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たまたまです、あるいは脱PDCA

たまたまです、あるいは脱PDCA

高浜敏之



次のような質問をいただくことがままある。「なんで障害者福祉の世界に入ったんですか?なんで障害者運動に参加することになったんですか?」

次のように答える。「たまたまです。」

また、次のような質問をいただくこともたびたびある。「なんでユースタイルラボラトリーの立ち上げに参加したんですか?なんで土屋訪問介護事業所を立ち上げることになったんですか?」

同じように答える。「たまたまです。」

答える、というより、答えざるをえない、なぜなら事実だからだ。

2か所の大学に通わせていただいた。1か所目は法学部、2か所目は文学部だった。家が貧しかったわけではないけど、精神的経済的自立を獲得することを焦燥のなか渇望し、2か所とも仕事をしながら自力で通っていた。仕事と学びとを両天秤にかけ、どっちつかずのまま年月がすぎ、気が付いたら齢30になっていた。どうしても営利企業で働く気がしなかった。営利企業において自分のアイデンティティの核を象った学びの延長を体感することはできないと、さまざまな職業遍歴を経て先入見が完成されてしまっていた。

「NPOで介護でもやるか。」

消去法の選択だった。ヘルパー2級の資格を取りに通った。

ある日、手に取った求人雑誌(当時はまだネットで仕事を探すという文化はなかった)に「障害者の在宅生活を支援してくれる人募集。時給1000円~。資格不要。」という募集情報を発見した。特に、資格不要、という4文字が鮮明に浮かび上がった。ヘルパー2級の資格を取得するまで3か月以上かかった。もう待ちきれなかった。文学研究者の卵という夢はついえた。早く新しいアイデンティティが欲しかった。

電話をした。柔らかな声音で、面接に誘われた。自立ステーションつばさという団体だった。初めて障害を持った方々と交流することになった。木村英子さんがいた。そして、数か月後には重度訪問介護の仕事をしながら、全国公的介護保障要求者組合の事務局を担うことに、新田勲さんのお手伝いをさせていただくことになった。
全て、偶然である。

たまたま手に取った雑誌を見て、たまたま目に入った募集情報を見て、何の気なしに電話をした。気づいたら障害者運動に参加していた。気づいたら自立生活をされている重度障害者の方々の介助をしていた。重度訪問介護ヘルパーになっていた。

これをやろう、という強い意志は、少なくとも入り口の段階では、ほぼ皆無だった。

数年後、しばらくリトリートの期間を作った、いや、リトリートの期間ができた。しばし、無為な日々を送った。過剰労働と社会運動で疲弊しつくした心身を休めた。そろそろ元の生活に回帰しようと、何の気なしにネットで仕事を探していた。認知症対応型グループホームを運営している中野区の募集情報が目に入った。弟が長年グループホームのホーム長をしていたのは知っていた。なんとなく電話してみた。面接に誘われ、中野区にあるホームを訪問し、しばし責任者の方々とお話をした。

数日後に内定通知が届いた。

ユースタイルラボラトリー株式会社の初代社長の大畑きぬ代さんがホーム長を務めるグループホームだった。認知症のケアに関わろうという意図はさしてなかった。そもそも私の関心はPSWの資格取得に向かっていた。そして、数年後にユースタイルラボラトリー株式会社の立ち上げに参加しないかと、現社長の大畑健さんに呼びかけられた。断るつもりだった。当時の私は営利企業に対する期待が過剰なほど低かった。

非常に残念な出来事が起きた。現在の妻が交通事故にあった。高速道路での大きな事故だった。奇跡的に生還してくれた。しかし、編集者だった彼女はしばらく仕事を休み、リハビリに専心しなければならなかった。扶養する必要性が生まれた。というわけで、大畑さんのオファーを受け、ユースタイルラボラトリー株式会社の立ち上げに参加することになった。

全て、偶然である。

たまたまの連続の結果、いま、ここに、いる。どこにも予定調和を発見することができない。

デイサービス土屋 中野坂上の管理者ならびに生活相談員を担うことになった。いくたのかけがえのない偶然の出会いを経験させていただいた。障害者運動の思想、あるがままの存在を認め合う、そんな場づくりを介護保険の高齢福祉の現場で仲間たちと一緒に実践しようと試みた。その後、いくたの、たまたまの邂逅とそれにともなう、たまたまの化学反応の結果、新しい出来事と、新しいプロジェクトと、新しい事業が、生まれ、そして、消えた。

計画通りにいったことは何一つない、と言っても過言ではない。

いうまでもない、土屋訪問介護事業所を立ち上げたとき、現在のような姿、日本全国で重度訪問介護と医療的ケアサービスを提供しているなどとは、まったくもって、計画と想像の埒外にあった。

全て、偶発性の産物である。

いくえにも折り重なる、たまたまの人と人の、出来事と出来事の化学反応が、今日のムーブメントに持続的に燃料を供給し続けている。

必然性が思考や意思と結果の連続を意味するのだとしたら、偶然性とは思考や意思と事実との切断を意味する。事実は常に私たちの考えを超えていく。私たちの企図を、いい悪いはともかく、常に裏切り続ける。そんな超越的な手に余る事実そのものに、時に崇高さ、すら感じることがある。

最も有名なビジネスフレームワークに、PDCAサイクル、がある。計画→実行→確認→改善のサイクルを高速回転し、ビジネスの生産性を向上させる方法論だ。非常に重要な考え方であり、土屋訪問介護事業所の運営においても日々実践している。しかし、真に創造的な出来事は、時には偶発性、計画や企図の外側の、たまたまの出会い、何気ない会話、何の気なしの行動などから発生するのではないか。むしろ、全ての行動を計画という鋳型にはめることにより、私たちはクリエイティブなハプニングの可能性を締め出してしまっているのではないか。少なくとも私にとっては、最も重要な出来事の多くはみんな、たまたま、だった。前述したように、なぜ、と問われたとき、たまたまです、という回答しか見当たらないことばかりだ。

失敗の多い人生だ。なるべく失敗しないよう、何事も計画的にやっていきたい。特にビジネスにおいては。しかし、時には徒然なるままに、足を赴かせてみたい、何の気なしにおしゃべりしてみたい、波音を聞きながらぼーっとした時間を過ごしてみたい、脱PDCAサイクルの時間を自分自身に保障したい。

たまたま、の可能性を信じたい。

なぜならば、大切なことは、みんな、たまたま、だったから。