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感情労働②カッツの法則

感情労働②カッツの法則

吉岡理恵



当社の新入社員オリエンテーションで習う法則があります。それはロバート・カッツというハーバード大学の元教授が提唱した法則で、マネジメントにおいて必要な能力を「テクニカル・スキル」「ヒューマン・スキル」「コンセプチュアル・スキル」の3つに分けて整理したものです。組織の階層別に必要とされるスキルは3つだが、どの階層に今自分が所属しているかで必要とされる能力の割合が異なるという非常に明晰なモデルです。そして、どの階層に属していても、ヒューマン・スキルは常に同じ割合で必要とされると図式化されていて、言い換えると経営者にも従業員にも不可欠な能力ということになります。

さてこのヒューマン・スキルですが、いろいろな和訳をすることができると思います。まずは、コミュニケーション能力でしょう。コミュニケーション能力の第一歩は挨拶であり、挨拶に重点を置いているマネージャーのチームは訪問した時の清々しさがあります。大きな声で最後に「っ」が入るような挨拶は訪問したこちらも引き締まり、その場の空気が曲線から垂直に変わるような一体感があります。とてもいい習慣ですが、日本では、挨拶は声に出す行動である、というステレオタイプがあるように思います。というのも、欧米文化圏での挨拶は、声に出すことと、そして目が合ったときに微笑む、という二つの習慣があるからです。声に出す挨拶は、顔と名前を知っている仲間内でしかできないようなところもありますが、目が合ったときに微笑む、という挨拶はたとえその相手が見知らぬ人であっても、その人に対し見知らぬ間柄ですがあなたは私の敵ではないですよ、というメッセージを送ることになります。そして、重度訪問介護の現場では、特にALS(筋萎縮性側索硬化症)の利用者とは、このアイコンタクトでのコミュニケーション能力が求められます。目は口ほどにものをいう、という諺はありますが、それは言語コミュニケーションがあってさえ、という比喩で、通常は非言語より言語を使うコミュニケーションの方が圧倒的に賢く意思伝達ができます。そして、ALSの方とは文字盤または口文字を用いて言語コミュニケーションを取ることが多いです。この文字盤と口文字、ヘルパーは絶対に読み取らないといけません。それは、そのコミュニケーション手段でしか利用者が自分の意思を伝える手段がないからです。そしてヘルパーが絶対にしてはならないことが、苦手だからと逃避してしまうことです。なぜならそれは利用者の意思を奪うことに繋がるからです。

そして、ヒューマン・スキルの訳語として当社のスタッフが自然と口に出しているのが、人間力、という表現です。どのポジションにおいても、この仕事はその人そのものの人生経験すべてが問われるように感じています。履歴書に書いていない事柄まで含めての人生経験です。そして重度訪問介護が、利用者そしてその関係者への居心地のよさ、を提供する仕事であると仮定すると、その解が見えてくるような気がします。関係者は、ご家族であり、上司・同僚・部下であり、組織であり、といったところでしょうか。利用者は自立生活をしている方だけではなく、ご家族と同居されている方もいらっしゃいますので、利用者への居心地のよさの提供は、その日のその家において、ご家族への対応も含む、ということになります。夫婦喧嘩や親子喧嘩の日に遭遇してしまったヘルパーは、家庭内の緊迫した空気の中でどんなにヘルパー自身が気まずかろうと、そこに居合わせた全員の居心地の悪さをこれ以上悪化させないように細心の注意を払います。イライラしている奥様の前で、ご主人の前で、お子様の前で、自分の粗相は何一つないようにと祈りながらの今日の仕事を始めます。また、利用者が事業所自体に何らかの疑問や不満があったとき、ヘルパーは介護現場でその理由を聞かれます。そしてそれが他のヘルパーのことであっても、上司や組織のことであっても答えに窮することが多いです。それは、事実でも事実でなくても謝らないと収拾がつかないときもあれば、誰も悪くならないような丁寧な返答を要するときもあるからです。事業所としてはこうした対応を求められたそのヘルパーに対し、申し訳なさという償い以外のものは思い浮かびません。ケアの終わったそのヘルパーに、担当コーディネーターは謝り、なだめ、話を聞き、慰労と感謝で最後を締めくくります。そして、その担当コーディネーターも、利用者のことは悪く言えず、組織のことも否定できず、言葉を選んでそのスタッフの気持ちを癒し、次のケアへ気分新たに送り出せるよう励まします。書いていて思います。自分も通った道ではあるものの、この感情労働は並大抵の精神力ではできないなと。

だからこそ、この人間力、という言葉がしっくりと当てはまり、人間力の高いスタッフから成る精鋭部隊が当社の全国各地の事業所にできあがってきたのだろうと思います。それほどに、この重度訪問介護は質の高いコミュニケーション能力が求められます。職員募集のウェブサイトに、学歴、職歴、経験問わず、と表現しているのはこうした理由からです。やっていることは日々の日常所作ですので、そこまでの専門性は求められません。自分が常日頃行っていることを、他人に違和感なく、できれば他人が気持ちいいと思えるようにするだけなのです。しかしながら人間力は、履歴書の文字情報から見出すことは難しいです。なぜならこの能力は、お客様である利用者からの質問に対し、その答えを自分が知っていたとしても自分が属する組織の為に今は返答しない方がいいと判断するなら、利用者を不愉快にさせないために、「私はそれを知らないんですけど…」のあとに続く言葉の選択力ともいえるからです。そして、この言葉の選択を間違えない方は、次のポジションに行っても十分な対応ができます。コーディネーターとして、介護現場で働くスタッフに対して、答えと判断に迷う質問に対する回答案を、またはそのスタッフが利用者にうまく返答できなかった不甲斐なさに対する共感を、適切な言葉で示すことができるのです。これは、カッツの法則に対する、重度訪問介護現場での実証であり、重度訪問介護従事者の採用の難しさといえると思います。


吉岡理恵

1981年東京都生まれ、東京都立大学経済学部卒業、大学在学中にオーストラリア、マッコーリー大学に公費留学、帰国後法律系事務所でOLとして働く、2014年東京都職場体験プログラムを機にESLのデイサービス、ユースタイル諏訪ノ森で介護職デビュー、2016年より常勤職員として土屋訪問介護事業所の重度訪問介護事業に参加し各地のマネージャーを務め現在に至る、2018年介護福祉士登録、OL時代にフルマラソンに挑戦し完走8回、趣味は料理と読書