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重度訪問介護で平和をつくる part2

重度訪問介護で平和をつくる part2

安積遊歩



小学校5年から中学校1年の2学期まで施設で暮らした。ウグイス室という、名前だけは可愛い部屋だった。その約2年半の間、手術と骨折を繰り返し、一部の職員からは「ありがとう、ごめんなさい、すみません」を言うよう強要された。天井だけを見つめる寝たきりの日々。いつの間にかその天井の裏にはガス管が隠されていると思い出した。

ある時、皇族が慰問に来ることになった。彼らが通る場所だけ、改修が行われた。最初の慰問先に選ばれた私の部屋には、壁塗り替えのための職人達がしょっちゅう来るようになった。壁塗りの職人たちが一生懸命壁塗りをしている時に「ここの天井裏にはガス管が隠されていて、戦争になったらそこからガスが噴射され、私たちは死ぬんだよ」と真顔で伝えた。3人位いた職人達はみんな若かった。その内の一人がパテを落としそうになりながら、「お前頭いいな。そんなことなんで思うんだ?」と聞いてきた。

それになんて答えたかは覚えていないが、とにかく私は自分たちの存在は、戦争になったら真っ先に消されるという自覚は強烈にあったし、今もある。

5兆2574億と2兆22億円。この数字は日本の防衛費と障害児者の地域在宅福祉に関わる2019年度の予算である。そして約22万4422人の自衛隊員がいて、また日本に居住している障害児者の数は936万6000人。それを一人あたりで割っていくと、自衛隊員は年間約2347万5435円。障害児者には約21万3700円が使われている。もちろんこれは自衛隊員のそれぞれがお給料としてもらう数字ではない。また、障害児者の在宅福祉も一人一人に配られているわけでは全くない。ほとんどの障害児者は地域在宅福祉のサービス内容を知らない。知らないことと申請主義の壁によって、地域の中で悲惨な生活を強いられている人たちは後を絶たない。また防衛費の多くは戦闘機等の購入や演習によって消費され、命を守るお金ではない。

もし私たち一人一人が戦争をやめると決断し、全て対話で解決しようとするならば、全ての防衛費は必要がないと私は思うのだ。それを実行している国の一つが、コスタリカだ。防衛費という名の軍事費を無くし、福祉や教育にもっともっとお金を使うのは、夢ではないのだ。

だからといって、この場で防衛予算を一切やめて、全ての予算をすぐに福祉や教育にまわせといいたいわけではない。もちろん、そうできたらどんなにいいかと思ってはいるが、焦りは禁物。私にとって、自分の焦燥感ほど様々な葛藤を生み、まわりを混乱させてきたものはない。だから、焦燥感にかられてものをいうことは、徹底的に危険だということも随分学んできた。

ここで1番言いたいことは、人々がみんな幸せになるために、使えるお金はあるということなのだ。みんなが幸せになるためにどうすればいいか、ということを考えることは大切だ。そして考えるだけではなく、既にお金が何にどれだけ使われていて、その結果人々がどういう状況に置かれているかを見なければいけない。先にも述べた通り、人を殺めるためにお金を使わなければ、人が幸せになるために使えるお金はまだまだあるのだ。

それをきちんと見た上で、話を進めよう。人は幸せでありたいと思い、仕事をする。そして、自分のしている仕事が、他の人の役に立って欲しいと、心から思っている。にも関わらず、この世界は、幸せであるために一番に必要なのは、お金、お金と言ってくる。だから、みんなめちゃくちゃ働いて、お金を得ようと頑張ってきた。でも、お金がどんなに多くあっても、その働きによる分配と内実が人間的でない限り、どんなに仕事をしても、幸せにはなれない。

20代の頃、自衛隊の友だちが3人くらいいた。彼らは私たちが声をからしてチラシを撒いていた時に出会った人たちだった。「私たちの車椅子を押してください、駅にエレベーターができるまで!」とか、「私たちの生活を手伝ってください。ご飯を食べたい時に食べ、お風呂に入りたい時にお風呂に入りたいのです。あなたの手足を貸してください。」
彼らはそれを見て来てくれるようになった。彼らが休みの時一緒にご飯を食べたりお出かけをしたり、楽しい日々が一年ほど続いただろうか。

ある時彼らが寂しそうに、「来月からもう来れないんだ、転勤だからね。演習の度に物々しい戦車を運転したり、一発100万円もする爆弾をぼんぼんと撃ちまくっている時に、みんなを思い出すようになって、本当に心が痛い。なんのためにこんなことをしているんだろうと思うんだよね。みんな一生懸命生きているのに、僕たちは仕事ということで色んなことを見たり考えたりしない。できないんだよね。」

その言葉を残して彼らは去っていった。

同じ頃、公務員をしていた村役場の友人が、給料の中の防衛費として取られる税金、多分100円未満の少ない額だったが、それを不払いとするという運動を個人的にしていた。彼も20代だった。「話し合えばなんでも解決できる。どんなに問題解決が困難であろうと、武器を持っての解決は全く解決にはならない。それは子どもや障がいを持った人を1番先に傷つけてしまう。最悪だよね。」どんな風に彼が不払いを実行したのかも、どれくらいその個人的な運動が続いたのかもまるで覚えていないが、彼のその取り組みと勇気には、本当に驚かされた。

また世界には良心的兵役拒否の思想というものがあることも中学位で知った。ドイツには2011年まで徴兵制度があり、しかし同時に良心的兵役拒否のシステムもあった。それをした場合には、さまざまな福祉施設等のボランティアをすることで、兵役を免れたという。一年間施設でボランティアをしたドイツ人の友人によれば、「軍隊も絶対に嫌だったけれど、施設に住む人のそばにいてやはり自由がないなと感じて辛かったよ。」と、話してくれた。

自由、これは平和に生きようとするときにかけがえのないものだ。たとえ地球上から軍備や武器がなくなって、全てが話し合いで解決出来るような状況になったとしても、このお互いの自由への理解と尊重がなければ、障がいを持つ人にとっての本当の平和は来ない。障がいを持つ人の福祉を考えるときに、この平和と自由という視点が、時々すっぽりと抜け落ちている。

施設の中で食べたり寝たりが保障されているのだから、親としては安心ということで、施設が全国にどんどん増設された時期があった。そしてその解体が叫ばれ地域福祉が広がってはきたが、内容がなかなかに伴わない。

平和の視点を持った福祉が必要である。言葉を変えれば、福祉は平和の具体化、平和は福祉の実践によって作られるのだ。

近代社会は経済が不安になると戦争を引き起こして、経済の立て直しをはかるというパターンを繰り返してきた。それを止めるためにも介助制度は使えると私は思っている。2人の人間がお互いの自由を保障しあおうと実践する関係、それはこれまでの歴史に全くなかった仕事だ。似たものとして子どもに対する保育もあるのはある。つまり命に対する見守りが徹底的に必要であるという一点で。ただ子どもに対しては親だけがそれを担うべきという前提がある。その前提は、全ての人がお互いに、命への理解と尊重が大切だということを見えなくしてしまう。

私にとって介助制度は、戦争を止め、平和をつくるための仕事であり、子どもの育ちにとってもどんなに多くの人の助けが必要かを考えさせてくれるものだ。介助制度のさらなる展開は、真の平和を志向し続ける。


【略歴】
1956年、福島県福島市生まれ。生まれつき骨が弱いという特徴をもつ。22歳で親元から自立。アメリカのバークレー自立生活センターで研修後、ピアカウンセリングを日本に紹介。障害者の自立生活運動をはじめ、様々な分野で当事者として発信を行なっている。
2019年7月、NHKハートネットTVに娘である安積宇宙とともに出演。