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安楽死

安楽死

安積遊歩



これほど自殺する人が多い日本社会において、安楽死という言葉の偽善性をずっと考えてきた。私達は死ぬことをあまりに恐れて安楽死という言葉を作った。しかし、どんな死でもたとえ、悟りを開いた行者の死でも、その死が安楽かどうかは誰にもわからないはずだ。昔はお年寄りのなかに、老衰という名の、枯れていくような死に方があった。ただたとえ老衰による死であっても、その死が安楽かどうかは本人でさえも、まして他人には判断が付かないはずだ。

安楽死は括弧付きでなければならない。誰にもわからないことを安楽と決めつける傲慢を、私達は自覚しなければならない。

ところで、私は身体に痛い思いをたくさんしてきた。あまりに痛かったから、死にたかったかと言えば、子供の頃そうは思っていなかった。痛くても、その痛みで身体は死にたいとは思わないらしい。痛い痛いと言って泣き叫ぶ私を、母も妹もよく聞いてくれた。
妹に、私は「痛い以外に発してた言葉はある?」と先日聞いてみた。「お姉ちゃんはよく死ぬー死ぬーと言っていたけど、死にたいではなかったな。」と教えてくれた。身体はどんな激しい痛みにあってさえも、その痛み自体で死ぬことはない。あまりに激しければ、気絶をすることもあるかもしれないが、その痛む身体は死を望んでいないし、死ぬことはできない。身体はどんな状況になっても生きることを望む。

それに医療も追いついて、死を望まない身体を応援して様々な技術が発達してきた。人工呼吸器や胃ろうやカテーテルで生きる人は、身体の声をよく聞き、生きる意志を持っている。

しかしこの社会には、人の身体には生きる意志があるという認識も、それに対する敬意も全くない。
それどころか身体の声を聞く前に、私達を取り巻く社会の徹底的に意地悪な声、つまり優生思想に追い詰められていく。その結果、この大量の自殺者となる。

私達は、優性思想に翻弄され痛みや呼吸の苦しみを感じ続ける人のそばに居続けることが全くできない。なんとかして、それらから自由になってほしいと強烈に願う。その願いが医療を発展させてもきた。だが、その分そこで戦い続けることに全く価値はなく、心の痛みさえ薬でなんとかしようとし続ける社会を作ってきた。

人の迷惑になってはいけないという言葉は、自分の身体や心の苦しみを分かち合ってはならないということを、呪いのように人の心に刷り込んでいく。
安楽死を望む人のほとんどが、人の迷惑になりたくないと言う。身体は生きたいと思っているにもかかわらず、迷惑という言葉で、心の痛みが増殖する。

人間という字が象徴するように、人は人の間で人間になる。ところが、迷惑という言葉が蔓延するこの社会にあっては、身体の生きようという意志さえ、迷惑とされてしまう。安楽死を願い推進する人々に強烈に足りないことがある。

それは、その人の存在を徹底的に肯定し、喜び、どんなにその人が死にたいと喚いても「辛いね、よく頑張っているよ」と言う風に聞き、時に声掛けをし、側に居続ける人々の群れだ。
それは、絶対に家族だけではなし得ないし、プラス若干の医療関係者だけでももちろん足りない。介助をする人達が、揺るぎなくその人の身体の意思を聞き続けること。その事が徹底的に求められている。

幸いなことに、私にはそれをしてくれた母と妹がいた。私がどんなに身体の辛さを言い募り、時には彼女たちに八つ当たりをして、罵詈雑言を浴びせても、彼女らは泣きながらそこに居続けてくれた。彼女らもどんなに辛かったことだろう。彼女らもまた私と共に、私の身体が生きようとして戦っているその戦いに参加し、見守り続けてくれた。彼女らがそのようにいてくれたおかげで、つまり「痛みや身体の苦しみで死ぬことはない」と聞き続けてくれたおかげで、安楽死という言葉の偽善と嘘が私には鮮烈によく見える。

重度訪問介護制度は、体全体で生きようとする人の戦いに参戦するための非常に賢い道具だ。介助をするひとは、時に言葉無く、表情や体で語る人たちのそばに居続ける。そしてコミュニケーションには、言葉以外の伝達方法がたしかにあることに気づいていく。その才能は、私たちが生まれた瞬間から誰でも持ってたものだが混乱し偏狭した大人たちによって、コミュニケーション=音声言語や文字言語と決めつけられてしまった。

私は、妹といると彼女が自分の体と私の体の間に境界線を持っていないかのような動きを感じる時がある。阿吽の呼吸という言葉があるが、彼女の介助には時にそれ以上の実感がある。命が境界線なく繋がっていく可能性、それを介助関係をつかって生み出す事が出来るかもしれない。

彼女は今ケアマネをしている。様々な、お年寄りの体に出会いながらある時「寝たきりのお年寄りの瞳の中に、一瞬生きる喜びが彷彿と湧き上がるのが見える時があるんだよね。本当に誰でも生きたいんだよ」とさらっと話してくれた。生まれた瞬間から2歳年上の私が注射や、手術、骨折の痛みで泣き叫ぶのを聞き続けてくれた妹。彼女にとっては「痛い、痛い」という言葉は「ここに居たいから泣くんだよ」と聞こえてたに違いない。 介助を通して、時に死の淵さえもぐるぐる回っていた私達。

私達2人にとっては安楽死という言葉は、冒頭にも述べた通りのものだ。安楽死という言葉で、死さえも消費至上主義に組み込もうとする、傲慢な優生思想社会の戦略なのだ。自殺で追い込み、次に医療という中で安楽死といい、またさらに命を踏み弄る。

私達に必要なのは安楽死の是非論ではなく、「生まれてきてくれてありがとう。あなたと会えて嬉しいよ」という、出会いの場の創出とそうした暖かい関係の拡散なのだ。