ニュース&ブログ

座談会 『平和』な社会を作る重度訪問介護

座談会 『平和』な社会を作る重度訪問介護



日時:令和1年9月4日㈬

対談者:安積遊歩さん、高浜敏之

司会:吉田政弘


【重度訪問介護創設の背景とサービス化している現状】

(吉田)安積さんは重度訪問介護制度の創設においても先頭を切って活動されており、今でも精力的に活動されていますが、その原動力は育った環境によるものなのか、それとも生まれつきの自分の性格からくるものなのかどちらだと思われますか?

(安積)環境要因説が100%。性格とか生まれつきというのはほとんどない。環境が違っていたら、人って全然違ったと思う。私の環境は、障害を持った体であったけれど、ラッキーなこともいっぱいあって、そのラッキーを活かすことができた。性格は全部環境によってつくられるくらい思っている。

(吉田)利用者さんから「私は不幸だから、あなたたちはなんでもしなさいよ」という意見を頂くことも多いのですが、そういう考え方で話をされる当事者の方についてはどう思われますか?

(安積)そこまで不幸自慢が言えるのはすごいね。私は不幸と思ってない。東京に障害者運動に来た時に、國學院大學の先生にアパルトヘイトのデモに誘われて参加した。『アパルトヘイトの差別を許さない』と書いたプラカードがある中に、私は『すべての差別を許さない』と書いたら、「面白い人だね」と言われた。私が30歳ころの話だが、あの頃から自分が不幸と思ったことはない。いい時代だった。思っていることをばんばん話すことができる人がいて。 不幸だなんて言えるのは、よっぽど世界に安心している。それは介助者に甘えまくってるわね。介助者がいるだけですごいことなんだと伝えたい。私は、介助者なんていなかった。自立する前は、なんでもしてくれる親がいたが、外に出たら苦労するのは分かっていたけど、当時の恋人と二人で会いたいと、家を出た。お風呂もないアパートだったから、お風呂に行くのも大変。学生運動をしていた学生を巻き込んで、掃除を頼んだり、お風呂に連れて行ってもらったりしていた。学生が忙しい時は、外にだけ出してもらって、外にいる人を捕まえてお風呂を手伝ってもらったり。どんな人に声をかけようかなぁとか思っていたら忙しくて、自分がみじめだとか不幸だとか感じている余裕なんてない。エレベーターの無い時代は、出かける前に「誰にどうやって声を掛けようかな」と元気だとわくわく、元気じゃないと憂鬱な気分で考えていた。国立にいたころは一橋の学生に、福島にいた頃も学生が中心になって助けてくれた。

(高浜)安積さんに初めて会ったシンポジウムでも、今のような話をされていて、衝撃的だった。自分の周りにいる障害者を持つ方は、吉田さんが普段出会っている利用者さんの自分が不幸というようなとらえ方をしてる人がほとんどだったから。「あなたたちは幸せでしょう。私たちは不幸だから、幸せを分けなさい」という価値観と真逆だったので、そんなとらえ方があるんだと。だから、珍しいと思いますよ。

(吉田)私も今回お会いして、そういう考え方があるんだと驚きました。

(高浜)それが環境要因というものなんじゃないですかね。具体的にはどんな環境だったのですか?

(安積)父親は戦争にいってシベリアを経験してきた。母親は小作農の娘。地主にたくさん納めなくてはならなかったから、年に一・二回しか銀シャリは食べれなかった。そんな中、繋がりや助け合うというのがものすごく上手だった。温泉地であったから、今でいうLGBTの人も多かったから、いろんな多様性がある中で助け合うということを学んだ。おじいいちゃんとおばあちゃんも、私に障害があったがどこにでも連れていけというポリシーを持っていた。痛くて泣くことも多かったが、泣くことを止められることはなかった。「泣いちゃだめだ」と言われたことがない。
父親は言論の自由が大事だと。少年時代は天皇制の極みという感じだったが、天皇制が間違いだとわかると、天皇の話が出たらいつも怒っていた。大ウソつきだと。でも天皇制は変わっても家父長制度は変わらないから、父親は「誰が食わせてやってるんだ」とかよく言っていた。私は負けたくないから「日本国憲法知ってるだろ。子供を食べさせるのは親の義務だ。もっとうまいもの食わせろ」なんて言ってたんだって。

(高浜)環境要因じゃなくて、生まれてからそうだったんじゃないんですか?笑
自己肯定感というか。同じ環境にあっても「もっとうまいもの食わせろ」なんて言えない気がしますが。笑

(安積)涙を聞いてくれたら、頭が回って「この人間違ったこと言ってる」と思うようになると思う。けど、涙を聞いてもらえなかったからさ。

(高浜)確かに職場で見ていても、過剰なストレスにさらされていて、自分の声を聞いてもらえていないという人の頭がフリーズしてることはわかるよね。その時に話を聞いてもらえたり、きちんと表現できたりすると、脳が動き出してるのが分かる。子供の頃なんて特にそうかもしれないですね。

(安積)母親の父親がすごく優しい人だった。戦争にいっていないから優しいままでいられた。だから、助け合う家族の中で育った母親は、私を怒るということはなかった。だから環境だと思うな。優しい人の中で育つというのは子供にとって全然違う。

(吉田)ヘルパーも優しい心を持っているから介護の仕事に入ったのだと思いますが、現場でストレスを感じて自信を喪失したり、辞めたりするヘルパーを見たりすると、もったいないなと思います。

(安積)現場でつらい思いをしているヘルパーを見ると、どういう子供時代を送ってきたのか聞いちゃうね。そういうのはすごく関係してるよね。

(吉田)重度訪問のコラムにも書かれていましたが、重度訪問介護は利用者さんにとっても一人でいなくていい、ヘルパーにとっても誰かと一緒にいることができるという双方にとってメリットがありますね。面接をしていても、孤独を感じている方も一定数いる。在宅で一対一になると向き合えるからという動機が多い。そこがサービスやビジネスとなると、見失われがち。ケアハラスメントをどうしていくかということを考える一方でこういうことも考えていかなければいけないと思います。

(安積)介助者じゃない戦う健常者集団の時代があった。お金も発生しないし、学生が終わったらいなくなっていった。社会人も食べれない。でも、神野さんという人はすごかった。障害者運動の5年間は、彼の父親の自動車でみんな移動していた。神野さんがいなかったら私たち全員いなかったね、なんて話する。彼にとって障害者運動は、のめりこむ程に面白かったみたい。サービス提供者と利用者と介助者じゃない関係があった。障害者解放運動しない立場から共に担うみたいな。

(高浜)2003年に支援者制度ができて、介助料制度という公的なサービスとして定着し、2005年に、単価が一気に引き下げられ、一斉に離職が始まった中で、僕の周りにいる当事者の人たちが言っていたのは、単価が落ちたから離職が増えたんじゃないんじゃないかと。単価が落ちたというのはキッカケであって原因ではない。消費されるサービスに変わっていってしまった中で、もともとあった当事者と支援者との関係が失われつつあり、この仕事に対する面白さを介助者の人たちに感じてもらえなくなった。根本はそこに問題があるから、いくら今まで通り単価をまとめたところで、同じように離職は高まっていくばかりだと思う。



【ソーシャルビジネス、ESLの展開について】


(高浜)日本の障害者運動の歴史の中で、青い芝の会を出発として、アメリカのシステムを学んだ安積さんには、葛藤とかはなかったですか?

(安積)座敷牢に閉じ込められている人を助けるにはどうしたらいいかわからないときに、まずは自分の生活を安定することによって、そういう人たちも助けられるんじゃないか。葛藤はあったよ。自分が幸せになればなるほど置いていくような気がして。けど、アメリカでは大きかった。自分が必要な人にならない限り、みんなして不幸のまま。いる必要はないとかさ。優生思想っぽいと思いながらも。でも、いままさに重度の知的障害の人にも広げようと、それは自分も本当にしたかったこと。最近人権センターの講演にも呼ばれている。とにかく、理念だけではやっていけない。

(高浜)障害者運動からCIL運動に発展していく中で、変化をしていっているが、自分たちの会社も気づけば重度訪問介護の業界最大手になっているわけで、もうすぐうちの会社だけですべてのCIL自立生活センターを合計したくらいのサービス提供ボリュームになる。
なぜこのように大きくなったかといえば、たまたまビジネスモデルが運用され、よかった面と悪かった面がある。
良かった面は、この支援を仕事にしようとする人は、一般的な家族を持つということがなかなかできず、特殊なライフスタイルを選択した人にしか門戸が開かれていなかった。しかし、いろんな職業選択の一つとして、重度訪問介護とうちの会社を選ぶことができるようになった。この業界に入ってくれる人の幅を一気に広げることができたので、重度訪問介護をより多くの人に利用できる社会環境を作ることができつつある。
課題としては、採用しているビジネスモデル事態に根本的に解決しようとしていた優生主義的な方向性がたぶんに含まれているので矛盾がはらんでいるところがあったり。いろんな葛藤ありつつ、トータルとしてはこれでよかったかなと。
こういうグループがが現れ、ご協力いただいているわけですが…

(安積)私もこれはある意味夢だった。座敷牢に閉じ込められている仲間が出るには、とにかく一緒にいてくれる人が必要だった。重度訪問介助をやる事業所がいっぱいあればいいと言っていた気がする。

(高浜)CILだけじゃだめだと。CILだけじゃなくていろんな人たちがこれをやるということを望んでいたと?

(安積)とても望んでいた。いまも望んでるから活動を続けている。

(高浜)ありがとうございます。

(安積)重度訪問介護は二人で分かち合って命を守る制度だと思うから、私も本気。

(高浜)当事者主権というのはスタイルじゃない。そもそも、皆さんが運動をやってくれたから今がある。今後も当事者たちの発言力というのは圧倒的に大きい。声によってこの制度が支えられるんだろうなと。介護保険との統合ということもある中で、我々がそれを止めきれると思わない。やはり、当事者の方たちと協力していきたい。いい同伴者になりたいと思った時に、のっけから嫌われたら協力できないから、そういってもらえると私たちとしても安心です。

(安積)私も本気なんです。とにかく経済活動の中にすべてがあって、多様な生き方もそれはそれで素敵だけど、障害を持った人たちは絶対に抜けきれない。経済と技術があるから生ききれる。だから、いろんなバランスを守るためには、介護保険と統合されてはダメ。介護保険は「お前ら黙ってろ」の世界だから。制度を守り続けないと、重度知的障害の人の人間的な生活なんてもっとありえなくなる。

(高浜)そういう意味では、吉田さんは、一橋大学を出て、銀行員、経産省への出向で行政の内部にいたり、コンサルタントで企業にいたりして、いわゆるシステムど真ん中にいた人が、うちの会社に行き当たったわけですが、180度違う感じですが、そもそもなんでこようと思ったのですか?

(吉田)大企業で働いていると、時々仕事をしているという実感が無くなる。扱っている金額は大きくてプライドは満たしてくれるんですけど、すごく空虚に感じる時がある。そうなってくると、もともとやりたかったことに回帰して、今度は介護の会社を助けられるコンサルティングをすることに。コンサルティングを通じて役に立てているなとは思うけれど、結局は自己満足と感じました。実際にふたを開けてみたら、介護職員の方は本当に優しく尊敬に値する人たちなのに、お給料は安い。なかなか報われない業界なんだなと感じ、中に入って課題を探りたいという思いから介護の世界に踏み込みました。



(高浜)業界の根本的な問題を解決したいと思って入社して1年ちょっと経ちましたが、現場に近いところでやってみていかがですか?

(吉田)自宅を訪問して、ケアして笑いあったりしていると本当に楽しくてずっとやっていられると思う。しかし楽しさにかまけて声を発しなければ、介護職が足りないままの状態が続くだけなので、業界の課題について声をあげられる介護職員になりたいと思う。

(高浜)我々としては居宅介護の主な対象として、重度訪問介護が使えない医療的介護児を対象にしている。子供たちの権利や家族もケア負担で疲れていたり、社会参加の道が閉ざされている。これも一大テーマの一つにしたいと思っている。他に待遇面以外で介護業界の問題は感じましたか?

(吉田)重度訪問は、何でもできるように曖昧にしてあるところもある。一方で、過剰要求にどこまで対応すればいいのかなど、その曖昧さがスタッフを苦しめることになる現状もある。逆に介護保険に慣れたスタッフは、介護保険でのやっていい、やってはいけないの基準と比べて何でも支援するという重度訪問の曖昧さに悩むことがある。そのあたりを議論して、ある程度現場スタッフが困らないくらい明確にしていく必要があると思う。特に医療的行為ですね。

(高浜)やっていいこととやってはいけないことの区別が法律でされているけれども、やってはいけない中にやらざるを得ないことも結構ある。やらざるを得ないことをやってはいけないといってやらなければ、この人の命はどうなってしまうのかという話になるので、やるんだけども、違法なことをしてるんじゃないかなと。組織としては安心感を保障することが大事。まだまだ制度的に整理整頓することが必要。そういうことがたくさんあるなという感じですよね。

(安積)法律的にきちんと変えていくのも大事だよね。

(高浜)働いている人にもちゃんと伝えていかないといけない。本当に完ぺきな制度を作らないといけないだろうができないんですよ。そういった中で、柔軟性や志の共有を営利法人としても意識していきたいと思う。営利法人の中では、雇う側も働いている側もただ単に収入を得るのではなくて、違う社会をこの仕事を通じて一緒に作ると考えている人は少ないので。ある意味、営利法人の弱点でもある。

(安積)私はそれしか講座の中で言ってないわ。

(高浜)最後に、ユースタイルラボラトリーに対する期待などありましたら。

(安積)私のやりたいことだったから。ユースタイルはひとつの革命だと思ってる。一大革命のプロジェクトを協力ではなくて、身を粉にして一緒にやっていくつもりなので。

(高浜)ありがとうございます。継続して一緒にやっていきたいと思います。

(安積)そうそう。根幹は平和に向けた立場の違う人たちとどういう風に協力していい社会を作っていくか。営利とかもあってもいいけど、介助者も利用者も自分のものにしていくか。医療的ケアのあり方も、介助のシステムをどういう風に分かち合っていくかということを考えていってほしい。

(高浜)素晴らしい。今度、ケアハラスメント防止宣言というのをウェブサイトに載せる予定です。もしかしたら『平和』はキーワードかもしれませんね。我々は『平和』を目指すと。必然的にそこから全部でてくる。ケアが保障されるのも『平和』だし。

(安積)今まで障害者が置かれていた状況は戦場だった。なんのケアもなかった。親から殺されるかもしれない。戦場にいるたった二人が喧嘩してどうする。平和の同志なんだという自覚を持ってほしいね。




プロフィール

安積遊歩

1956年、福島県福島市生まれ。生まれつき骨が弱いという特徴をもつ。22歳で親元から自立。

アメリカのバークレー自立生活センターで研修後、ピアカウンセリングを日本に紹介。

障害者の自立生活運動をはじめ、様々な分野で当事者として発信を行なっている。

2019年7月、NHKハートネットTVに娘である安積宇宙とともに出演。



吉田正弘

H18:一橋大学経済学部卒業

H18~H27: 中小企業専門の政府系政策金融機関<(H23~H24:経済産業省中小企業庁に出向)

H27~H30:国内経営コンサルティングファーム

H30~:ユースタイルラボラトリー㈱(現職)

 高校時代に父がリストラを受けて失業した経験から経済学の勉強を志し、一橋大学経済学部に入学・卒業(H18)。

 福祉業界への就職を考えるも、給与面等現実的な問題から断念。中小企業の安定・発展に貢献するという考えから、中小企業専門の政府系政策金融機関に就職。そこで様々な業界の慣行や業界特性を学ぶ。

 H23~H24の2年間は経済産業省中小企業庁に出向。国会議論を通じた支援法、支援施策の策定プロセスや予算要求プロセスを経験し、国策の成立プロセスを体験。

 H27には企業側に立った事業再生コンサルティングを志し、国内経営コンサルティングファームに転職。そこでの介護施設再建の経験から介護業界の発展の一助を志し、自身も介護業界に身を置くことを決意。

 H30ユースタイルラボラトリー㈱と出会い、様々な重度訪問介護の現場を経験し、現在は「すべての必要な人に必要なケアを」届けるという理念の下、業界発展への貢献を目指して日々奮闘している。



高浜敏之

岡山県在住。

2児の父として週末イクメン修行中。

土屋訪問介護事業所ジェネラルマネージャー。ユースタイルラボラトリー最高執行責任者。

全国障害者在宅生活支援事業者連絡会の発起人。

上智大学法学部中退、慶応義塾大学文学部卒。哲学科美学美術史学専攻。

20代はサルバドール・サンチェスに憧れボクサーを志すが挫折、中上健二や坂口安吾や三島由紀夫に憧れ文学者を志すが挫折。

様々な職業遍歴を経て、30歳で重度訪問介護というサービスと出会い、福祉の仕事をスタート。

それと同時に日本の障害者運動のパイオニアである新田勲さんが代表を務める全国公的介護保障要求者組合の事務局を担うことに。

30代はホームレス支援、移住外国人労働者支援など社会的マイナリティーの権利回復運動にコミット。

その後東京都中野区にある認知症対応型グループホームでの介護職員を経て2012年5月にユースタイルラボラトリー株式会社の立ち上げに参加。

デイサービス土屋中野坂上の管理者、生活相談員を経て土屋訪問介護事業所やユースタイルカレッジを立ち上げる。

現在は土屋訪問介護事業所を統括しながら事業者ネットワークの代表として活動する。趣味はボクシング、アート、文学、海辺でゆったり、など。