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『身体のリーダーシップを取る』

『身体のリーダーシップを取る』

安積遊歩



わたしは自分の身体が本当に大切だとしみじみ思っている。骨が弱く、何度も骨折を繰り返してきたこと。それでも骨折を恐れて閉じこもるのではなく、車椅子を取得し、行きたいところには行き、言いたいことは言い、やりたいことをやってきた。その上四〇才で出産もし、娘を同志と思い生きてきた。同じ障害を持つ彼女には、私とは全く違った医療や教育環境を保障したいと頑張ってきた。それもこの体だったからこそ考える事の出来た大事なこと。

しかし私自身はその体の特徴を持って生まれたことで様々な虐待にもあってきた。その虐待の1番最初のものは、「この治療を受けなければ死ぬぞ」という「死への脅し」だったと思う。

生後40日目で、「この子は三カ月も持たない」とか、「持っても3歳か6歳までだ」とか言われて、男性ホルモンを隔日に投与された。「これをしないと死ぬかも」と言われて、母は2年間、私をおぶって病院に通った。

12歳のときに私は、それらの脅しが本当なのかどうか医師に質問してみた。
そのとき私は、治療の成果を見るということで裸にされ、何枚も何枚も写真を撮られていた。その場にいた看護婦たちが「ブラジャーがあった方がいいかも」とヒソヒソ声で言っていた。わたしは、その指摘の方がさらに屈辱と感じ、聞こえないふりをし、医師に「どうせわたしは20歳まで生きないのでしょう?」と聞いてみたのだ。彼の答えは、速攻だった。「20歳で死ぬわけがない。」「でも、小さいときに、何度も言われてました。」と私も反撃。彼はさらにわたしを軽蔑したような目で見て、「生きるよ。20歳で死ぬわけはない。」と吐き捨てるように言った。

今考えれば、彼の軽蔑の眼差しは、わたしと母に対してそれを言い続けた医者達への軽蔑だったかもしれない。しかしそのときのわたしは、ブラジャー云々のヒソヒソ声を止めたい気持ちと、どうせ20歳まで生きないのなら、裸にされるこの屈辱はすぐ終わると思って勇気を持って聞いてみたわけだ。それに対しての医者の答えは、さらなる侮辱だったから、わたしはその場で凍りついた。

数々の虐待を受けたが、この医者達からの「死への恐喝」も酷いものだった。10代になる前は、20歳まで生きないのだと怯えていたし、「死ぬわけはない」と言われてからは、医者への不信感と無力感の塊になった。
人間の生死を左右する力もあるかに見える医者たちが、赤ん坊とその親に向かって誕生直後に死の予告をする。それだけでも大変なことなのに、その上治療と称して様々に体への介入もしてくる。

特に障害を持っているとみなされた場合、あの時代は命を守ってあげたいという気持ちよりも、医者としての向学心や探究心を満足するために私たちの体はいじられ、。使われたと思う。もちろん、60年以上も前の話だ。証明する術はないのだが、、、、

そして13歳のときに私はこうした虐待的医療からの決別を決意。医者達から命がけの治療を受けるよりは、たとえ痛みが酷くなったとしても自分の体に対するリーダーシップは自分で取ろうと決断した。その後、医者にかかることはほとんど無かったが、娘がお腹に来てくれた事で、帝王切開で産むのが1番と考え、ようやく医療との関係を再構築しようと思えるようになった。

そして出会った医者たちには、娘の体にメスをふるう必要はなく、ギブスさえ要らないと考えているなど、自分の考えを明確に持ち、それを伝えてきた。本来野生の動物達は、骨折したらじっと動かずに自分で直してしまう。人間もそれができるのだ。
私にとって医療は、考えに考えて、医者との関係を作りに作って関わるべきものだ。

自分の体は自分のもの。これはもともとフェミニズムの主張であるが、医療に対しても私たちはそれを忘れてはならないと思う。その自覚が無ければ、どんな治療も有効には、なり得ない。ところで、医療界もほとんど男性社会であるから、フェミニズムの主張が有用で有効なのは当然だろうか(笑)


【略歴】
1956年、福島県福島市生まれ。生まれつき骨が弱いという特徴をもつ。22歳で親元から自立。アメリカのバークレー自立生活センターで研修後、ピアカウンセリングを日本に紹介。障害者の自立生活運動をはじめ、様々な分野で当事者として発信を行なっている。
2019年7月、NHKハートネットTVに娘である安積宇宙とともに出演。