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ブックレビュー 『明日の障害福祉のために―優生思想を乗り越えて―』浅野史郎 (著)

ブックレビュー 『明日の障害福祉のために―優生思想を乗り越えて―』浅野史郎 (著)

吉岡理恵

厚生労働省のキャリア官僚、そして宮城県知事を務めた浅野史郎氏のお名前は、この仕事をしている中で日本の障害福祉の著名な方、として時折耳にしていました。しかしながらキャリア官僚という職業のイメージが、毎晩夜中まで省庁内外であの手この手で予算の取り合いと出世競争をしている仕事という程度しかなく、知らないがゆえにネガティブなヒントに引きずられていましたが、この本を読み、浅野氏の信念と業績に敬服し、こういう方が日本を動かしているのなら日本もまだまだ捨てたものではないな、と思いました。

浅野氏は1948年生れなので現在は71歳。23歳で厚生省に入庁し、30歳の時に在米日本大使館に出向し、37歳で北海道庁に出向し福祉課長を務め、39歳の時に厚生省児童家庭局障害福祉課長になり、45歳で宮城県知事に就任、12年間知事を務め、その後慶応大学で教鞭を取られたそうです。

浅野氏ご自身は、厚生省入庁まで障害者との関りはなかったそうです。しかし、入庁後の新任研修のときに重症心身障害児施設を見学する機会があり、そこで見た重症児を見て、「この子たちは何のために生きているのだろう」という疑問を持った時に、施設指導員が「今日できないことを明日できるようにするのが私たちの仕事」と発した言葉を聞き、自分では何もできない子が生きていること、生きていることに意味があるから生きているのだということ、そしてその子たちにも進歩という希望があること、そして進歩を実感できたら生きていることの喜びにつながるのでは、と思ったことが、行政官の仕事を「この社会を誇り高いものにする国造り」とする自負を持つきっかけになったそうです。

浅野氏の北海道庁での福祉課長時代は、道営ケア付き住宅設立に奔走し、その実現過程の中で、行政と障害者がお互いの立場の違いを認めたうえで同じ目標を仲良く目指す、という関係性の健全さを実感したそうです。厚生省福祉課長時代は、ご自身の職務を、どんなに重い障害を持った人も「生きていてよかった」と思えるような生活ができるようにすることだと自らに課し、在任1年9か月間を走り切ったそうです。そして浅野氏が課長就任時に課員に示した7箇条の訓示が本書に紹介されてあり、概要は以下になります。
1.仕事は時間の長さではない。仕事の中身でこそ勝負すべし。
2.儀礼的な挨拶草稿は少々手を抜いても本来の課題と正面から取り組め。
3.情報や事態は隠すな。
4.現場を少しでも見て、現場の人と語れ。
5.大会、シンポジウム、研究会等には積極的に参加せよ。
6.親や団体と向き合え。とくに親は親をやめられないのだからこれらの人の言葉の重みを受け止めよ。
7.思想を言語化せよ。自分の考えを文章化する努力をせよ。

これらが当社訪問介護事業部での暗黙知の要素とほぼ同じであることに、驚きと親しみを覚えた次第です。

浅野氏が厚生省福祉課長時代にやったことに、グループホームを作ったこと、そして強度行動障害の名付け親となり、その調査研究を行ったことがあります。そして宮城県知事時代には、施設解体に尽力したそうです。この本によると、一定数の知的障害者の方々が、衣食住のみが保証されている空間でその一生を終えると記されています。そして、そのような施設においては人権は不存在と感じられるようです。それは、寝食以外の時間がほぼ自由時間であること、自由時間とはすなわち何も決められていない時間です。何も決められていない時間に入所者が何をするのかというと何もすることがない。なぜなら目標がないからだそうです。何らかの目標がなければトレーニングは必要ありません。しかし、トレーニングがなければ社会復帰もありません。これが知的障害者の施設の在り様だそうです。だとすると、施設とは夢を持つことが許されない、罪はなくとも無期懲役と表現されてしまう場所なのでしょう。

障害福祉の仕事をしていく中で、知的障害者の方々の人権についての問題提起、というキーワードを耳にしてきました。私自身があまり深く考えずにいたこともありますが、施設という閉ざされた空間で暮らすことが人間の生活とみなされてしまうことはとても寂しいことです。そして、地域で生活している知的障害者の方々の現実も悲しいもののようです。先日、同僚の佐藤飛美と一緒に参加した全国自立生活センター協議会主催のアメリカ(ニューヨーク)における脱施設の取り組みの学習会の中でも指摘があったように、知的障害者の方々の居場所が施設か刑務所かの二択になってしまうことがあるということ。この本にあったように、職場ではいじめられやすく、汚い仕事を押し付けられ、退職に追い込まれやすいのが知的障害者の方々であり、それが知的障害者の方々を取り巻く現実だということ。そして、地域で生活している知的障害者の方々の一定数が、性被害にあっていたり、本人の意思が曖昧なまま性産業で働いているということ。

こうしたことが現実におこっているのだと思うと、知的障害者の方々がよりよく生きられる社会が幸福な社会である、と唱えられることの意味が理解できるような気がします。浅野氏は障害福祉の仕事をする中で「教育とはなにか」と考えたそうです。そして教育とは引き出すこと、たとえ障害があったとしてもその人の能力を引き出すことであると。これを始点にすると誰もが当たり前の生活を当たり前に享受するという言葉の重みが分かってくるような気がします。

では知的障害者の方々に対して社会全体が担えるよりよい支援は、という問いに対しては実はまだ正解らしい正解は出ていないように思います。当社でも数名いらっしゃいますが、自立生活をしていたりグループホームで暮らしている知的障害者の方々に対する支援は、関係者が一丸となって特例のケースとして毎日を手探りで進めています。そのような方々の周囲では、どうしても親元で暮らすことのできない理由や、我が子の介護で一度もぐっすりと寝たことのない親御さんの話も聞きます。一方で施設では、職員の方々は多動や他害の恐れの少ない利用者を置き去りにしたくなくても、現実は行動障害を伴う利用者にケアの比重を置かざるを得ないようです。だとしたら、私たちが少しずつそのケアに携わっているように、まずは強度行動障害を伴う方を施設から地域に移行し、一対一のケアでその方の自立生活を始めてみることは知的障害者支援の選択肢と可能性を広げていると言えるでしょう。

先日、福山で開催された当社の学習会では、老若男女、障害のあるなしに関わらずたくさんの方にお集まりいただきました。公民館で何かやるらしいから来たという近隣住民の方々、お母さんに連れられてきた小学生のお子さん、障害福祉や高齢者介護の仕事に携わる方々、そして第二部の燧冶(ひうちや)さんでの懇親会では認知症の方が作ってくださったおにぎりの提供がありました。始めから終わりまで統一感がないようでものすごい統一感があった学習会でした。実はイメージ通りに運営は進行しておらず、議事進行に前後があったり、椅子が足らなくなってしまったりと想定外のことが起こっていました。しかし、学習会を地域社会の一つの居場所である公民館でやったこと、公民館でやるからという理由で参加してくださった方々がいらしたということは、私たちが地域社会のパーツの一つとしてこの存在価値を認めてもらえているのだととても嬉しく思いました。

もしあの場に知的障害の方もいらしていたら、それこそが私たちが目指す社会の在り方だったように思います。誰もが当たり前に地域社会に暮らし、地域の行事に参加し、知らないことを学習し、普段深く考えないことを立ち止まって考える機会もある、そこに誰もが当たり前に参加する、そんな社会です。そして、私たちの未来が浅野氏の言葉通りの、誰もが生まれてきたことをよかったと思えるような社会、に少しずつでも近づけいけたらと思います。福祉とは、そして地域社会で暮らすとはいうことに対して、今の現実と併せて考えてみました。

※現在の浅野氏はATL(成人T細胞白血病)という病と闘っているそうです。一日も早い快復をお祈り申し上げます。



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