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生と死について16  「私の中に父が生きている」

生と死について16  「私の中に父が生きている」

吉田 政弘



 「あの人は今も私の心の中で生きている。」というセリフを小説やドラマでよく見ることがある。この言葉に対して、私はどこか恥ずかしさを感じ、感傷的・情緒的な気持ちは察するものの、リアリティのある感情というよりは、トレンディな「台詞」として理解していた。

 今年2019年3月、私の父が他界した。

 兵庫スタッフ及び関西マネージャーの協力のお陰で、私は父が亡くなる前に病室に駆け付けることができ、亡くなるその瞬間に立ち会うことができた。

 父は間質性肺炎という肺が石のように固まって呼吸することができなくなっていく特定疾患に罹り、数年間酸素ボンベを引きずりながら常に鼻に酸素チューブを繋ぎ、頻繁に咳き込んではSPO2が60代まで落ち、その状態は「生きながらにして常に溺れている苦しさ」と表現していた。
 そんな父は家族に迷惑を掛けたくないという思いから、亡くなる数ヶ月前から終の棲家としてホスピスに入っていた。ホスピスのドクターと看護師さんに「私はここに死にに来ました。ご迷惑をお掛けしますが宜しくお願いします。」と挨拶したという。
 ホスピスに入院中の父から一度だけ電話が掛かってきたことがある。その電話の内容は「お前が今働いている会社のことを教えてくれ。」というものだった。ユースタイルラボラトリーに転職する際に、「重度の病気や障害のある方の在宅生活を手伝う仕事」と簡単に説明をしていたが、ホスピスの看護師に私の仕事のことを聞かれて詳しく答えることができなかったからとのことだった。
亡くなってから知ったが、父はその仕事に転職した私のことを誇らしくそのホスピスのドクターや看護師に話していたという。

そんな父がいよいよという時に私は幸い病室に駆け付けることができた。既にモルヒネの投与が始まっていたが、苦しい呼吸の中、まだこちらを見て私を認識し、言葉も理解していた。
徐々に意識が遠のいていき、もうすぐ死ぬという時、私は最後の言葉として咄嗟に父に以下の言葉を伝えた。
「俺の社会人人生は全て親父の影響を受けて動いている。親父のリストラから政府系の銀行に入り、弱者側に立つ必要があることから経営コンサルになり、親父の病気の姿を見て介護の仕事に転職した。大きな影響をありがとう。」

 今私がユースタイルラボラトリーで日々使命感を感じながら仕事をしているのは紛れもなく父の影響だと思う。咄嗟に考え付いた最後の言葉ではあったが、上記の言葉を改めて考えた時、「私の中に父が生きている」という気持ちを現実に感じた。
(死んだ)父が(私の中に)生きているという、生きているのか死んでいるのかよく分からない、頭が混乱する表現である。
ドラマでよく見る心拍計の「ピッ、ピッ、、、、ピーーー(平行線)」という、生命体としての「生と死」とは別に、形而上の「生と死」があるのだと思う。

 介護職は蘇生させたり延命させるような医療的な処置、治療をする仕事ではない。そのような生命体としての「生と死」は医業者の専門分野であるが、形而上の「生と死」はむしろ利用者と長い時間を共にする介護職の方が追求しやすい立場にある。

呼吸器を着ける等の道を選び、生命体として「生きる」ことを選んだ方の人生を、より永く、形而上的に延命していくのが介護職の使命ではないだろうか。
つまり、その利用者がより多くの人に、より深く影響を与え、死後もご家族や関わった人の心の中で生きていく存在となるようにお手伝いしていく。痰が詰まっているから痰を吸引する、体勢が辛そうだから体位変換をするというだけではなく、それプラスアルファで、その利用者の影響力や存在意義を最大化していくお手伝いをしていく。

本当は自宅で死にたかったであろう父の想いを胸に、明日からも仕事に取り組んでいきたい。

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