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障害者の傷、介助者の痛み 渡邉琢(著)

障害者の傷、介助者の痛み 渡邉琢(著)

吉岡理恵



渡邉琢さんの本を読むのは二冊目です。一冊目は、『介助者はたちは、どう生きていくのか』でした。一昨年頃、事業所の課題図書として紹介され、仕事の一環と思って購入して読み始めたのを覚えています。当時の私は利用者・ご家族・ケアマネージャー・事業所のスタッフ達との調整役、いわゆるコーディネーター業務の真っ只中にいて、毎日がゲリラ闘争なのではというくらい想定外のことがおこり、神経も目尻もピンと張っていました。そんな中、ここまで私達の気持ちが分かる人がいるのかと思って前作を通読したのを覚えています。そして昨年冬頃に新作が刊行されたと耳にしたものの、いつの間にか時が過ぎ、先月やっと入手しました。前作同様、まさにこの世界の実情が淡々と冷静に語られていきます。重度訪問介護のコーディネーターという精神力、集中力、体力、事務処理能力、そして関わる人すべてに対する強さと優しさの絶妙なバランスを突くアドバイスを瞬時に求められる、これ以上難しい仕事はないのではないかという仕事を今も継続されている渡邉琢さんは、私にとってみれば大先輩であるものの、私自身がこの数か月コーディネーターという業務から遠ざかってしまったので、後ろめたさを抱えながら読み進めました。障害者の傷と介助者の痛み、この仕事をしないとこの言葉さえ解せないと思われるタイトルの本作は、障害者とその介助者、双方の埋まらない溝を現場の視点から一つ一つ丁寧に教示しています。介助者が君主(≒障害者)の使用人のような関係性になることもある重度訪問介護の現場のこと、施設における介護者から障害者への虐待、知的障害者の方の支援の最中に渡邉琢さん自身も拳を握りしめたときのこと。

そしてジュディス・ハーマンの『心的外傷からの回復』の考察が本作の最終章です。「心的外傷体験の核心は孤立(アイソレーション)と無縁(ヘルプレス)である。回復体験の核心は有力化(エンパワメント)と再結合(リコネクション)である。」という引用があります。私たちの誰もが心的外傷(トラウマ)がどこかにあると思います。そして他者から被害を受けていた時の孤独と辛苦は、記憶から薄れることもあります。しかしそうした傷がふとしたタイミングで蘇り、目の前にいる他者が傷を知らない無垢な存在に見えたとき、かつての被害者が目の前にいる他者にその立場を憑依させてかつての加害者の視点を持つようなことをしているのではと思うこともあります。この醜い自己に良心が咎めることもあれば、制御不能になって自覚のないまま繰り返したり、弱さゆえの自己保身として加害者であり続けていると感じさせる人もいます。介護の現場では、ケアを必要とする方々が受けた傷、ケアを提供する側が受けた傷、おそらくケアを必要とする方々の方が心的外傷の総量は多いと思います。その深く切り刻まれた傷が癒えることはなくても、癒す営みには挑み続けないといけないでしょう。それが、有力化(エンパワメント)と再結合(リコネクション)なのだとしたら、本書にもあるように他者を励まし関わり続けることがその価値なのだろうと思います。

本作でも紹介されている映画「道草」は、強度行動障害がありながら、地域で自立生活をする3人の主人公のドキュメンタリー映画です。映画ではほっこりするような介助の一場面と苦悩と葛藤を抱える当事者、家族、支援者がいました。障害者の方々が地域で自立生活をしていても、何らかで継続が難しくなったとき、次は施設、という神話があります。でも、施設入所の選択をしても施設で誰かがその方を看なくてはならないこと、もしその障害者の方がそれでも自立生活を望むなら日本自立生活センターはその障害者の方に寄り添わないと自立生活センターである意味がなくなる、とありました。

この本を読み進めていた最中、渡邉琢さんご本人と会う機会がありました。今関心のあるテーマについて聞かせていただきました。そのテーマは今は渡邉琢さんしか持ちえないだろうし、渡邉琢さんにしか表現できない言葉で今後私たちに聞かせていただけるかもしれないし、いただけないかもしれません。淡々と、静かに、この仕事を見つめて探求している、このような人が私たちの大先輩であることに、この仕事に対する希望が持てると思いました。


吉岡理恵

1981年東京都生まれ、東京都立大学経済学部卒業、大学在学中にオーストラリア、マッコーリー大学に公費留学、帰国後法律系事務所でOLとして働く、2014年東京都職場体験プログラムを機にESLのデイサービス、ユースタイル諏訪ノ森で介護職デビュー、2016年より常勤職員として土屋訪問介護事業所の重度訪問介護事業に参加し各地のマネージャーを務め現在に至る、2018年介護福祉士登録、OL時代にフルマラソンに挑戦し完走8回、趣味は料理と読書