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路上と差別 女性ホームレスMの場合

路上と差別 女性ホームレスMの場合

高浜敏之



Mさんとは10年くらい前に出会った。

路上生活をしていたMさんに支援グループの仲間が声をかけ、生活保護受給とその後のサポートをさせていただいた。

Mさんは軽い知的障害と重度のアルコール依存症だった。居宅生活がはじまると同時に病気の治療に取り組む必要があり、時折通院同行などをさせていただいた。

ホームレスになる前にMさんは何度も救護施設のようなところに入所したが、集団生活に馴染めずすぐにそこを脱走し、また再び路上に戻った。

今回は本人の強い希望もあり、アパートで暮らしながら病気の治療に取り組むことになった。

私は彼女の生活のアフターフォローを担当し、月に1回くらい喫茶店でお茶をしながら近況を話してもらった。

極度の寂しいがり屋のMさんにとっても安心できる関係の中で自分の経験をシェアできる時間は楽しみの一つだったようだ。

必ずMさんが繰り返し、笑いながら話すことがあった。

「はまさん、年末のクリスマスあたりになるとさ、30人くらいお客さん取らされてさ、帰りのタクシーの中でさ、おしり痛くて椅子に座れないのよ。ひどいでしょ、あははは。」

笑いながら、まるで持ちネタの冗談を披露するかのように、毎回話した。

Mさんは若いころからずっと、性産業の世界で生きてきた。

40を過ぎた彼女は路上で生きていた。

多くのトラウマサバイバーがそうであるように、Mさんの話題はこの痛みの経験の上空を、何度も何度も、繰り返し繰り返し、旋回した。

「はまさん、年末のクリスマスあたりになるとさ、30人くらいお客さん取らされてさ、帰りのタクシーの中でさ、おしり痛くて椅子に座れないのよ。ひどいでしょ、あははは。」

毎回この話をするので、正直私も、またか、と思いつつ彼女の話を聞き流していた。

或る時、会食したあと、別れ際に、Mさんが、ちぎれんばかりに手を振っていた。何度も何度もこちらを振り向いては、ちぎれんばかりに手を振っていた。姿が見えなくなったあと、彼女の話の記憶が蘇った。

「はまさん、年末のクリスマスあたりになるとさ、30人くらいお客さん取らされてさ、帰りのタクシーの中でさ、おしり痛くて椅子に座れないのよ。ひどいでしょ、あははは。」

彼女の傷が私に転移したのだろうか。つんざくような痛みがやってきた。下を向いた。

路上に涙がこぼれ落ちた。

止まらなかった。

路上に涙がこぼれ落ち続けた。

涙の中に血が混じっているのではないかと思うほど、痛かった。

涙がこぼれ落ち続けた。

Mさんは東京のとある生活困窮者の方々が暮らす地域の出身だった。彼女の詳しい背景について私は知らなかった。知っていたのは、軽い知的障害があること、若いころからずっと性産業の仕事についていたこと、私が出会ったころは路上で生活せざるをえない状況であったこと、それだけである。

押し流されるようにしていまがあるMさんの背景に、差別と困窮の痕がみえる。

Mさんを不幸と決めつけたくはないし、そうではないと信じている。MさんはMさんなりに自分の幸せをしゃにむに追求していた。時に周囲を巻き込みながら幸せを追い求めていた。

Mさんには異なる人生の歩みはあり得なかったのか、なぜMさんは性産業という仕事を選ばざるをえなかったのか、路上生活を選ばざるをえなかったのか、何があったら、別の道がありえたのか、彼女にとっての必要なケアとは、どんなケアだったのか。

笑みを浮かべながら、ちぎれんばかりに手を振っていた彼女の姿を忘れない。

忘れてはいけない、と思っている。



高浜敏之
土屋訪問介護事業所GM。ユースタイルラボラトリー株式会社COO。全国障害者在宅生活支援事業者連絡会代表。慶応義塾大学文学部卒。哲学科美学美術史学専攻。20代は様々な職業遍歴を経て、30歳で重度訪問介護というサービスと出会い、福祉の仕事をスタート。それと同時に日本の障害者運動のパイオニアである新田勲さんが代表を務める全国公的介護保障要求者組合の事務局を担うことに。30代はホームレス支援、移住外国人労働者支援など社会的マイナリティーの権利回復運動にコミット。その後東京都中野区にあるグループホームでの介護職員を経て2012年5月にユースタイルラボラトリー株式会社の立ち上げに参加。デイサービス土屋中野坂上の管理者、生活相談員を経て土屋訪問介護事業所やユースタイルカレッジを立ち上げる。現在は土屋訪問介護事業所を統括しながら事業者ネットワークの発起人として活動する。趣味はボクシング、アート、文学、など。