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ユースタイルラボラトリー(ESL)との出会いと、仕事を通しての学び

ユースタイルラボラトリー(ESL)との出会いと、仕事を通しての学び

Kisaku



本文では、私がこのお仕事に出会った経緯と、日々の職務で感じることを、拙い文章ながら記述させていただきたいと思います。ご笑覧頂ければ幸いです。

昨今、多様な職種がひしめき合い、ラットレースさながらにしのぎを削る中で、一見生産性とは真逆を行く介護というこのお仕事に携わっていると、ふとした瞬間に私は、人として生きる上で誰もが必要な心の暖かさ、人から人へ伝わる感情の質量、というのを確かなものとして感じることがあります。

その瞬間は例えば、あるときには「ありがとう」や「また来てね」というような、言葉を伴う単純なものであったり、またあるときは、気管切開により自力発声ができない利用者さんが、満面の笑みで手をふって自分を見送ってくれた、などという形であったり、大小様々です。

実際にそのようなことは、「感情労働」とうたわれるように、そもそもが嵐のような負の感情が吹き荒れるこの業界の現場において、なかなかに得難い経験であり、それが得られるたびに私は、棚からぼたもちが落ちてきたような気分になり、ニヤリと気味の悪い笑みを浮かべたくなるのです。

洗練されたスーツに身をつつみ、エゴイスティックに自己の利益を追求することが美徳とされるこの世の中において、一見その真逆を行くこの業界に、私は魅力を感じるとともに、このお仕事に携われることを深く感謝しています。というのにも理由があるのです。

1990年代、武蔵野のベッドタウンにある、一般的な家庭に生まれた私は、誕生後間もなく母親が病に侵されたことなどにより、家庭が機能不全に陥り、行政の措置によって、児童養護施設へ入所することとなり、18歳の春を迎えるまでそこで生活をしました。

18歳まで、と言ってしまえば簡単に聞こえますが、私は生まれてから人間の「核」が形成するまでの、人の人生の基盤が作られる期間を、理不尽な規則やプログラムに縛られた場所で、慢性的な怒りを持て余した先輩方からの暴力や不条理を浴びせられながら過ごしました。

過酷な環境で年月を重ねるごとに、私自身も、心の奥深くにある核融合炉のような怒りが増していき、周りが予期せぬタイミングで突然怒りを暴走させ、いつ破壊行動にでるかわからないという不安定な小中学生時代を過ごし、エヴァンゲリヲン初号機顔負けのメンタルを手にした私は、自他共に認める「ヤバイやつ」でした。

長期に渡る情緒面での不調と、親との軋轢が重なり、大学は断念せざるを得ず、高校を卒業後は実家に頼らず一人で生きていくと決意し、さしあさっての収入を得るために、大手ゼネコンで現場監督になるというキャリアコースのもとに、建設会社へ就職しました。

しかし現実は冷たく、これまで自分が生きてきた、施設という閉鎖された空間で学んできたものや、自分の認知の歪み、社会のあり方、企業が個人に求める理想とのギャップに呆然と立ち尽くし、様々な苦痛や失意に翻弄されるうちに、瞬く間に心を病み、転職を余儀なくされました。 そうして人づてに流れ着いたのが、介護の仕事であり、ESLでした。

木々が青々と茂る夏の日の面接で、中野坂上のデイサービスの門を叩いた私に、認知症のご利用者さんが「なんだお前、やるのか?こらぁ。」と出迎えてくださり、洗礼を受けた時のことを、私は今でもはっきりと思い出せます。

私はこのお仕事に携わる以前、介護とは何か、という定義に対して、「ご高齢者のおむつを交換する」「タンバリンを叩いて歌を一緒に歌う」「暴れる方をとり押さえる(笑)」などという、漠然とした浅いものを想像していました。しかしデイサービスや訪問介護の世界にいざ足を踏み入れると、待ち受けていたのはご利用者の強烈なBPSDや、のっぴきならないSOSの嵐でした(内容は割愛させていただきます)。

通常の思考では通用せぬ世界に翻弄される日々のなかで、私のなかの既存の価値観や倫理観が、まるで幼稚園児の粘土遊びのように破壊と再構築を繰り返され、「どうしたらこの方々は言うことを聞いてくれるのか?いやそもそも何が正しくて何が間違っているのか?介護とはなにか?」ということを、畳の縁にそってぐるぐる歩き回る囚人のように自問自答を巡らす日々が続き、ESLの先輩方からの学びも経て、私の中の浅はかな定義「排泄、レクリエーション、問題行動への対処など」に「話を傾聴する、不安に寄り添いアプローチする、楽しい時間を共有する」「QOLの向上の手助けをし、自立を促す」などが蓄積され、やがてそれは、「生命と社会に関する自由と権利を尊重し、手助けする」というものに行き着きました。

その時から私は、この業界の「人の生」「人の尊厳」なるものを面と向かって問い続けるような、終わりのない哲学の旅に巻き込まれてしまいました。

荒廃した10数年を生きてきた私にとって介護の経験は、ときに自分の暗い側面と向き合わざるを得ないことや、自身の無力さによって、ご利用者に不幸な思いをさせてしまうという苦痛を伴いましたが、同時にある種の癒しや、「人が生きる上で必要な繋がり」のような大切なものを感じることができました。

周知のとおり、この業界の給料水準は決して高いとは言えません。そのために離職をしていく方々も度々おり、私自身も給料が低すぎると感じた覚えもありますが、ある種の自己利欲や権力を顧みず、まっすぐに福祉と奉仕の精神を遂行していく方々をみていると、私もそこに加わりたいと思うことが多々あります。

このお仕事で食べていくためには、きれいごと抜きの揺るぎない覚悟が必要ではありますが、人と人とのかかわり合いによって、金銭的報酬よりも感情的報酬が得られることに魅力を感じるという人ならば、このお仕事には普遍的な価値があると思います。

私は現在安定した収入を得ながら、この業界での自身のキャリアを模索しつつ、今後とも「全ての必要な人に必要なケアを」提供し、サービスを展開していくESLと、「介護とは」という不滅の問いに身を投じていく所存であります。

最後までご覧くださりありがとうございました。