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『重度訪問介護で平和をつくる  part 7』~親の会に参加して~

『重度訪問介護で平和をつくる  part 7』~親の会に参加して~

安積遊歩



2019年11月17日と18日、沖縄で「肢体不自由児・者父母の会連合会 九州ブロック大会」が行われた。
基調講演を頼まれ、私のこれまでの人生と、重度訪問介護が、障がいを持つ当事者の生活にとってどんなに重要なものであるかを話した。

40年前青い芝の会に魅了され、活動を始めた時、私たちの自立を阻む4つの壁があると、脳性マヒの先輩から聞いた。

先ず最大の壁は「親」。二番目に「施設の職員」や「養護学校の教師」。そして3番目が医療や教育に携わるいわゆる「専門家」と言われる人たち。そして最後に障がいを持つ人の人生は全く自分には関係ないと思っている「街中のすべての人たち」。

私にとっては、親は最大の壁ではなかったが、長い間肢体不自由児親の会など、すべての親の会は、施設づくりを悲願としていた。つまり、私たち当事者運動とは、完全に真逆の方向性に走り続けていた。

だから、施設を厳しく批判し、地域での自立生活を求め続けた私を、今回、基調講演者として呼んでくれたのには、様々な人々のただならぬ働きかけと努力があった。

特に、自立生活センターイルカが支援している重度重複の障害を持つ、Tさんが登壇し、彼の自立に向けた生活のビデオを見せてくれたことは、私の話を力強く現実化したものだった。

重度訪問介護は、家族介助の限界を鮮やかにしてなおかつ、家族と当事者にとって、希望ある人生を提示するシステムなのだということが、はじめて多くの親たちに、一気に伝える場となった。

次の日壇上で、障害を持つ子とともに生きることが、どんなにつらいかを話していた3人の親たち、その中のFさんの言葉が私には衝撃的だった。彼女は「今からの報告は、私の一昨日までの考えです。私は昨日、これから自分がやっていきたいことが、本当によくわかりました。でも、とりあえずまとめてきたものは、一昨日までのものなので、それを話しますね」と、言ったのだ。つまり彼女に、重度訪問介護を使って生きるということの可能性が、見事に分かち合われたということが、この言葉からも明確だった。

他にも、多くの親たちから、賞賛の言葉をいただいた。そのほとんどが、女性たちであったことが、さらなる感慨を覚えたことであった。

私自身も、40歳の時に当事者でありながら、同じ障害を持つ娘を産んだ。親になるということの、困難とチャレンジに、20代のときなら、あまりにも差別が厳しすぎて諦めてしまっていたかもしれない。

しかし、その後20年間、差別に向き合い続け、困難とチャレンジを、軽減すべく活動し続け、その成果として、街中のアクセスの変化と、介助料の創出を勝ち取ってきた。だから、娘がお腹に来たときには、闘いを継続するだけの覚悟は充分にできていた。

妊娠中、心に決めていたことがあった。それは活動の中で徹底的に親の苦悩と愚かさを感じてきたし、私自身も障がいを持つ当事者だったから、「子供を所有化しない」という決断だった。

私たちの社会は、そして私たちの未熟な人間性は、子どもたちに対して、完全なリスペクトを払っていない。特に、幼児期には、自分が産んだ子供は、自分のものだからどう扱っても構わないのだという、ありようが満ちあふれている。幼児期の私たちは、最重度障害者とほとんど似た状況であるのに、親たちは、一人前にするまでは、自分だけが責任があるのだとさえ思い込んでいる。

この一人前という言葉も曲者だ。つまり生まれたばかりの時から、20代くらいまでは、一人の人間になる前の時期にいるというわけだ。

私自身、子供時代に周りの大人たちの対応に、いつもいつも苛立たしさを感じ続けていたと思う。特に医療と教育の子供だった私に対する対応は、最悪だった。そんな中、私の母と妹は、私の思うこと言うことを、愛情に基づいて聞き、できることのすべてを行動してくれた。

私が娘を産む前に知っていたことは、この二つだった。つまり、子供は親の所有物ではないということと、生まれた瞬間から子供は一人の大切な尊厳に満ちた人間であるということ。非常に幸いにも、娘の父親である人にも、この決断と視点は分かち合われていた。だから、娘が骨のもろい体をもって生まれても、娘のしたいことは、徹底的に応援してくれたし、多くの助けを求めることは、娘の愛情を分かち合うことでもあると考えていた。

彼は無類の子供好きでもあったから、常に人間として子供を見るまなざしがあり、バカなしつけや礼儀を、押し付けることも全くなかったことは、非常に幸いだった。ただ私たちのような関係は、この社会ではまだまれだ。

障害を持つ子がいる家族の中で、父親が母親と同じように介助の日々を担うことは、年配の夫婦であればほとんどありえないことだっただろう。この大会に参加した多くの家族に出会い、重度訪問介護の拡散充実が、障害者差別のみならず、女性や子供への差別からの解放、それはすなわち平和の鍵であることを見せてもらい、考え続けた二日間だった。


【略歴】
1956年、福島県福島市生まれ。生まれつき骨が弱いという特徴をもつ。22歳で親元から自立。アメリカのバークレー自立生活センターで研修後、ピアカウンセリングを日本に紹介。障害者の自立生活運動をはじめ、様々な分野で当事者として発信を行なっている。
2019年7月、NHKハートネットTVに娘である安積宇宙とともに出演。