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「仕事です。」ルールが差別に変わる時

「仕事です。」ルールが差別に変わる時

安積遊歩



「割引の切符買われましたよね。手帳見せてください。」
声だけは優しい。もちろん態度も暴力的ではない。
しかし私を完全に見下ろして、あまりにも「当たり前でしょう。」という調子の態度。
私の中の尊厳が呻いた。
「いや、見せません。見せなくていいんです。前にも上の人に言ってあります。」

10分くらい言い合った気がしたが、多分5分くらいだったかもしれない。名刺代わりの私のチラシを渡した。
「上司を呼んでくるからここで待っていてください。」という彼女に、「いいえ、私の家に来るように。」と言い残して去った。 札幌に来てからこの手の差別をよく受けるようになった。

私は車椅子に乗っている。63歳で、一種一級という数字が書いてある顔写真付きの手帳を持っている。それを見て判子を押すのがルールだというのだ。
しかし私は自分が差別だと感じた時にそれは差別だとはっきりと言うことにしている。それをする事で差別を少しでもなくしたいと思っているから。

差別は無知と尊厳を踏みにじる態度にある。
まず、割引を買うのに相応しいかどうか、自分が見ている人を信じることなく手帳の証明が重要だと言い募る。そこには、相手に対する想像力も思いやりもない。

電車に乗り始めた頃、手帳を見せなくても差別を受けた。駅員のほとんどが手伝おうとせず、最初の10年間は通行人に助けを求めて移動の権利を確保し続けた。そのうち駅員も手伝うようになったが、システムが強固でエレベーターのある駅の助役たちだけが手伝ってきた。
そのうち電動車椅子に乗るようになると、重いからということで助役ではない駅員たちも動員された。とにかく仕事としてやる方がやりやすいということなのだろう。
ところが、仕事となると「忙しい時間には来るな。」とか、「どこの病院を抜け出してきたのか?」とか、剥き出しの差別を言われることも多くなった。それに何より駅員を集めるためにこちらの事情は、考慮されずただただ待たされる。

自動改札機が出来て、窓口で切符を買う時の不快感から逃れられるようになったら、次はこの駅員たちの嫌な態度。確かに車椅子を運ぶという仕事はお互いにとってリスキーだ。友人も新宿駅で落ちて、九死に一生をえたことがある。2000年に交通バリアフリー法が通って以来エレベーターがどんどんできた。同時にリスキーさも減ってはいった。

しかし時々割引切符を購入して改札を通ろうとするときに、仕事としてそこに立っている駅員に捕まることが多くなった。「手帳を見せてください。」何も悪いことはしていないのに警察がしてくる職務質問のような感じ。その切符を購入していいかどうかを確かめてやるという思い上がりがそこにはある。

私が1番好きな言葉は対等だ。対等な関係を作ろうとする時、そこには差別を越えようとする努力がある。その努力の一つが、目の前にいる人ををきちんと見、声をきくこと。そしてそこにある関係性に尊厳を払うこと。

旧優生保護法は最大の差別法の一つである。その中に登場した加害者は、仕事なのだからということで、自分がしたことを悪いとは感じていない。仕事なら何をしても良いと思っているから。

ところで凡庸な悪という言葉がある。人間が仕事として行う数々の差別の中で、最大の差別が戦争だ。ヒットラーから言われたことを考えもなしに遂行したアイヒマン。なぜ彼は大量殺人を行えという命令に従ったのか。「仕事」だからだ。
それを喝破ししてアンナ・ハーレントが言った言葉だ。障がいを持つ私の日常には凡庸な悪が満ち溢れている。仕事だからということで、人を見ない。思いやりも理解しようという努力もなく、ロボットのように、「手帳を見せてください。」をくり返す駅員、、、、

仕事だからこそ、これまでの差別を越えて対等な関係を作るのにどうしたら良いのかを問い続けたい。私はこの社会が作るルールを、自分の尊厳を守るものにするために戦って来た。凡庸な悪に麻痺させられることなく、それは差別だとこれからも向き合い続いける。


【略歴】
1956年、福島県福島市生まれ。生まれつき骨が弱いという特徴をもつ。22歳で親元から自立。アメリカのバークレー自立生活センターで研修後、ピアカウンセリングを日本に紹介。障害者の自立生活運動をはじめ、様々な分野で当事者として発信を行なっている。
2019年7月、NHKハートネットTVに娘である安積宇宙とともに出演。