「エロスはタナトスで、タナトスはエロスだ」

鈴木暢大



『エロトス』 

聞いたこと無い人もいると思いますがそれも当然で、
【エロス】性本能・自己保存本能を含む生の本能をさす。
【タナトス】攻撃、自己破壊に向かう死の本能をさす。
この「エロス」と「タナトス」を組み合わせた独特の「荒木語」なのだから。

 生きる情動と死の衝動。
 生のエロスと死のタナトス。
 この二つは何としても切り離せない。
二つの発現を少しずつ瞬間のほうに縮めていけば、エロスとタナトスは表裏一体になる…
と、このままだとフロイトのコラムになってしまう。
私の知っている限り「エロスとタナトス」という言葉を連発して「エロトス」という造語まで作ったのはアラーキーこと荒木経惟です。アラーキーと聞くと過激やスキャンダルなヌード写真、展覧会の方が先行されている感がありますが、それは荒木経惟の写真が観れて無い人です。
 「エロスはタナトスで、タナトスはエロスだ」と荒木経惟はよく言っています。学生の頃にその荒木経惟からエロスとタナトスというセンテンスを教えてもらったが「なんのこっちゃ」でした。

 1940年、東京の下町である三ノ輪の下駄屋を営む熱心なアマチュアカメラマンだった父、長太郎の影響で小学生の頃から自分で写真を撮影していたのが荒木経惟だそうです。この三ノ輪という生まれ育った土地の近くには浄閑寺があり、そこを遊び場にしていたそうですが、この浄閑寺は吉原遊郭の身寄りのない遊女の遺骸を門内に運び込んで放置した、いわゆる「投げ込み寺」であったことが、「エロトス」という独特の荒木語の資質と言われています。
 そんな荒木経惟が陽子夫人との新婚旅行を写した1971年の写真集『センチメンタルな旅』のオリジナルプリントが恵比寿にある東京都写真美術館に収蔵されているので、時間があれば寄っていたですが、前回訪れたのはもう4年前の2015年でした。しかも休館中。その2年後の2017年7月25日には東京都写真美術館で個展「荒木経惟 センチメンタルな旅 1971-2017」もあったのですが、当時は日本にもいなく逃してばかりでした。
 この「センチメンタルな旅」は1,000部限定の1冊1,000円の自費出版された「私小説こそもっとも写真に近いと思っているからです」という後に「私写真」と称されて、写真表現の重要な位置づけになっていきます。
 自費出版の写真集を手にすることは限りなく不可能なのですが、1990年に20年間連れ添った妻、陽子が子宮癌で倒れ死去した翌年に20年前の「センチメンタルな旅」の写真と陽子の死の前後をコンパクトカメラで撮影した「冬の旅」をカップリングした『センチメンタルな旅・冬の旅』が刊行されセンセーショナルを巻き起こします。同年代の写真家、篠山紀信はこれについて意見が対立し絶縁状態が続いたと言われていました。
そんな写真集を眺めていた時、柳川の小舟の中で丸まって眠る陽子の姿の私写真を観て、
「エロスはタナトスで、タナトスはエロスだ」
と云うことがバンっと入ってきたのは鮮明に覚えています。

 アタシが思うには、寫眞っていうのは「その場のこと」じゃなくて「時」のことなの。寫眞は過去・現在・未来を想像させなくちゃいけないの。そうすると、そこにはやっぱり「死」ってことが絡まってくるわけ。

「時」と「死」に辿り着くことはあるのだろうか。できるのだろうか。そういえば、このところずっと液晶画面を視てシャッターを切っている。もう一度、ファインダーを視てシャッターを切ってみよう。



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