ニュース&ブログ

ケア・ハラスメントを考える〜利用者の立場から〜

ケア・ハラスメントを考える〜利用者の立場から〜

安積遊歩



障がいを持って女性として生きていると、この社会の常識というものに縛られずにものを見れる瞬間が多々ある。一番思うのは男性と向かい合った時に感じるものだ。

この社会は、特に日本の男社会は女性を、性的なターゲットとして見ているので、私は自分のからだが男性の人間性を測る踏み絵のようだなと感じるのだ。

全てのアダルトビデオは、女性を対等な人間としては見てはいない。あそこに登場する若い女性たちへの嘘と暴力による追い詰め方はあまりにも凄まじい。

だからアダルトビデオのスカウトから全く自由であるということは、皮肉ではあるが、自分の体がとても素晴らしいと思う点だ。

何を言いたいかというと、とにかくこの社会は異様な女性蔑視、差別社会だということだ。アダルトビデオの作られる現実を記述した本がある。そこには21世紀とは思えない現実が繰り広げられていた。そこに登場する若い女性たちには、先の戦争で日本兵の暴力にさらされ続けた性奴隷の人たちと重なる点が多々あった。

まずケア・ハラスメントの問題を考える時に、全ての人がこの性暴力が蔓延する社会に生きているのだということを自覚しなければならない。

ケアの仕事をする男性、そしてケアを受ける男性の中の何%が一度もアダルトビデオを見たことがないと言えるだろうか。そして反対にケアをする側の女性たちはほとんど見ていないのではないだろうか。

もちろんこのコラムは、アダルトビデオを見ている男性を攻めるために書いているのではない。また、アダルトビデオなど自分には関係がないから見たくもないと思う女性に意見するためでもない。

アダルトビデオは、暴力を容認し女性差別を徹底的に強化するために使われている道具でしかない、と私は思う。

どんなに言葉を尽くしても、あそこに登場する若い女性たちにお金が十分あって、人からの注目も十分あったら、そして自己肯定感を育む教育を受けていたら、あそこに出演したいと思う女性はいないと確信する。そしてまたその業界に働く男たちもまたそれ以外の仕事に簡単にアクセスできるなら、本当にそれがしたくてしている人がいるとは思えない。若い女性を騙し、窮地に追い込み、暴力で人の尊厳を踏みにじる。そんな残酷な仕事をしたいと思う男性がいるはずはない。

それぞれがみんな母親のお腹から生まれ、ケアの必要な赤ん坊の時代をなんとかサバイブしてAV業界に出会う。

人の体に触れるという意味では、AV業界でもケア業界も変わらないのに、その2つは全く真逆の仕事だ。

介助をするということは、暴力を振るうということの対極にある。介助に求められるのは、愛情に満ちた想像力と対等感。それに対して暴力はそれらを完全に拒否し、体も心も徹底的に破壊する行為だ。介助の仕事に就こうとするときに知っていて欲しいのはまずこの点だ。 私たちはアダルトビデオの蔓延する、人間社会に生まれ落ち、女性は性的な場面で男性の要求を拒否すること自体で価値が下がると刷り込まれ続けているということ。男性は男性で、たまたまちっこいペニスが体について生まれてきたために「男はこうあるべき」という刷り込みを程度の差はあれ、どの男性も免れないできた。

ようやくそのセクシュアルな関係性の中にまで、あるいは中にこそ、女性蔑視、女性差別が凄まじく大きいということが、認識され始めてはいる。伊藤詩織さんの告発を受けた形で、metoo運動の広がりなど変化は確かにある。

しかしケアの場面においては体に触るという最もプライベートな関わりこそが主体なのにも関わらず、お互いの性意識は問われることがない。

私はケアの仕事をしようとする人に、ぜひ自覚してほしいことがある。単なる自覚だけではなく、その暴力性に満ちた性意識を変えるためにどのようにしたらいいかを共に考えようと思っている。それでいくつかの問いを考えてみた。

まず、ケアに入ろうとする男性には次のことを聞きたい。

1あなたはアダルトビデオを見たことがありますか?見たことがある人はどれくれの頻度で見ていますか?
 2 AVの中のストーリーについてどのように感じ考えていますか?AVを見る自分をどのように考えていらっしゃいますか?
 3 自分自身の体を大切にできていると感じていますか?

ケアに入ろうとする女性にも質問もしたい。

1、AVに出演する女性たちについてどう思っていますか?自分には全く関係ない世界だと感じていますか?
2、男性利用者から嫌だなと思う介助を頼まれたとき、断れますか?断るということについてどう感じていますか?
3、自分自身の体を大切にできていると感じていますか?

この男性と女性に対してした最後の質問もまた、ケア・ハラスメントを止めるために重要だ。私は自分が利用者の立場としてどんなに介助者として良い人であってもなかなか働いてもらえない人たちがいる。それはアディクションに捕まっている人たちだ。

まず、タバコ。これはようやく最近言われ始めてきたが、ニコチンの害は本人とその周りにいる人にとどまらず、吸っている人の衣服や髪にへばりついて害を撒き散らす。第三次喫煙と呼ばれているものだ。私はそれでも話しができて選択が可能だから、まだこの害からも逃れられるが、スモーカーの親を持つ子供達の悲劇を思うと胸が痛む。嗜好品として税収として大きいタバコは、その害が医学的にも完全に指摘されながらも、人は混乱しながらその存在を肯定し続けている。その害はケアを受けなければならない子供たちや、障がいを持つ人に自分の決断ではないところで押し付けられているので、その深刻さに限界がない。

2つ目はアルコールだ。これもまた税収として大きいので、なくなるどころか男性社会の暴力性を牽引する形で使われ続けている。ケアの直接的な現場にこのアディクションを持った人が酒気を帯びながら入るということは考えられないが、そのアディクションがある人が、ケアの現場にいるといつの間にか大きな問題が生まれることがよくある。

なぜなら暴力とアディクションは非常に親和性があるからだ。つまり、自分が飲まなくてもアルコール依存症者のいる家庭で育ったり、またケアの直接的な現場に酒気を帯びた人間がいたりすると、それだけで暴力的な現場になり得る。

暴力を振るう人のほとんどがこのタバコやお酒のアディクションにはまっていると言っても過言では無いだろう。良いケアをしたいと思うのなら、自分の体を大事にすると言うことから始めてほしい。そして自分の体を大切にすると言う事は、このアディクションを見つめて向き合いそこから自由になると言う事でもあるのだ。

最初に書いたアダルトビデオ等の性ポルノ依存ももちろんアディクションである。そのほか、薬やギャンブル、買い物や甘いものなど、体に良くないと知っていても仕事の辛さや孤独を紛らわすために、この競争原理社会のシステムを混乱のままに続けていくために、アディクションは非常に機能する道具となっている。

ジェンダーはケア・ハラスメントの背景を成し、アディクションはその根幹に大きく横たわっている2つの問題だと私は感じ考えている。介助の仕事を志す人たちにその2つの問題への気づきを少しずつ問うていきたい。そしてそれはこれからの全ての事業所に求められる観点となっていってほしいと思っている。

安積遊歩さんの人気コラムはこちら
【略歴】
1956年、福島県福島市生まれ。生まれつき骨が弱いという特徴をもつ。22歳で親元から自立。アメリカのバークレー自立生活センターで研修後、ピアカウンセリングを日本に紹介。障害者の自立生活運動をはじめ、様々な分野で当事者として発信を行なっている。
2019年7月、NHKハートネットTVに娘である安積宇宙とともに出演。