供を開始した。

障害者運動を離れた私は、2012年5月にユースタイルラボラトリーの立ち上げに参加し、最初の事業所であるデイサービス土屋 中野坂上の管理者と生活相談員を担いながら、主に重度の認知症の方々の支援に奔走していた。

ある日、障害者運動を共に担った仲間からショートメールが届いた。デイのご利用者様の昼食を作っている最中だった。

新田さんの訃報だった。

1970年代の府中療育センター闘争から、障害当事者としてこの国の障害福祉制度の基盤を作り、重度訪問介護を利用した在宅生活というライフスタイルモデルを創造した、日本の他人介護制度の種をまき、それを育て続けた、全国公的介護保障要求者組合のリーダーシップを終生にわたって採り続けた、新田さんが、この世を去った。

通夜に参加させていただいた。いのちの保障を一貫して全身で足文字で社会に訴え続けた新田さんと久しぶりに再会したとき、新田さんのいのちは遠いところに飛翔し、もはや新田さんの足文字から、いのちの保障について聞くことはできなかった。葬儀のときは、新田さんをリスペクトする多数の方々の、悲鳴とも思えるような泣き声が木霊していた。

多くの他者の死と出会い、そのたびに、自分の中から何かが失わていくのを感じてきたが、新田さんの死のあとも、喪失の強度がヒシヒシと感じられた。

そのような空白地帯を抱えながらも、また再びなにもなかったかのように認知症の方々と過ごす日常に回帰した。

ある日、社長とランチをしながら、小規模通所介護の報酬単価の削減問題の対応について話し合ったとき、何の気なしに、重度訪問介護というサービスがあって、サービス提供事業者が少なくて十分潜在的ニーズが満たされず、困ってる当事者がたくさんいて、云々という話をしながら、軽い気持ちで事業の立ち上げを提案したところ、じゃあやってみましょうかと、同じく軽い感じで提案がキャッチされ、ランチメニューを決めるかのようなポップなノリで事業開始が決まった。

今振り返ると、提案した当時の心理には空白地帯の埋め合わせ、すなわち追悼の感覚がいくばくか発見されなくもない。新田さんの周囲にいた人たちにとっては、重度訪問介護、というサービスは、どこか新田さんの遺産めいたもののように受け取られ、重度訪問介護を使う、あるいは担う自分たちを、どこか新田さんの遺産相続人のような気にさせる。

スタートした当初は、時折かつて運動を共にした仲間からのサービス依頼に応答するくらいのささやかな運営をしていた。いく先々で、重度訪問介護やってるの?珍しいね。ところで医療的ケアできるスタッフいる?というケアマネージャーや相談員のコメントは気になってはいたが、いまのような日本全域にわたる大々的な運営をすることになるなどとは、まったく想像だにしなかった。

しかし、気づいたら、2014年6月に東京都中野区で芽吹いた土屋訪問介護事業所は、北海道から沖縄まで、日本全国にわたって、主に医療的ケアを必要とする重度障害者に、重度訪問介護サービスを提供している。全ての必要な人に必要なケアを、という共通価値を合言葉に、サービスニーズが十分に満たされてない介護難民といわれる方々にサービス提供するために日夜奔走している。

様々な方々がこの一大プロジェクトに参加されてる。そして私もその一員として、現在事業運営の一端を担わせていただいてる。一時は、生まれたばかりの子供や妻と離れ離れに暮らしながら、この事業の立ち上げのために日本全国を奔走していたが、私を駆り立ててるものは何か?

記憶の中にその残像が見え隠れする、足文字の痕跡、それは確かに私の方向性を決定づけている。いのちの保障を一貫して語り続けた足文字のインパクトは、もしかしたら私の残りの人生からその反響が失われることはないかもしれない。たとえ表層意識から発見できなくなったとしても、意識の最深部で通奏低音が鳴りやむことがないようにも思えてしまう。

土屋訪問の運営と重度訪問介護の創始者である新田さんのビジョンとは、不一致があるかもしれない。土屋訪問介護事業所の全国展開を牽引ながら、パーソナルアシスタンスすなわち専従介護人制度の重要性を強調し、時には事業所不要論を強調した新田さんから怒られそうな不安が時折よぎる。しかし、いのちの保障、という新田イズムからは微塵も逸脱していないという自負は、その不安をかき消し、次なるステップへと駆り立てていく。

新田さんの直系の後継者ともいえる木村英子さんはいま、参議院議員として国政に参加し、障害者の人権の回復を訴え続けている。彼女との出会いが、腰掛のつもりで入った障害福祉の世界に私が深く沈潜することになった契機であったことは疑いようがない。収容施設でなく、地域でふつうに共に生きたいという情熱に射抜かれた。そして私たちは支援者の立場から、24時間365日、日本全国どこに住んでいても、重度の障害をお持ちの方々が重度訪問介護サービスを受けられるような社会環境を作っていきたい。

サービスを受けられないことにより、自分自身への存在価値に疑念を抱き、周囲への迷惑を慮って死を選択せざるをえないとしたら、それは尊厳死ではなく、社会全体からのネグレクトによる黙殺とも受け取れる。いのちの保障に反することはいうまでもない。前向きに、生きる、を選択ができる社会を作りたい。その最大のツールの一つが重度訪問介護であると信じている。重度訪問介護を広めるとは、あらゆる個性の生をあるがままに肯定する、明るい前向きな社会を作ることだと信じている。

それが、足文字の痕跡に対する私なりの応答であり、新田勲という人物へのオマージュである。


高浜敏之
土屋訪問介護事業所GM。ユースタイルラボラトリー株式会社COO。全国障害者在宅生活支援事業者連絡会代表。慶応義塾大学文学部卒。哲学科美学美術史学専攻。20代は様々な職業遍歴を経て、30歳で重度訪問介護というサービスと出会い、福祉の仕事をスタート。それと同時に日本の障害者運動のパイオニアである新田勲さんが代表を務める全国公的介護保障要求者組合の事務局を担うことに。30代はホームレス支援、移住外国人労働者支援など社会的マイナリティーの権利回復運動にコミット。その後東京都中野区にあるグループホームでの介護職員を経て2012年5月にユースタイルラボラトリー株式会社の立ち上げに参加。デイサービス土屋中野坂上の管理者、生活相談員を経て土屋訪問介護事業所やユースタイルカレッジを立ち上げる。現在は土屋訪問介護事業所を統括しながら事業者ネットワークの発起人として活動する。趣味はボクシング、アート、文学、など。