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「聴く」ことの力―臨床哲学試論 鷲田 清一 (著)

「聴く」ことの力―臨床哲学試論 鷲田 清一 (著)

高浜敏之




学生時代に友人から紹介され、この本との出会いがきっかけで私は介護の仕事をしてみようと思った。

まさに私の人生の方向性を決定したといってもいい作品である。

本作品プロローグの一節を引用したい。


聴くことが、ことばを受け止めることが、他者の自己理解の場をひらくということであろう。じっと聴くこと、そのことの力を感じる。かつて古代ギリシャの哲学者が<産婆術>と呼んだような力を、あるいは別の人物なら<介添え>とでも呼ぶであろう力を、である。
わたしがここで考えてみたいこと、それがこの<聴く>という行為であり、そしてその力である。語る、諭すという、他者にはたらきかける行為ではなく、論じる、主張するという、他者を前にしての自己表出の行為でもなく、<聴く>という、他者のことばを受け取る行為、受けとめる行為のもつ意味である。そしてここからが微妙なのだが、<聴く>という、いわば受け身のいとなみ、それについていろいろと思いをめぐらすことをとおして、<聴く>ことの哲学ではなく、<聴く>こととしての哲学の可能性について、しばらく考えつづけたいと思うのだ。


このフレーズが、哲学研究者への夢をあきらめきれないでいた20代後半の私の心に深い振動をもたらしたのを今でも鮮明に覚えている。

自分を知り、世界を知る、そのために言葉を構築し、活発に議論した、そのような哲学的営為にこころなしか疲労を感じていた。

聴くこと、積極的受動性といってもいいかもしれない、に可能性を感じた。そしてケアの本質はこの、聴くこと、ではないかという予感のなかで、介護という仕事を選んだ。

予想どおり、ケアの場所は数多くの物語を聴く、出会いと感応にあふれていた。

このケアという仕事をとおして、聴くことをとおして、まだ名づけることのできない何かを学ばせていただいた。私にとっては、当初の期待を超えるものがあったように思われる。

そして、たしかにいい支援者はみんな、深く聴く、ことができた。

語ること以上に、聴くことの達人たちばかりだ。

いま私はケアの現場を離れ、福祉マネジメントを主な生業としている。かつての志を忘れ、ふと語りすぎている自分に気づき、自己嫌悪に陥ることもままある。

しかし、土屋訪問介護のチームのリーダーシップをとってる方々を見ると、みなさん雄弁な語り部というよりむしろ、聴くことの達人ばかりだ。

聴くことは、哲学やケア現場だけでなく、チームマネジメントにおいても最重要テーマかもしれない。

他者の物語に深く耳を澄ますことは、自分自身の中心に回帰する営みでもあるように思える。

自分自身の中心から遠ざかり、渇き、を感じた時になんどでも読み直したいと思わせる、大切なことを思い出させてくれる、私の中ではレジェンドといってもいい一冊である。