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重度訪問介護で平和をつくる part3

重度訪問介護で平和をつくる part3

安積遊歩



私にとって介助は、制度が出来るまでは、人間関係づくりのきっかけになるものだった。それも、介助を通して本当に対等な関係を作れるかもしれないと、この重度訪問介護制度に希望を持っている。しかし、対等な関係とは何かということを制度が出来てから、さらに考えるようになった。重度訪問介護の中の関係に目に見えての争いはないから、平和づくりの基礎なのだと思っている。介助をする人は、賃金を得ることで自分の生活保障があり、利用者は身体的な自由を介助によって保障される。そこには究極の平和があると思っている。

しかし、一人一人にとって育ってきた環境や出会ってきた人々があまりに違う。だからこの仕事の中にある対等で平和な関係づくりという視点に気づける人は、なかなかいない。それは利用者も介助者もそうだ。

このあまりの差別、抑圧社会の中でようやく生き延びて、介助という仕事に出会う。せっかくの出会いでありながら、利用者も介助者もお互いに奪われ尽くした安心感を取り戻そうと必死になる。利用者は、身体の痛みや自由のなさをわかってもらえなかった辛さを目の前の介助者にぶつける。介助者は介助者で、経済の困窮をなんとかしようという思いがほとんどで、目の前の利用者への想像力を奪われたところから始まる。

だから、お互いがどんなに大切な存在で、平和を作るための同志なのだということに気づけない。では、わたしはどうして気づいてきたのか。今日は、そこを書いてみたい。

「青い芝」の会に出会った時の衝撃と感動は劇的だった。施設の中で1番差別されていた人たち。脳性麻痺者(医学的にはCPと略されるので、以後CP者と呼ぶ)たちが文字通り、地を這いずりながら様々な活動をしていた。彼らの四大行動綱領の一つ目は「我らは脳性麻痺者として、強烈に自らを自覚する」そして二つ目にその自覚に則って自己主張を行い、三つ目は、周りからの愛と正義の否定だった。

まず一つ目は、どんなに重い障害を持っていても、生きていることになんの弁明も言い訳もいらない。つまり、私は私自身で良いのだ、完璧なのだ、そこから始めようと言うわけだ。

そして二つ目に、その自覚に則って強烈に自己主張しようと言うのだ。よく自己表現というおとなしめの言い方はあるが、そのままの自分という自覚に立って自己主張するというのだから、非常に力強くて、気分としては狂喜乱舞した。

しかしそこには、CP者に対して徹底的に差別的な愛と正義に満ち満ちた社会がある。だからそれを否定し、最後の4つ目には、どういう社会を構築したいのかについて、「問題解決の道を選ばない」というのだ。
だから、ときには座り込みも行ったが、動けないCP者たちが行う座り込みは、簡単に排除された。バスにリフトが着くまでの過程には、川崎で動けない身体でトンカチを振り回して窓ガラスを叩き割ったCP者もいた。彼らの行為はかなり暴力的であったが、逮捕はされなかった。 CP者たちの怒りを社会が受けとめたということなのか、それよりはCP者たちに対等な人権はないとみなしていたからだろう。
今までの私の人生に無かった斬新な思想の数々が、その行動綱領にはあった。

その思想の中で出会った障害のない仲間たち。彼らの私たちに対する向き合い方は、介助者というイメージからは、遠かった。差別を共に変えていくための同志たち。しかし立場性が真逆なので、しょっちゅうぶつかり合いが起こり、徹夜討論会もした。
エレベーターの全く無い駅で座り込みを行い、エレベーターを付けろと主張したり、扱いづらいトイレに行きまくったり、彼らとの日々がなければそれらの活動は全く無かった訳だ。

しかし介護者、介助者も生活保障がなければ、それらの運動は継続し得ない。様々な地域でそれぞれの取り組みの中で、介助料が少しずつ獲得されてはいった。その中で差別のない社会、対等な関係性づくりが模索され続けた。

〇〇年、介護保険が登場した。その制度を作り上げた人たちは、私たちの運動から大いに学んだと聞く。しかし、高齢者となって初めて介護、介助を日常に必要とする人と、行政のトレーニングを受けての介護者たちとの関係性は、私たちが目指したものでは無かった。

この重度訪問介護は、私の中では、差別を共に変えていく同志たちという意味合いを残した制度である。長時間見守りを含めて一緒にいることで、お互いの中にある差別性と想像力の枯渇に向き合わざるを得ない。特に医療的ケアを必要とする人たちは、中途障害者が多いので、あまりの体のしんどさから相手の立場や体を思いやることの想像力は多分ほとんど発揮できないだろう。そんな中、介助者の方は、最大限それを発揮することが仕事だ。だから両者の関係がそれなりに対等性を持ったものになるためには、お互いの努力が必要なのだ。

障害は常識を変える力のある現実だ。サービス提供者と利用者だけの関係に留まっていたら、これまでの常識は変わらない。利用者も提供者も内なる常識に足を取られることなく、新たな関係づくりに乗り出すという決断が必要だ。


【略歴】
1956年、福島県福島市生まれ。生まれつき骨が弱いという特徴をもつ。22歳で親元から自立。アメリカのバークレー自立生活センターで研修後、ピアカウンセリングを日本に紹介。障害者の自立生活運動をはじめ、様々な分野で当事者として発信を行なっている。
2019年7月、NHKハートネットTVに娘である安積宇宙とともに出演。