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なぜ介護1~誘われたからでした~

なぜ介護1~誘われたからでした~

吉岡理恵



私は中学時代、膝の半月板を損傷し内視鏡手術とそのための入院をしたことがあります。下半身麻酔だったものの手術前の浣腸と術後のベッド上での排泄は不可欠で、その際今まで他人に見せたことのない部位を否が応でも他人に見せて触らせなくてはいけないという戸惑いと、そんな患者の思いなど始めからないもののように表情も声音も変えず淡々と処置する看護師を見て、驚きと同時に憧れたことを思い出します。そして絶対的に助けが必要な人を助けるということに価値を見出し、将来の夢を看護師と据えたことがありました。しかしながらその夢は家族や親戚にあまりいいイメージを持ってもらえなかったり、私自身が生物の教科が苦手だったり、他人の疼痛している姿や大量の血を見るのは自分には難しいかもしれないと思い直し、かといって自分の本当にやりたいことが何なのか分からないまま大学進学を志しました。専攻はなんとなくビジネスに興味があったという理由で経済や経営学部の入試を受け、とある大学に入学しました。入学はしたもののこれといった熱中できることは見つからず、よって曖昧かつ怠惰な学生生活となってしまい、そんな学生生活が後半に差し掛かろうとしたので、何か大学時代に残せるものをと思い選抜試験を受けて留学を決行しましたが、ほとんど遊学で終わり卒業式を迎えました。卒業後はまたなんとなくOLになり、業務で必要な語学や専門知識の習得のために週末に大学の社会人コースに通ったり資格試験の勉強に励んだりしつつも、マラソンや海外旅行に行ったりと女性誌から出てきたような生活をしばらく送っていました。

そして、30歳を過ぎた頃に人生勉強の期間があり、その最中にたまたま目にしたのが東京都職場体験プログラムの広告でした。都内の介護施設で1日〜3日の職場体験をすれば介護職員初任者研修が無料で受講可能になるというものでした。対象の介護施設は多数ありましたが、通うのに電車での乗換えがなくかつ自分が今まで下車したことのない駅だったからという極めて安直な理由で、副都心線西早稲田駅徒歩3分の当社のデイサービス、ユースタイル諏訪ノ森を選択したのでした。そもそも私自身がおばあちゃん子で、思う存分甘えさせてくれる祖母を家族の誰よりも慕った過去がありました。祖母は私の大学時代に大腸がんを患って亡くなりましたが、その数年後に祖母を追うように亡くなった祖父のことも併せて二人を思い出すことはしょっちゅうで、祖父母のようなしわしわの肌と奥深い優しい目に、この介護職体験を通じてまた出会えればという期待がありました。ドキドキしながらインターホンを押したデイサービスは、初めて訪れた空間という違和感はありましたが元気な職員と思い思いに過ごす利用者達の日常生活共同体、といった感じがありました。日常生活であたり前にやっている、食事、入浴、娯楽、休養、排泄を、時と場合に応じて、全員で、数人で、個々にやる、というのが当社のデイサービスでした。そしてどこまでもマイペースな利用者に合わせているようで実は誘導していたり、すべてが自由に見えるもののところどころ規則や規律が見える風景に、微笑ましいという印象を持ちました。当時管理者の長尾は30歳くらいだったでしょうか。他の職員が口を揃えて言うその若い管理者さんにも好感を持ち、毎週土日にアルバイトとして働くことになりました。私にとってはこのデイサービス勤務は、大好きだった祖父母の他界に対する喪失感の穴埋めであり、気ままな高齢者たちとの戯れでお小遣いが稼げるという不埒なお得感をその継続の理由としたのでした。

1年半ほど経過した頃、長尾から常勤職員への話がありました。訪問介護事業部の将来性を見据え一緒にやらないかというものでした。それまでは趣味の延長としてアルバイトらしく割り切って働いていたので、聞いたときは困惑しましたがこれも人生の1ページになるかもしれないと思いその誘いに賭けることにしました。当時は正社員も10人ほどだったのかなと思います。非常勤として受動的に一段下で仕事をしていた立場から、組織と自分を自分としては平行な場所に移動させることになりました。それなりのプレッシャーと追加業務はありましたが、周囲のフォローと今までの人生経験や社会経験を活かしながら一つ一つタスクをクリアする日々が始まり、当時と全く変わらない気持ちで現在に至ります。

振り返れば私は相当変わった子供でした。幼少期は発想や行動がどこか人と違うと自分でも思っていましたし周囲にもそう思われていると感じることが度々でした。それゆえ自分の言動が意図せず他人の気持ちを害したり、自分自身が他人から結果的に傷つけられてしまうこともありました。何かが人と違うのではと自省するたびにそれなりに悩み、そんな青春時代から自分が人に迷惑をかけず、自分も傷つくことを最小限にして生きられる方法がなんとなく分かっていきました。それは、迷ったら他人の指南を優先する、というものでした。なぜならそれまでの人生で自分が直感でやりたいと思って進んだ道より他人の指南に従った道の方が意外と上手くいき、自分自身にも他人にも安全だったことが多かったのです。

それゆえ、なぜ介護、と問われたとき、祖父母が好きだったから、そして誘われたから、が素直な回答になるのですが、誘う側には私を誘うことに少なからずメリットがあったはずなのです。それは1年半それなりに働いてきた実績に対する期待かもしれませんし、30代の女性という外面かもしれませんし、ちょっとした思いつきだったのかもしれません。理由はもっともなものでも実は大した理由ではなかったとしても、そのときに自分の何かを必要としてくれた人がいたという事実が私にとっては感謝とともに貴重かつ優先すべきことだったのです。

仕事においては私は利用者とスタッフのマッチングの成功や職員の昇格/昇進は、運と縁とタイミングも理由の一つだと言っています。アルゴリズムや分析はそれなりに価値はあると思うのですが、実は、という変数が無情にもその数式を否定してきたことが多いように思うからです。そしてその変数の分かりやすい表現が、運と縁とタイミングではないかと思うのです。それは、私が今ここで働いていること自体が運と縁とタイミングであり、これに自分の努力を乗数とし、学習を繰り返しながら一段ずつカリン塔の頂上を今でも目指しているからかもしれません。頂上に何があるかは分かりませんが、その途上の階段をできるだけ逃げずに踏みしめていくことで、いつかなぜ介護だったのかの真の答えを見つけられるのではと思っています。

吉岡理恵

1981年東京都生まれ、東京都立大学経済学部卒業、大学在学中にオーストラリア、マッコーリー大学に公費留学、帰国後法律系事務所でOLとして働く、2014年東京都職場体験プログラムを機にESLのデイサービス、ユースタイル諏訪ノ森で介護職デビュー、2016年より常勤職員として土屋訪問介護事業所の重度訪問介護事業に参加し各地のマネージャーを務め現在に至る、2018年介護福祉士登録、OL時代にフルマラソンに挑戦し完走8回、趣味は料理と読書