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障害者の労働 ― 新しい価値観を目指せ

障害者の労働 ― 新しい価値観を目指せ

古本聡



7月21日投開票が行われた参議院議員選で、山本太郎党首率いるれいわ新撰組から難病・ALS(筋萎縮性側索硬化症)患者の舩後靖彦氏と、幼い頃の事故で重度障害者となった木村英子氏が当選されました。大きな一歩だと素直に思いますし、お二人には全国の障害者の代弁者として大いに活躍していただきたく期待します。また、両氏がマスメディアに登場して自らの主張を公に表するようになったことは、国会の物理的なバリアフリー化を促しただけでなく、重度の障害を抱える人が働くための課題をあぶり出したようにも思えます。新聞、テレビ、ネットでは、これまで国民の大半が知ることもなかった「障害者総合支援法」、「重度訪問介護」といった用語を耳にし、「重度身体障害者」の実物を目の当たりにすると同時にその肉声が、まだまだ断片的ながらも、届けられるようになりました。

さらには、この障害者自立支援法による重度障害訪問介護制度には、重度の身体障害者らを対象に入浴や食事、外出などを介助・支援するものである一方、「通勤、経済活動(就労)にかかわる支援」は対象外という、障害者の自立を定める法律としては有り得ない手落ちと言おうか、矛盾点があることも、広く知れ渡ることになりました。

重度訪問介護制度は、先記支援法の基、国と自治体が費用の大部分を負担する介護サービスですが、舩後氏・木村両氏ともこれまで、これを受けて生活してこられました。しかしながら両氏が国会議員になった途端、同じサービスが全額自己負担となり、事実上、受けることができない状況に陥ってしまうのです。これは、さらに言えば、全国の就労を希望している重度障害者にとって、大きく立ち塞がるバリアとなってしまっている現実があります。つまり、自立したいといくら願っても、実際は制度に押さえつけられ自立への一歩を踏み出せない、ということなのです。

経済(就労)活動は対象外という矛盾点の他に、実はもう一つ問題点が重度訪問介護制度にはあります。それが「児童(障害児)は対象外」という規定です。この重度訪問介護制度は、そもそも地域における障害者の自立生活を求めた障害者運動の成果なので、成人障害者が主人公になってしまい、結果として障害児が置き去りにされてしまった、という成立の歴史から見て致し方無い面はあるでしょう。また、障害の有無に関係なく、自分の子どもは、各家庭、特に母親が世話をするべき、という昔の価値観も今の状況を生み出した要因の一つでしょう。しかし、ワーキングマザーが多くなり、育児が社会全体で行う事柄として政策も変わってきている現在、障害児を取り巻く状況も良い方向に変化して当然です。

今回、舩後、木村両議員の主張によって、重度訪問介護制度にスポットライトが当たったことを契機に、この「経済活動(就労)は対象外」、「障害児は対象外」という制度上の2つの大きな欠陥が見直され改められることを切に願います。

さて、この記事で筆者は障害者の就労、労働観、そしてそれらに対する世間からの視線について考えてみたいとキーボードに向かいました。私自身、40年以上もの間働いてきて、労働理念を転向しなければならなくなったことで味わった挫折感、仕事で関係した人たちへの、障害者ならではの警戒感やら、色々考えさせられることも多くありましたので、主にその視点からの話になると思います。

古来より世間一般では、「働く」という言葉は、多くの場合、「稼ぐ」という言葉と同一視されて使われてきました。そこでは、稼ぐ(げる)人と稼が(げ)ない人の間に、社会的価値と経済力の格差が常に生じてきました。そして、そんな社会にあっては、男女間の社会構成員としての価値や経済力に大きな差が生じやすく、また、障害者、特に就業が困難であると見なされる人は、稼げない状況に置かれる可能性が非常に高かったのです。そして稼げないという立場に置かれた人は、経済力の面からも、社会的価値の面からも、生きづらい状況に置かれてきました。

そうした社会での生きづらさ対抗するため、1970年台中ごろに「障害者にとっては、生きることが労働だ」とした、日本の障害者運動から出てきた言葉があります。この主張は、稼ぎを直接的にもたらす労働に価値を置き、その価値観から外れる人に低い価値づけをする社会のあり方への強烈なアンチテーゼとなったのです。生半可なマルクス主義思想にカブレた輩の戯言だ、と批判される場合も結構ありましたが、「生きているだけで人間は価値がある」という考え方は、それまでの古臭い価値観に大きな転換をもたらしたことは紛れもない事実です。

実は言うと筆者は中学・高校生の頃、一生、死ぬまでこれを信念にしていこうと考えるほどに、この考え方に強く傾倒していました。しかしながら、あれほど強固だと思っていた私の信念は、10年足らず後に脆くも崩れ去ってしまうのでした。大学を卒業するころ、また大学院に進んでからも、同期生たちが次から次へと名の知れた企業や官公省庁に就職していったり、将来に有利な講師の職を斡旋してもらったりする中、私は言いしれようのない焦燥感と孤独感を覚えていました。気が付けば、おいてけぼり状態だったのです。そして・・・。
「稼ぐこと」のみに大きな価値が置かれるのではなく、まず、一人ひとりが生きることに価値が置かれ、その上で、障害者も含め、個々人が「働くこと」を追及していくような社会が築かれること、それが自分の確固たる理念だったはずなのですが、私は意外にも容易くその信条を曲げ、食っていくための、稼ぐための労働へと転向してしまったのです。
あの時の転向を後悔しているわけではありません。あの転向があったからこそ精神的に成長できたし、また今のまぁまぁ満足できる生活があると考えています。でも、正直言えば、一度は深く信じたものを捨てざるを得なかった挫折感にも似たしこりが、未だに心の中にあるのは確かです。

あれから40年が経ちました。障害者の持つ労働観も大分変わってきているようです。ただ残念なのは、時代が移っても、労働(=働くこと)を稼ぐことから切り離して考えてみるということも、稼ぐことに価値が置かれている社会のあり方に疑問をもってみるということも、なかなか障害当事者にも、また広く一般にも知られる思想にはなっていないことです。そればかりか、今では、昔以上に、稼ぐ必要に迫られ、多くの人がそこに駆り立てられているようにも思えてしまいます。さらには昨今では、いかにして小さなコストで大きな経済効果を生むか、ということに価値観がシフトしてきて、人々はさらに追い詰められてきているのではないでしょうか。

ここで、話題を舩後、木村両議員のことに戻しましょう。
正直に述べます。私は両議員を初めてテレビ画面で見たとき、期待感もありましたが、それと同時に若干の驚き、そして戸惑いを覚えました。私はお二人のことを知っている訳ではありませんので、あの驚きと戸惑いは、おそらく、ご両人の身体状況を見ての反応だったと思います。そして、自然と次のような思いが沸いてきました――「利用されないよう、気をつけろよ。一発のインパクトで終わるなよ」、「国会のお飾りになり下がらないよう気を張って行けよ」、「国会議員は、障害者であろうともはや自らが配慮されるべき弱者ではなくれっきとした権力者だ。そのパワーを誰に向かって、そしてどのように振るっていくのか、熟考しろよ」です。

私は、大学卒業から今日まで翻訳・通訳業界に身を置いてきましたが、重度障害者だからこそ都合よく利用されてしまった、という経験を何回かしています。「客先巡り(営業)は、車椅子では大変でしょうからやってあげますよ」と親切ごかしに言われて任せたら顧客を取られたり、いつの間にか私の名前で全く無関係な会社が仕事を受注してたり・・・。色々ありました。人間不信に陥ったりはしていませんが、本業での人間関係には随分と用心深くなりました。決して自分のことではありませんが、仕事面で優秀で自分を強く主張できる障害者は利用しやすいと思われがちです。だからこそ、「利用されないよう、気をつけろよ」なのです。ましてや、何が棲息しているか計り知れない政界なのですから・・・。

「彼らが議場にいることだけでも十分素晴らしい」。そんな言葉がネットではちらほら聞こえ始めています。五体満足な人ばかりの世界に障害者、特に重度障害者が参入すると、最初は大変なインパクトとして受け取られます。しかし、しばらく経っても本人がおとなしくしていると、このような耳に優しい言葉が囁かれ始めるものです。このような現象は、ただただ人をバカにしているに過ぎません。舌鋒を休めてはなりません。主張し続けてください。仕事の質をスピード感をもって高めていってください。そして、その仕事ぶりを、広く私たち一人一人が分かる形で情報発信していってください。両議員にエールを込めてそう言いたいと思います。私は障害者だからといって、仕事の評価の水準を下げるべきではない、と考えているからです。

障害者だから不当に差別されるべきではないし、不当に優遇や配慮されるべきでもありません。 よりフェアな世の中を求める者として、また重度障害者でも平等に評価され、キャリアを積むことができる社会を目指してきた者として、舩後、木村両議員に大いに注目し応援しています。


【略歴】 昭和32年生まれ、脳性麻痺1種1級、6歳からの5年間余、旧ソ連の障がい児収容施設での生活を経験した最初で最後の日本人。早稲田大学商学部卒、大学院生だった25歳より英語とロシア語翻訳会社を経営。16年4月よりユースタイルカレッジにて障がい当事者としての講話を担当。