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そもそも介護・介助の目的とはー障害当事者の目線から

そもそも介護・介助の目的とはー障害当事者の目線から

古本聡



この記事を書いている筆者自身は、現在、妻と娘の三人家族で生活していて、身体状況もまだ、それほど多くの生活場面で介護・介助を必要としていないので、プロのヘルパーさんのお世話にはなっていません。しかしながら、以前、一人暮らしをしていた頃や妻が妊娠中の時期には、家政婦さんに週に数回来てもらったり、電車を使っての外出の際には、介助者の方に付き添ってもらったりしていましたし、また今後、私の身体の変化によっては、訪問ヘルパーさんの助けを借りなければならない時も来ることでしょう。そんなことを考え合わせて、そもそも、障害当事者から見て、全くの他人であるプロの手による介護・介助とは、どういうものなのだろう、どんなニーズがあるのだろう、という点について、あくまでも私的な視点ではありますが、できる限り客観的に述べてみたいと思います。

最初に、プロの介護・介助により、障害当事者の生活にもたらされると思われるプラスの効果とマイナスの効果についての話から入っていきたいと思います。

先ずは、プラスの面として挙げられるのは、

・自力では出来ずに諦めていたことが出来るようになるということです。
私が一人で暮らしていた頃、自力では行えなかった事柄が結構たくさんありました。地味に困っていたのが、大きな洗濯物を洗濯機から出して、高い場所まで持ち上げて干すことです。衣類を腐らせてしまったことも幾度か。また電球が切れた時なども、取り替えられなくて、スタンドとテレビの明かりだけで夜を過ごしたこともありました。その他の細々とした生活上のことが、家事ヘルパーさんに来てもらってだいぶ困りごとが解消したのを憶えています。さらには、買い物や外食など、一人では利用が難しいお店に行くことも、外出介助のおかげで可能になりました。生活範囲が広がった、と言ってもいいでしょう。
たまに訪ねてくれる友達や、当時雇用していた従業員(筆者は自営業に従事)に頼んでも良かったのかもしれませんが、お互い仕事があったりすると来て欲しい時に無理を言えませんし、部下に生活上のことを頼むのも、なんだか公私混同が過ぎるようで、気が引けていました。
さらに、すごく助かったのが炊事でした。鍋やフライパンの出し入れ、キャベツ、大きな食材の下処理とか、重いものは持って運ぶのが危険でもあったので。ヘルパーさんたちのおかげで食事作り、食べることそのものも楽しめるようになったのは大きなメリットだと思いました。

・一人で頑張りすぎて心身共に酷く疲れることがなくなるということです。
頑張れば自力でも出来なくもない事柄も、勿論ありました。例えば掃除、ゴミ出し。ヘルパーさんに来てもらうまでは、通常の何倍もの時間をかけて、途中何回も休みながらやっていました。用事がやっと終わった頃には、もうフラフラ,ヘロヘロ。そのままベッドに倒れ込んで翌朝まで寝てしまう、みたいなこともありました。
仕事も結構なハードさだったので、ヘルパーさんに頼らずにあのような生活をずっと続けていたら、身体的にも精神的にも疲れ果ててしまって、いつかは限界を迎えていたでしょう。
頼めることは頼んで、空いた時間で他のことをした方が建設的だ、ということに気付きました。 

・「何かあってもどうにかなる」という安心感

外出中、車椅子の車輪がハマって動けなくなったらどうしようとか、転倒して起き上がれなくなったらどうしようとか、ほとんどは余計な心配で終わることが多いのですが、外出介助のヘルパーさんが付き添ってくれれば、そういった不安も多少は和らぎます。その気持ちの余裕から、もっと色んなことも試してみようと思えてくるのです。

では逆に、介護・介助に入ってもらうことによって生じる、生活上のマイナス面は、どんなものがあるでしょうか。次のような事柄が挙げられます。

・自分の生活の極プライベートな部分まで曝け出すことになります。
私がホームヘルパーを依頼したくなかった最大の理由はこれです。自分の寝床や散らかった部屋、下着を含む服、趣味、生活パターンなどを、否応なしに他人に知られてしまいます。今後、身体介助になれば、自分の身体の状態まで他人に見られてしまう訳で、普通に生活できる人間であれば、知られる必要のないところまで知られてしまうことへの抵抗感が、昔も、そして今も、強くあります。
いくら守秘義務があるとは言え、やっぱり気になってしまうのも事実です。

・時間を割り振りする際の自由度が減ります。
ヘルプに来てもらう時間を突然変更したりキャンセルしたりすることは、ヘルパーさんや事業所に迷惑をかけることになります。予定を変更する時は、ある程度前以って余裕を見て伝える必要がありますが、これが正直言って面倒くさいのです。私は、仕事を自宅とは別の事務所でやっていた時期もありましたが、ヘルパーさんに来てもらう時間(1~2時間)は、家を空っぽにするわけにもいかず、仕事に行けない、という状況もありました。また、急な案件でクライアントとの打ち合わせが入ってしまった日などは、非常に困りました。
「仕事帰りに、今日はどこかに飲みに行こうぜ!」や「今日は仕事場で店屋物で夕食を済まそうか」などということも、難しくなってしまうのです。
時間配分が一定ではない職業に就いていると、色々不便であり、結構辛いと思ったこともありました。また、ヘルパー事業の人手不足等の事情から、本当に来て欲しい時に来られるヘルパーさんがいない、ということもあるでしょう。そういう場合は、妥協するしかなくなってしまいます。 今後も、そういう状況に頭を悩まさないといけない、と考えると少々気分が落ち込みます。

・ヘルパーさんとの相性が、利用者のQOLに大きく影響します。
基本的に、利用者側としては、「どんな性格のヘルパーさんが来ても、いつもと変わらない生活を維持出来るように指示を出し、意思疎通を図るよう努力する」のが当然だということは理解していますし、心がけてもいます。しかしながら、利用者も個性を持った人間ならば、ヘルパーさんもまた色んな個性の人間です。指示を出しやすい人、指示をすぐに理解できる人とそうでない人がいるのは当たり前です。
言いにくい人には、つい細かい指示出しを躊躇してしまいます。そうなると自分の中で徐々に不満が大きくなり、介助を受けること自体が嫌になってしまいます。割り切った関係を作ろうと思ってはいても、必ずしもそうならないのが人間関係です。

・金銭的にきついこともあります。
公的な支援や保険などで賄える場合は別として、私が過去に受けた介助サービスは全額自己負担でした。公的なものは使わなくてもいいかな、とつい安易に考えてしまい、サービス利用を抑えなければならない事態になったこともありました。結構、大きな金額で、重い負担でした。この先、また制度が変更になって、自分が、仕事を続けられなくなるほどの本格的な要介護状態になってしまった場合、負担はどうなるのか、心配になります。
また、外出介助や、娯楽利用等をした場合は、利用者がヘルパー分も負担しなくてはなりません。交通機関などが介助者同伴の場合に限って半額になるというのは、こういう事も関係しているのかもしれませんね。

・外出介助などの場合、ヘルパーさんの食事、行動ペースを考えて予定を組む必要があります。
私自身は、仕事で外出した時など、所定の用事が済むまでは食事もしませんし、水分も採りません。これは、トイレに行きたくなると、コンビニでちょっと借りるわけにもいかず、困るからという理由からでもあります。でも、身体を動かすヘルパーさんにしてみれば、食べないと仕事が続けられません。以前、ヘルパーさんと外出中に食事を取るのをすっかり忘れていて、気づいたらヘルパーさんに迷惑をかけてしまっていて、大いに反省したことがありました。
また、私は簡易電動車椅子に乗っているので、長距離を移動しても平気ですが、自分の足で歩いているヘルパーさんの体力を考慮して移動手段を変えたりする必要があります。

さて、ここで話の方向を少し変えて、そもそも介護・介助は何を目的とするのかについて考えてみたいと思います。

⁻そもそも何のために介護・介助のシステムはあるのでしょうか?
単純に考えれば、介護・介助は、自分で食事、排せつ、外出などが障害のせいでできないという部分を補い、助けてもらうための制度ですよね。持てないスプーンを口まで運んでもらう。便器に移ってズボンを脱がせてもらう。段差がある外出先のお店に車いすを持ち上げて入れてもらう。確かに、これらも立派な介護・介助サービスです。しかし、介助者が障害を持った利用者さんに対して、何のために、どのような目的意識で介護・介助に当たるのか、というポイントで介護の「質」が変わってくるのではないでしょうか。
「利用者さん自身ができないことだから、介護する、利用者さんのできないことを助けることが介護の仕事」 ―‐ このように考えたことはありませんか? しかし、果たしてそれだけでいいと言えるでしょうか?

できないことは、障害の有無にかかわらず、誰にでもあります。そこをヘルプすることを仕事としてするのが介護のプロです。もちろん、ボランティアではありません。介護の先にその利用者さんの人生がどう変化するのか、というポイントが見落とされがちになってはいないでしょうか?

⁻必要最少限の介護が多く観られませんか。
例えば、入浴介助を例にして考えてみましょう。
お風呂に入りたいときにお風呂に入るというのが、通常の認識だと思います。人に会う前や来客の前には、しっかり髪の毛を洗っていい匂いにしたい。焼き肉を食べに行った日には、体に染みついた炭の匂いや焦げた肉の匂いを落としたい。はたまた、仕事で疲れた日には、温かいお湯でリラックスしたい。その気持ちや願いを実行に移すためにこそ、介護サービスがあるのではないのでしょうか。いわゆる在宅生活、自立生活の要になるポイントと考えます。

「何時にお風呂に入る」という当初の計画どおりの介護しかしない介助者の役割は何でしょうか? 人として必要最低限の生活をするための介護でよいのでしょうか?

‐介護サービスの先にある、利用者の生活を見据えたケアが必要だと考えるのが重要なのでは。
私の知り合いの利用者が、よく介助のヘルパーさんに言われることがあるそうです。
「ヘルパーは、プロの料理人じゃない」
「ヘルパーは、美容師ではない」
「ライブ会場や人が大勢集まって騒がしい場所には、苦手だから、できれば付き添いたくない」

確かに、すべて正論です。けれど、自分で料理を作れない、髪の毛のおしゃれも楽しめない、介護がなければライブに行くことも難しい。それが障害を持った利用者の現実です。そして、生活とは、そういった動作や行動が集まって成立しているのではないでしょうか?

確かに、ヘルパーさんはプロの料理人でも、美容師さんでもありませんし、趣味趣向は違います。けれど利用者の生活が充実するように、厚みや幅が広がるように、一緒に努力することはできます。

例えば、一緒に料理雑誌やサイトを見てみる、美容室に実際に一緒に行ってみる、といったことは可能でしょう。そんな少しの工夫で介護の質は変わるし、利用者さんの介護の先の生活は段違いに変わります。そう思いませんか? 私も10年以上前にヘルパーさんたちに支えてもらい、その中で何人ものヘルパーさんと関わってきました。介護の先にある生活を見据えたケアをしてくれる方はそうそういませんし、わかっていても仕事としてやりたくないという方もいました。こういった課題を解決するキーパーソンは介護専門学校の先生や、政治家でもありません。いかに自分らしく生きているかを発信する障害当事者が第一に、そして第二には介護・介助サービスの現場に従事していらっしゃる方たちではないでしょうか?

(2017年6月の記事より、再掲載)



【略歴】
昭和32年生まれ、脳性麻痺1種1級、6歳からの5年間余、旧ソ連の障がい児収容施設での生活を経験した最初で最後の日本人。早稲田大学商学部卒、大学院生だった25歳より英語とロシア語翻訳会社を経営。16年4月よりユースタイルカレッジにて障がい当事者としての講話を担当。