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『宇宙の物語〜多様性と共生のはじまり〜』

『宇宙の物語〜多様性と共生のはじまり〜』

安積遊歩



宇宙がお腹に来たとわかったときから、私は「宇宙が生まれてよかった」と思う人の群れの中で育てようと思った。出来ない所は宇宙の父親に任せれば良いという風にも全くならなかった。家族だけが介助をする事は様々な悲惨な現実を生む。無理心中が当たり前とされる社会を徹底的に変えたいと強烈に思っていたので、彼にだけ子育てを任せようとは思わなかった。

女が子育てや介助をしなければならないという圧倒的な性別役割分業を、自分の中に内面化していたら私は宇宙を育てられなかった。おんぶも抱っこもできない、まして家事さえも人に任せなければならない体で、子育てをするということはどれだけ人に任せなければならないかということでもある。しかし、私の場合、宇宙の父親にのみ任すことはできないと始めから完全に知っていた。

高度経済成長からバブルが終わり始めた当時、障害のない女たちが累々と家事や育児を任され続けてきた歴史の中で、女達の精神状態の不安定さは、精神病院に通院・入院をする女が多いことにも象徴されていた。また逆に、外で働かなければならない男たちは「一歩家を出たら7人の敵がいる」と言われていたから、外に行く男たちは暴力事件を起こしたり巻き込まれたりで、刑務所には圧倒的に男が多かった。

障害を持つ子を殺す母親たちに、「母よ殺すな」という本を上梓し、障害者運動が社会の注目を集めた1970年代、私は女性差別というより、障害者差別の激しさに打ちひしがれていた。だから私が最初に取り組んだのは、女性解放運動ではなく、障害者解放運動であった。

その頃の私たちの活動は障害者解放運動と呼ばれていた。特に福島の地を這い回りながら圧倒的にマイノリティだった私の仲間は、男女混合ではあったが女性の数はさらに少なかった。

宇宙を出産する10年ほど前に、私はいわゆる戸籍制度にのった結婚を夢見てその運動を離れた。その時に出会った凄まじい差別は、障害者+女だからというもので、私は稲刈りや家事ができない女は嫁でも妻でもないと言われ、殺すとまで脅かされた。それまで障害プラス女の体を持つ私は、確かに、結婚してはならないしできないと思い込んでいた。

その激しい拒絶にあって初めて障害+女の体に気づき、フェミニズムの本を読み漁った。そこには、障害のない体を男たちに選ばれる側の不幸と屈辱が連綿と書き綴られていて、私は体の違いこそ差別の元凶であったと心から納得した。ただ私自身の体験とはあまりに異なっていたので、孤独感はあまり変わらなかったが。

しかし宇宙を妊娠出産したことは、孤独への反撃でもあり、新しい世界の創造へと転換したと思う。それまで全くフェミニズムや障害者差別とは無縁なところに生きてきたパートナーやシェアメイト達。そしてその頃できた、重度訪問介護を使って来てくれるようになった友人プラス介助者たちとの旅が始まった。

私は家事や育児を、誰彼に頼むことにまったく躊躇いがなかった。なぜなら人は頼まれることで、新しい現実に遭遇し、それは大事な学びになる。私は助けを求めることで彼らに学びと他者への想像力を拡げる機会を提供していると思っているのだ。宇宙はそれを生まれる前から私の言動により、理解してくれていた。妊娠後期に彼が、「宇宙ちゃんはおとうちゃん頑張れと蹴りに来てくれるんだよね」と私のお腹に手を当てて宇宙に話しかけたことがあった。それまでも何度か宇宙に話しかけては蹴りの答えを聞いていたが、その時は瞬時に激しい蹴り返しが来た。思わず2人で顔を見合わせたほどだった。

その後優生思想の荒波を超えて生まれてきた宇宙。せめて私たちの周りの海は凪であってほしいとの願いは彼女の賢さを尊重したことによって、成功した。まず人間の賢さを、生まれた時から、できれば生まれる前からも徹底的に知り、それを尊重する社会を広げていきたい。


【略歴】
1956年、福島県福島市生まれ。生まれつき骨が弱いという特徴をもつ。22歳で親元から自立。アメリカのバークレー自立生活センターで研修後、ピアカウンセリングを日本に紹介。障害者の自立生活運動をはじめ、様々な分野で当事者として発信を行なっている。
2019年7月、NHKハートネットTVに娘である安積宇宙とともに出演。