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暇と退屈の倫理学/國分巧一郎(著) 朝日出版社  

暇と退屈の倫理学/國分巧一郎(著) 朝日出版社

八木橋武尊




本書を読むきっかけは当社一の哲学者である高浜さんの勧めで、暇と退屈の倫理学というタイトルを見た瞬間から私の脳細胞が拒絶していたのですが、気づけば興奮して読んでしまえる一冊でした。

『 人間の不幸などというものは、どれも人間が部屋にじっとしていられないかがために起こる。部屋でじっとしていればいいのに、そうできない。そのためにわざわざ自分で不幸を招いている。 』/ブレーズ・パスカル

そもそも幸せとはなにか?

そもそも不幸とはなにか?

人間の欲望と欲求、そして本性にも思える人間の不思議に、哲学的な視点で説いたこの本は、まさに目から鱗でした。

「なんとなく、退屈だ」

皆さんも心の中でつぶやいてしまったことはありませんか?
その「退屈」ですが、遡ること今から約一万年前、人類が狩りをしながら移動して暮らす遊牧生活から、安全と安定を求めて家や村をつくり農耕をする定住生活が始まったころに生まれたそうです。

人間の進化とともに文明が発達し、より豊かな生活になる が故に
「刺激」がなくなり、人間は「退屈」をするようになります。

『ウサギ狩りに行く人は、ウサギが欲しいのではない』/ブレーズ・パスカル
『人間は自由を求めるが、自由から逃れるためなら奴隷にさえなりたがる』/ブレーズ・パスカル

パスカルさん、その心は!?

有名な哲学者達が、暇と退屈について鋭く痛快に説いて実に愉快なので、是非本書を手にとって読んでいただきたいです!

ちなみにですが、「暇」とは客観的なもので、自由な時間、余暇ということ。
「退屈」とは主観的なもので、何かしたい、でもできない、という感情のことをいうそうです。

退屈とはある意味「苦痛」
余談ですが、これは私が今携わっている重度訪問介護にリンクするところがあります。

重度訪問介護ヘルパーは基本的に「見守り」を主体としたサービスであり、長時間利用者のそばにいて、なにかあったときに手を差し伸べるという特性があるので、なにもなければ「ただそこにいる」だけの存在です。

夜勤現場に初めて入って数か月がたったころ、私はこう思いました。

「もう他の仕事なんてできない」

夜勤とは基本、利用者が良眠できるよう静かに佇みながら気配を消し、見守ります。
朝まで何事もなければ10時間拘束でも実働せいぜい4時間、5年前の私はまだ非常勤で時給1700円でしたが、退屈な見守り6時間分も換算されるので当時は実働4時間で1万7000円というなんとも得したような気分でいました。
しかし…なにもしない、できないというのは今思うと苦痛だったと思います。

実に退屈な6時間は苦痛ですが、利用者が起床し一緒に朝のテレビを観ているのは格別「暇」です。同じ空間で同じところに意識が向かい、お互い自由な時間を共有している一体感。そして時間がくれば次のヘルパーがきてあいさつと引き継ぎ説明、朝日を浴びながら帰宅しベランダでビールを飲みながら煙草をふかす。
こんな暇で退屈な生活を約1年半続け、「今」の私に至るまでのプロセスをたどっていくと、「自由から逃げ出し、自ら奴隷になりたい」という本書でいう本能的な部分が働き、高浜さんからの常勤オファーに応じたのかもしれません。