ニュース&ブログ

旧ソ連の避妊具秘話

旧ソ連の避妊具秘話

古本聡




«Если хочешь быть сухим в самом мокром месте — покупай презерватив в Мосрезинатресте!» 

  上に記したロシア語の文言、何かお解りだろうか。
実はこれ、1920年代前半の旧ソ連で初めて書かれた男性用避妊具のキャッチコピーなのだ。しかも作者はなんと、あのロシアン・アバンギャルド派を代表する旧ソ連の詩人V.マヤコフスキー(1893~1930)。

  さて、文言の意味なのだが、日本語に訳すと表現が若干(?)直截すぎるので、英語にしてみようと思う。解釈は読んだ人に任せるとして・・・。

  «If you wish to keep yourself dry in that very wet spot, buy condoms at the Moscow Resin (Rubber) Trust!»

  帝政ロシア時代も、また社会主義革命後もしばらく、ロシアでゴム製避妊具は製造されなかった。少量がフランスから輸入されてはいたものの、積極的避妊という概念すら浸透していなかったロシア庶民の間では人工中絶件数が異常に多かった(1914年の統計では年間40万件)。処置も医師によるものは少なく、その為女性の死亡する率が非常に高かった、という。革命後、1920年には人工中絶を世界で初めて合法化するものの効果が上がらず、ようやくこの問題に前向きに取り組み始めたソビエト政府が詩人のマヤコフスキーに書かせたのがこのキャッチコピーだったのだ。

  旧ソ連の避妊具
レーニン亡き後、政権はスターリンの手に渡ったが、この冷酷な独裁者は1936年、労働力不足を理由に人工中絶を再び全面禁止とした。そして同年、その代わりの策として、モスクワ郊外にあった「バコフスキー樹脂技術製品工場」で、ロシアおよび旧ソ連初の避妊具が開発・生産され始めた。
この対策の発案者も意外な人物だ。なんと、数千万人の国民が殺傷、強制収容所送りになったスターリン大粛清の実質的実行者だった政治家、ラヴレンチー・ベリヤ(1899~1953)だったのだ。

  ところで、旧ソ連製避妊具は、同工場で「製品第2号」と名付けられたが、「製品第1号」は、毒ガス兵器用の防毒マスクだったことは有名だ。
(製品第1号のポスター。男性用・女性用の両方があったようだ。)

   (「避妊具を選ぶ際は、予め女性相談所にご相談ください。」とある。)

  当時の製品第2号のサンプルを、1987年に生活・風俗博物展で見たことがあるが、余りにも不細工だったのを覚えている。色は不透明な黄色で、紙をめくる際に使う指サックに酷似していた。
ゴムがくっついてしまわないように滑石の粉がまぶしてあって、ひどい悪臭だった、と知り合いのロシア人が説明してくれた。

  丈夫さだけが取り柄だったらしい。なにせ当時のソ連国家工業規格GOST(日本のJISに相当)では、1平方センチ当たり200kgの負荷に耐える強度を要求されていたのだから。これは、製品一つにバケツ一杯の水を流し込んでも持ちこたえるのに等しい。他のSoviet-made products同様に、使い心地、便利さは後回しにされてしまったのだろう。

  サイズは1種類のみ。伸ばした状態で平面に置いたときに幅54mm、長さ180mmになるべし、と規定されていた。因みに、日本製の標準サイズは、長さ約15cm、直径約35mmとなっている。
価格は1個2コペイカ(日本円では不明)。
(1955年製のパッケージ)


  私が避妊具と言うものを知ったのは1970年代中ごろのこと。使用には、勿論、至らないまでも、興味を持ち始める年頃。モスクワの学校でもそろそろ性教育が開始されていた。当時、ただでさえも不足していた製品(年間生産量3000万個)を十代の子供がすんなり買えるわけがなかったのだが、薬局の売り子にチューインガムか外国製チョコを渡しておくと、次に仕入れがあった時に数個を分けてくれた。

  そんなものを買う目的は何かと言うと、それはズバリ実験と悪戯だった。
ソ連製は、パッケージから取り出して伸ばすとそのまま直立すると言う噂があったので、やってみた。さすがにそのままでは立たなかったが、息を吹き込んで15分くらい放置しておくと、見事に噂は裏付けられたのであった。

  その後は、実に月並みなのだが、水を入れて窓から落としてみたり、ロシアの女の子がよくしていた三つ編みで一本の束にした髪に、そっとぶら下げて見たり・・・等々、であった。お恥ずかしい限りだ・・・。

  ところで、先に書いたように、製品第2号もGOSTという世界でも最も厳しい工業規格の一つに数えられる規則に則って製造されていた。が、この規格が改定されない限り、それに基づいて作られる製品も改良されないので、第2号の品質は、1950年代初頭に一回変わっただけで、1980年代初頭まで同じだったと言われている。

  その1980年代の初頭、大変なことが起こる。それまで何とか隠ぺいできたエイズの流行が、表ざたになるほど酷くなったのだ。
そこで当時のソ連政府は、急遽GOST規格の改訂を指示すると共に、それまで年間1億個程度だった生産量を一気に2億個に引き上げるよう大号令を発した。

(1981年のGOST規格改定版の表紙と製品寸法図)



      しかし、当時ソ連邦の総人口2億8000万人に対し2億個では到底足りるものではなかった。そこで、1980年代中ごろにはインドからの緊急輸入を実施した。インド製は、ソ連製の倍の値段だったが、実によく売れたらしい(ネットで調べた限りでは)。

  私も記念にと思い、1970年代性の製品第2号を帰国時に持って帰ってきた記憶があるのだが、あれはどこに行ったのやら・・・。今度、実家のチェスト(大きなトランク)でもあさってみるとしよう。

  ちなみに、使用する材質は当然向上したと思われるが、工業規格GOST 4645-81は現在も有効である。


(2017年7月の記事より、再掲載)

【略歴】 昭和32年生まれ、脳性麻痺1種1級、6歳からの5年間余、旧ソ連の障がい児収容施設での生活を経験した最初で最後の日本人。早稲田大学商学部卒、大学院生だった25歳より英語とロシア語翻訳会社を経営。16年4月よりユースタイルカレッジにて障がい当事者としての講話を担当。