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言いたい想い

言いたい想い

吉岡理恵




土屋訪問介護事業所の運営法人であるユースタイルラボラトリー株式会社は、ケアを必要としているすべての人に必要なケアを提供すること、を理念に掲げている営利法人です。4年前に東京都中野区から始まった一事業所が、関東、関西、中部、北海道、九州、東北の順に各地域に新たに事業所を構えていき、今秋、中国・四国ブロックへの出店が決まりました。同じ理念を共有している仲間が全国にいて、各地でまた新しい仲間に出会えるということはとても心強く誇らしい気分です。とはいえ、この理念を追求していく中で避けて通れないことがあり、それは対応が極めて難しい利用者にサービスを提供する、ということです。どのエリアでもこのような利用者は存在するようですし、むしろ最近はその割合が増えているのではとも感じています。そしてこうした利用者の一つの典型例が身体障害他はあっても言語障害をお持ちでない方々です。よってこのような利用者は、体は不自由なところがあるものの健常者と同じように思ったことを思った通りに、思い通りの口調と声音で表現することが可能です。ではどうなるかというと、例えば一晩中その人の〝口撃”にさらされる、ということもありえてしまうのです。私も幾人かこういった直情・口上型の利用者を担当する機会がありましたので、現場でどのような表現を耳にすることになるのかを例を挙げて紹介したいと思います。例1:あなたの介助だと何をされても痛い、と嫌味を言う。例2:あぁ~あ、と聞こえるような音量で溜息をつく。例3:位置が10cmずれてしまったことに対して、これで私が怪我をしたらあなたのせいだ、訴えるよ、と脅すようなことを大声で言う。例4:もういいから、と利用者自身が断ったにもかかわらず、何もやってくれなかった、と後日担当者にクレームを言う。例5:早くして、遅い、勝手にやらないで、言わないとできないの、と真逆の発言を繰り返す。

重度訪問介護は平均8時間の長時間のサービスです。自分の担当する利用者がこうした直情・口上型の利用者だった場合、サービス中は断続的にストレートな感情表現を受け止めていくことになります。スイッチが入ったな、と思ったら支援者はしばらく自分の感情を押し殺して何を言われても耐える時間となってしまいます。なぜなら利用者を支援して収入を得る以上、利用者には一定逆らえないというのが支援者の共通感覚となっているからです。これまで私もいろいろ考えてきました。直情・口上型の利用者はどうして人の嫌がることを言うのだろう、人を傷つける言葉は障害者のほうがよく知っていて、自分が傷ついてきたからこそあえてそれを他人に発信することはしないのではないかと。私自身は自分の記憶と経験から、直情・口上型の利用者は性格がひねくれてしまっているので、健常者いじめのようなことをして何かしらの優越感を味わいたいのではないのか、身体障害者といえどももしかしたら精神的にも何かずれてしまっているのではないか、等々ある程度自分が納得できる回答を紡ぎだしてきました。しかしながら、つい先日数か月ぶりに直情・口上型の利用者にお会いして、以前とは違う発見をしたように思いました。とにかく言いたいことをいろいろな表現で仰るのですが、どこかはかない寂しさのようなものを感じたのです。その利用者の心情に、本当はもっといろいろなことをしたい、年齢とともに障害は少しずつ重くなっているけれど、人と会って話をして、もし可能なら趣味を通して社会参加もしたい、親兄弟に自分の介護を頼ることができなくなってしまった今、誰かと心を交わして自分のすべてを受け止めてほしい、というような愛を乞うような思いがあるような気がしたのです。

とはいえ私の感想が一方的な思い込みになるのは避けたかったので、まったく別の障害当事者である松島さん(仮名)に一連のことを尋ねてみたところ次のことを教えていただきました。障害者はとにかく言いたいとのこと。そして障害者は幼少期にいい子いい子で周囲に甘やかされて育てられてきた方が多いそうで、実際の自立生活を送る中でいざとなった時にどうしたらよいか分からなくなるそうです。そのもどかしさを表現する手段がただただ何かを言うことになってしまうとのこと。これを聞いたとき、1960年代に日本の障害者運動を開花させた青い芝の会の方たちのことが私の頭をよぎりました。青い芝の会は、障害者が健常者のできそこないとして見られていた時代に、障害者を障害者として社会に認めさせた団体です。青い芝の会の功績は自らをさらけ出して過激な手段を使ってでも自己主張をして社会に対する障害者の存在証明を訴えていったところにあります。その青い芝の会の自己主張と今回松島さんからヒントを得た、とにかく言いたい障害者の主張の強さが似ているような気がしました。でも今の時代、何でも言いたいだけの障害者は社会の隅に追いやられてしまう傾向にあります。というのも我儘放題の障害者は、訪問介護の事業所からも、地域の相談員やケアマネージャーからも煙たがられてしまうのです。結果として、どこの事業所もちょっとは携わるもののすぐにその支援を手放さざるをえなくなってしまう傾向にあり、地域で対応困難な方という不本意なレッテルがその障害者に貼られてしまったりします。松島さんは、言いたいことも言わなくてもいいことも言ってしまうのは愛を乞うことの裏返しなんです、と教えてくださいました。でも、私たち訪問介護事業所としては一緒に働いている大切なスタッフを派遣するわけですから、そのスタッフが心のこもった支援をできると思えるような利用者であってほしいのです。これについても松島さんからアドバイスをいただきました。支援者は言いたい放題の利用者の言ったことを書き留めてください、と。支援者が書き留めることで、担当コーディネーターや管理者の注意を惹き、相談員やケアマネージャーの耳に入り、場合によっては行政職員が間に立つことになります。ここまでの大ごとになると、利用者はいろいろな人を巻き込んでしまったことに対して反省して、態度を改めるようにもなるとのこと。私としては、もしその利用者が少しでも改心したら、そこに反省だけではなくて、感謝の気持ちも混じっているような気がします。普段会えない人が自分を心配して足を運んで話をしてくれるということは、自分が地域社会で生きていること、生かされていることの再確認に繋がると思うのです。とはいえ、訪問介護事業所としては、こうした臨時の大がかりな対応は時間も労力も使いますので、やめてくれよというのが正直なところです。それでも、ケアを必要としているすべての人に必要なケアを提供するという会社の理念がありますので、その方が支援を必要としているのなら私たちはそこに使命感をもって携わりたいと思います。いつもどんなケースでもお引き受けできるとは限りませんが、私たちの想いはこのようなところにあります。

困難ケースと呼ばれてしまう利用者に共通していることがあります。それは、支援者をいたわる言葉を絶対に忘れない、ということです。癇癪が一段落ついた時にさっきは言い過ぎた、と謝ってきたり、ふとした時に私は思ってもないことを言うことがあるけど気にしないでね、と言ってきたり、帰りがけに今日のことは今日で終わりにしてね、ありがとう、と送り出したりします。こうした言葉は今日一日のことを帳消しにします。支援者がいないと自分の生活が成り立たないと分かっているからこそ生まれてくる利用者からの一言です。私としては一筋縄でいかない利用者が垣間見せる、一人の人間としての素直で正直な気持ちだろうと思っています。
(2018年10月の記事より、再掲載)



吉岡理恵

1981年東京都生まれ、東京都立大学経済学部卒業、大学在学中にオーストラリア、マッコーリー大学に公費留学、帰国後法律系事務所でOLとして働く、2014年東京都職場体験プログラムを機にESLのデイサービス、ユースタイル諏訪ノ森で介護職デビュー、2016年より常勤職員として土屋訪問介護事業所の重度訪問介護事業に参加し各地のマネージャーを務め現在に至る、2018年介護福祉士登録、OL時代にフルマラソンに挑戦し完走8回、趣味は料理と読書