「去年の振り返りと今年の目標について」

土屋訪問介護事業所 ゼネラルマネージャー 中原 洋



2020年は激動の年だった。
2013年に私が当社に入社してから最も苦しい年でもあった。
誰もが予想できないことが起きた。
厳しい選択を何度もしなくてはならなかった。
多くのものを失った。

しかしそんな危機的状況だからこそ大切なことに気づくことができた年でもあった。

どれだけ私がこの会社の可能性を
一から築き上げてきた事業のことを
そしてこれまで共に歩んできた仲間のことを
こんなにも大切に、こんなにも守りたい、と思っているかということに気づくことができた。

そして一緒に働く仲間が、どれほど頼もしく、強い存在であるかに気づいた。


誇りとは何か?
その定義が明確でなくても、判断に迷うことがあった場合、どちらが自分自身に、はたまた大切な何かに、恥じることがない道か?と自問自答するだろう。
つまり誇りとは、恥じることない行動を積み重ねた先に現れる、自身を、大切な何かを、尊ぶ感情のことを言うのだと思う。

2020年を今振り返ると、あの時この道を決断できた自分を、そして仲間を心から誇りに思う。

2021年はその誇りを指針とし変革を進めたいと思う。

ずっと上ばかり見てきてしまったようだ。
それは必要なことだった。もちろんこれからも必要なことだ。だが、時には立ち止まり、周りを見まわすことや過去を振り返る必要もある。

これまでは会社を大きく強くすることで従業員を守ろうとしてきた。
しかし、これからは、従業員一人一人を大切にし、可能性を引き出すことで会社を大きく強くしていきたいと思う。

従業員一人一人が皆、自分自身に誇りを持てるように、この会社で働いていることに誇りを持てるように、そして、周りの仲間を誇らしく思えるように、していきたい。


この文章は社外にも公開されるものだが、主に当社の従業員に向けて書いたものだ。しかし、会社も大きくなり私を知らないという方も多くなったので、この機会に自己紹介として、主に私が当社に入社してから重度訪問介護事業の立上げ時までのことを書きたいと思う。


中原 洋(なかはら ひろし)
1982年東京都生まれ

私が介護職を選択したのは、人や環境を傷つけず、且つ、人や社会のためになる仕事がしたい、という単純だが、譲れない価値観によるものだ。

2013年 当社ユースタイルラボラトリー株式会社に入社
入社当初はデイサービスが2店舗従業員20人程度の小さな会社だった。
入社1年目はデイサービス諏訪の森の介護スタッフとして、利用者様の送迎、調理、入浴介助、体操・レクリエーションなどデイサービスに係る全てのことを経験させてもらった。

2014年 新規事業である重度訪問介護事業の立ち上げ所長に任命される
重度訪問介護業界は営利企業の参入が少ない業界だ。
最も大きな理由は、サービス提供し、国から支払われる介護報酬が、高齢者訪問介護よりもずっと低く、収益性の低い事業だからであろう。
そんな中、私は事業を軌道に乗せ存続させるためにどうすれば良いかと頭を悩ませた。

所長を任せられたと言っても、当時の私は、重度訪問介護についての知識はゼロだった。
文字通り右も左も分からない状況でのスタートだったので、依頼があったサービスはすべて受け、サービスの合間には営業に奔走した。
その結果、他社が提供していない新たな需要を発見した。しかし、その需要に応えるためには「医療的ケア」の提供が必須であった。

ALS筋ジストロフィーなどの難病を抱えながらも住み慣れた家で家族と暮らしたい、というニーズと出会った訳だが、始まって間もない未整備の制度、前例のほとんどない未知の領域、ただでさえ介護職員がいない上に更に資格要件が高くなること、そもそも介護職員が医療的ケアを行うリスク、他社が参入していない理由はすぐに分かった。

一つ間違えれば死亡事故につながるのでは?と、正直とても怖かった。しかし、事業を存続させるには前に進むしかなかった。覚悟を決めて医療的ケアについて猛勉強を重ね、研修を受け、サービス提供を開始した。(その後も、介護業界の最大の問題である人材問題など乗り越えなければならない課題はいくつもあったがここでは割愛させていただく。)

そこから、徐々にサービス依頼が増えていった。当時は他で医療的ケアを提供しているところがほとんどなかったため、中野区に事業所がありながら、東京都中から、はたまた、近隣の他県からも依頼があった。これらの依頼を、着実にしっかりと提供できれば、この事業は軌道に乗るだろうと感じていた。

しかし、ここからが本当に大変だった。
最初は私以外、医療的ケアを教えられる職員がおらず、そのため、毎晩私が研修するしかなかった。
重度訪問介護の夜間帯のサービスで依頼の多い時間帯は、22時~翌朝8時までといった、10時間前後のサービスだ。そのようなサービスに毎晩入り新人の研修を行った。朝8時にサービスが終った後も、各所関係先からの問い合わせや、新規依頼先への訪問や研修、クレーム処理やシフト調整、請求作業といった仕事があるので、すぐには帰れず、事業所に寄りお昼過ぎまで仕事をしてから、家に帰るという日々が続いた。休んでいる時間は無かった。家に帰っても携帯にスタッフや利用者様からの連絡が昼夜問わずあったため、ずっと仕事をしているという状況だった。日勤サービスと夜勤サービスの連続で今ではあり得ないくらいの時間を連続でサービス提供しなければならかったこともあった。 答えとなる見本がないことが非常に多い中、手探りで成功パターンを形作っていった。

今考えると、良くあんなことができたなと思うが、目の前にケアを必要としている利用者様やそのご家族がいて、他に誰も必要なケアを提供できないという状況があったので目をそらすことはできなかった。現在、この事業が広がり、何百人もの重度障害をお持ちの方の在宅生活を支えるまでになっていることを考えると、あの時、勇気を出して頑張って本当に良かったと思う。

このようにして、土屋訪問介護事業所のサービス提供の原型ができた。

重度訪問介護事業を東京にて軌道に乗せた後、
2016年 神奈川のエリアマネージャーに就任
2017年 より多くの人材が必要となったため、採用担当も兼任することとなる
2018年 全国展開スタートに伴い、関東ブロックマネージャーに就任
2019年 介護事業部を離れ、本社に異動。最高人事責任者として執行役員に就任
2020年 土屋訪問介護事業所ゼネラルマネージャー兼 最高執行責任者に就任

重度訪問介護事業の立ち上げから、現在に至るまで、事業と共に、会社と共に、仲間と共に自身が成長させていただく中で、芽生えたものがある。それは、利用者様とそのご家族、また、従業員とそのご家族に対する責任感だ。
人や環境を傷つけたくないという価値観のもと当社に入社した私が、今では、守りたい、と強く思っている。



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