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人生観を変えてくれた人、二日市安さんとの出会い①

人生観を変えてくれた人、二日市安さんとの出会い①

古本聡



誰しもそうだと思いますが、感性が鋭くなっている日々を過ごしている人生の一時代に、あるいは自分が世の中の矛盾やら不条理に押し潰されそうな日々を鬱々と過ごしている時、自分よりずっと過酷な生い立ちや境遇の人たちと出会うことによって、人生に新しい視座や価値観がもたらされる場合があります。私にとってはそれが二日市安(ふつかいち やすし)さんとの出会いでした。本当に残念なことに、この二日市さんは11年前に亡くなられてしまいましたが、私は今でもこの方を「魂の師匠」と、自分の中で呼ばせてもらっています。

先ずは、手短に二日市さんのプロフィールを記しておきます。
二日市安(ふつかいち やすし、1929年~2008)、ペンネーム:後藤 安彦(ごとう やすひこ)、翻訳家、歌人。兵庫県西宮市生れ。 先天性脳性麻痺。また、二日市さんは脳性麻痺者同人誌「しののめ」、後に障害者運動団体「青い芝の会」発起人の一人であり、中心的な役割を担った障害者組織を列挙すれば、「国立身体障害者センター更友会」「障害者の生活保障を要求する連絡会議(障害連)」、「革新都政を支える身障者連合会(革身連)」、「障害児を普通校へ・全国連絡会」、「自立生活センターHANDS世田谷」、「BEGIN障害者総合情報ネットワーク」など、まさに日本の戦後障害者運動の歴史を刻んできた人だと言えるでしょう。ちなみに奥様は、車椅子のミステリー作家で1957年に推理小説『猫は知っていた』により江戸川乱歩賞を受賞された二木悦子さんです。

知り合いからの紹介で初めて二日市さんにお会いした当時、私は、主に身体障害を理由に、数十社に対する就職活動に見事に玉砕してしまって、先の見通しを立てようにも精神的に疲れ果てていました。自立するには経済的基盤を築く必要があり、そのためには、周囲の障害者ではない同期生と同じように、会社に雇われ収入を確保することが先決問題だと考えていたのですが、そこに立ち塞がったバリアが余りにも手強く、あたかも自分の全てが否定されてしまったかのように感じていました。また、それまで微力ながら携わってきた障害者自立生活サポート活動や反核運動を続けていけるかどうか、続けていくとしたらどうやって続けていこうか、ということでも悩んでいる時期でもありました。

今でも鮮明に思い出されるのは、世田谷区砧にあった二日市ご夫妻のご自宅に初めてお伺いさせていただいた時のこと。あれは確か、ちょうど今時分の、夏の熱が失せた風が心地よい初秋の日でした。初対面の私を温かく迎え入れてくださり、夜半ごろまで私の、今から考えれば実に青臭い愚痴のような話を、おやつと晩御飯、そしてコーヒータイムを挟みながらご夫婦で聞いてくださいました。

あの日、二日市さんご夫婦に相談に乗っていただいた事柄を幾つか思い出してここに書いてみようと思います。先ず、私が将来への展望について迷い、悩んでいたことについて、二日市さんは、やや発語障害の症状がある中で、穏やかに、けれど明瞭にこう答えてくださいました。

『僕(二日市さん)は、自分のために生きています。そして君(筆者)も同様に自分のために生きているのです。就職のことにしても障害者開放活動、反核運動にしても、周囲の人たちがどうするかをあまり重く気にする必要はないんじゃありませんか。今持っている力量で何ができるか、ということよりも、君が今後、力を身に着けていきながら何をしていきたいか、何を実現させていきたいかに重きを置いて考えてみてはどうでしょう。経済的基盤造りが先決だと思うのなら、そうすればいいのです。仕事は雇われなくても、色々選び代があるものです。例えば、翻訳という仕事もあります。私が英語を独学で習得して最初に頂いたお仕事がヘリコプターの整備マニュアルを、英語から日本語に翻訳する、というものでした。初めは珍紛漢紛でしたよ。見たこともない専門的な単語が並んでいたわけですからね。あの頃の私に比べれば、君は英語とロシア語をマスターしていますし、アルバイトながら実務経験も多少なりともあるでしょうから、もう今の時点で、全くの初心者よりも大分リードしているんですよ。得をしているんですよ。ただ、アドバイスとして「恣意的」というか意図的』に生きて働くことをお勧めします。弱者に分類される私たち障害者には、そういう生き方が許されると思っています。言わば、私たちの特権です。』

話が青い芝の会の活動に及んだ時、私は二日市さんに尋ねてみました。
『会の運動の中で、健全者は障害者の手足としてうまく使え、と言われました。初めは全く訳が分かりませんでしたし、今でも何か引っかかるものがあります。改めて意味を整理して知っておきたいのですが・・・。』

二日市さんは微笑みながら、次のように答えてくださいました。



続きは本日の17時にコラム&ニュースにアップされます。
お楽しみに!!


【略歴】 昭和32年生まれ、脳性麻痺1種1級、6歳からの5年間余、旧ソ連の障がい児収容施設での生活を経験した最初で最後の日本人。早稲田大学商学部卒、大学院生だった25歳より英語とロシア語翻訳会社を経営。16年4月よりユースタイルカレッジにて障がい当事者としての講話を担当。