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人生観を変えてくれた人、二日市安さんとの出会い②

人生観を変えてくれた人、二日市安さんとの出会い②

古本聡



『障害者は長い間、弱者の立場に置かれてきました。その時間は長すぎた、と言っていいでしょう。その間に、障害者は、自分で考えなくても、ただ待っていたら、何でもかんでも誰かが、廻りの人たちがやってくれると思うようになってしまったようなのです。 そういう癖がついてしまった、というか傾向が強くなってしまいました。それゆえ、障害者解放運動も生活も、下手をしたら健全者ペース、親ペースになりかねないのです。自己判断、自己主張し続けていかなければ、周囲の人たちに力負けしてしまいます。だから、青い芝は、自分たちによる自分たちの為の運動をやるために、「私たちの周囲、側にいる健全者は考えてはいけない。 障害者の手足になってほしい」と訴えているわけです。これがいわゆる「介助者手足論」です。つまり、障害者運動に関わる諸活動の範囲内においてのみ周囲の健全者は、障害者の「手足」に成り切ってくれ、ということなんですよ。けれども、障がい者にも色々な性格、考えの人がいますから、その原則を中々徹底させられない現実があるのも確かです。20年間、30年間と、施設に入っていたり、親の全面的な庇護のもとで暮らしていた障害者が明日から自立します、当事者の自己判断、当事者ベースでやっていきます、と言ったところで、状況を正しく理解しきれていない当事者が結構多いのです。我儘=自己判断、と思ってしまうようです。そして、劣等感と権力欲,徹底的な人間不信と、それに矛盾するような妙な甘え心,嫉妬と友情への渇望,他者への反抗と執着・信頼,これらのものがグチャグチャになって渦を巻き,それは壮烈なまでの葛藤と軋轢、摩擦を人と人との間に生じさせてしまうのです。こういう「初心者」または、中途半端に運動をやってきた障害者は、支援者である介護・介助者ならびにボランティアヘルパーは奴隷だ、そう扱ってもいいんだ、という感覚を持ってしまうようですね。一言で言ってしまえば、人間関係が分かっていないのです。これは大きな間違いです。』

『青い芝は、介護・介助者を奴隷とは決して言っていません。運動に関わる活動と生活は別なんです。確かに、運動においては、介護・介助者一歩下がって障害者の手足になり、口も出すな、と言われています。その一方で、日常生活では、障害当事者と介護・介助者の関係は対等公平であることが大前提です。介護・介助者と障害者とは、人格ある者どうしの対等な関係。 青い芝は言っています。自分だけが観て楽しむテレビが買える金があるなら、美味しい食べ物やお酒を買って周囲と分かち合え、少しでも時間があるのなら、介護・介助者と話をしてコミュニケーションを図れ、とね。』

次に私が出した質問は「障害者とその親、両者間の関係」についてでした。青い芝会員の中には、時折、親(特に母親)は最大の差別者だ、と言う人がいます。私も親(直接的には父親)にはひどい目に遭わされた方だと思っています。父は元々から障害者を嫌悪していたし、私はそういう父に、大学受験の3か月前に、些細な口論から昔の重い黒い固定電話の本体で頭を数回殴打されて1か月間の入院を余儀なくされたりすることがあったので、決して親は皆優しく、障害者の味方などとは考えてはいません。が、これはケース・バイ・ケースで考えるべきことだと思う、と私が尋ねたところ、二日市さんの説明は、概ね次のようなものでした。 『障害児の親は、身内、そして他人から「障害児を産んだ、良くないことをした存在として差別される対象なんですよ。また、それと同時に、障害を持つ子供を差別する主体でもあって、そのことに割り切れず、戸惑いを感じ 「自閉」して しまうようです。その中で父親は自分の子供に攻撃的なるか、もしくは無視を決め込むことが多いようです。その一方で、障害児を産んだ罪障観を持つ母親は、子供の養育を一手に任され、それに全責任を負いながら、世間から家全体が後ろ指をさされないよう、必要以上に一所懸命に育児に励むのです。そしてこのような「育児」は、子が大人になった後でも続けられてしまうのです。それを、障害を持った自子への、健全児のいる母親よりも深い愛だ、と感じてしまうのです。しかしながら、そのような「愛」は、決して障害児自身のためにはな らず、障害児を自立させないし、逆に、自立を希求する障害児と母親との激 しい葛藤・対立を発生させてしまいます。本当に愛情溢れる家庭を、障害児のためにも作り出そうとするなら、親は世間体やら罪障感を捨て去り、周囲の価値観に依存するのを止めて、障害を持った自子「代弁者」にならなければなりません。しかし、それは中々難しいことなのです。差別や偏見は赤の他人よりも、実は家族から起っているのかもしれませんね。 「障害のある子を受け入れる」というのは、実は、「障害のある子を認めたくない自分を親が受け入れる」ことなのかもしれませんね。』

私がこの記事に書いた事は確かに古いと、自分でも思います。制度も、障害者運動も今は変わっています。しかしながら、こういう考え方があったからこそ現在の介護制度が実現した、という事実を今一度思い起こしておきたいと考えた次第です。私より若い世代の利用者さん、そして介護・介助者に読んでいただければ、と思います。




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人生観を変えてくれた人、二日市安さんとの出会い①  

【略歴】 昭和32年生まれ、脳性麻痺1種1級、6歳からの5年間余、旧ソ連の障がい児収容施設での生活を経験した最初で最後の日本人。早稲田大学商学部卒、大学院生だった25歳より英語とロシア語翻訳会社を経営。16年4月よりユースタイルカレッジにて障がい当事者としての講話を担当。