ニュース&ブログ

『重度訪問介護で平和をつくる part5』

『重度訪問介護で平和をつくる part5』

安積遊歩



今から43年前には、個人情報保護法というバカな法律は無かった。だから、障がいを持つ仲間に会おうと考えて真っ先にしたことは、市役所に行くことだった。なぜなら、障害者手帳を持っている人たちのリストがそこにはあったから。

その名簿を取り、一軒一軒障がいを持つ仲間を訪ねて回った。私も養護学校の先輩に誘われて参加するようになったので、仲間集めは大事な課題だった。

車椅子で一軒一軒障がいを持つ仲間を訪ねる時には、ボランティアの介助者と2人1組になって行った。しかしその当時の介助者は、ボランティアではなかった。重い障がいを持つ人への差別や排除を無くし、地域にどんどん出て行こうという考えに共感してくれていた同志でもあった。

その活動は在宅訪問と呼ばれた。20人近い仲間がそれぞれに組を組んで、月に20回近くは行なった。市役所から取ってきた名簿を頼りに、「障がいを持つ仲間に会いたいのです」と一軒一軒を丁寧に訪ねた。時代は高度経済成長の真っ只中であったが、訪ねて行く家々には活気も生気も感じられなかった。

まず在宅訪問に行くと私には冷たい差別的な一瞥があり、介助者には不可解で時に「聖人なのか」というような見方がなされた。最初の1、2回は、その眼差しに耐え、対抗しなければならなかった。

その頃からすでに私たちは、重い障がいを持つ人が地域の真ん中で生きられるようになることが、目指すべき方向と真剣に考えていた。だから、在宅訪問も障がいの重い人たちから会いに行った。そしてそれは、あまりにも厳しい差別の現実に直面し続けることであった。

この国には優生保護法より古い時期から、凄まじい人権侵害を常識とする法律があった。「私宅監置法」である。これは明治期から1960年代まで続いた。その法律によって、重い障がいを持つ仲間たちは家族から無視され、座敷牢や檻の中に入れられていた。
2016年、やまゆり園事件があった時、障がいを持つ私たちの世界には平和はまだ来ていないと思い知った。障がいを持つ子を生んだ親から排斥され、元職員から文字通り刃を向けられて殺される。この状況を変えるためには、重い障がいを持った人の元に赴く介助者をさらに増やさなければならない。そしてそのためのツールとして、私たちは重度訪問介護制度を作った。この制度を作った当時は、まず身体障害を持つ人から始まった。私たちがまず自由になっていく中で私は、40年前に出会った仲間たちにもこの制度が広がって欲しいと願い続けた。

2014年この制度は、重い知的や重複の人にも拡充された。障がいの重い人たちが地域に出ることで、彼らの平和を求めてやまない心が見えてくる。問題行動と言われるもののほとんどが彼らを傷つける言動に起因するものだ。彼らと付き合えば付き合うほど、私はそれを確信していった。

赤ん坊がそうであるように、無力に見える存在は周りの人との関係で、どんな風にも変化していく。平和のうちにあって、愛されているという確かな情報の中に、平和が生まれるのだ。

在宅訪問で、沢山の 重い障がいを持つ人に出会った。 その後、数人は亡くなり、ほとんどの人が施設に閉じ込められた。私たちは障害を、身体・知的・重複と分類することさえしなかった。とにかく一緒に生きようと訪ね回った。重度訪問介護制度があの時にすでにあったら、私は何人もの仲間を施設に見送る必要はなかった。

しかし見方を変えれば、この制度を作ったことで、彼らの元に平和をつくれるところにまで来たとも言える。私たちが目指す世界は、今まで見たこともない世界となるだろう。重度訪問介護の介助者とともに、街のそちこちに彼らが登場する世界。多様な存在との共生がそこから始まるのだ。


【略歴】
1956年、福島県福島市生まれ。生まれつき骨が弱いという特徴をもつ。22歳で親元から自立。アメリカのバークレー自立生活センターで研修後、ピアカウンセリングを日本に紹介。障害者の自立生活運動をはじめ、様々な分野で当事者として発信を行なっている。
2019年7月、NHKハートネットTVに娘である安積宇宙とともに出演。