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ロシア・モスクワ市内のバリアフリー状況 ~前編~

ロシア・モスクワ市内のバリアフリー状況 ~前編~

古本聡




私がハイティーン時代を過ごしたモスクワ市内のバリアフリー状況について、興味深い話題があり、掲載元から内容の引用と画像転載を許されたので、紹介しておきたいと思う。

  去年の7月のことになるが、ロシアの社会系大衆「雑誌「大都市」(журнал «Большой город»)の呼び掛けで身体障害者と各界の著名人、文化人による、モスクワのバリアフリー検証車いすツアーが催された。場所は、昔から政治・経済分野のエリート層が多く住むクトゥーゾフスキー大通り(モスクワの西方に延び、最終的にはウクライナのキエフ、ポーランドのワルシャワ、ドイツのベルリンにつながっている。1812年、ナポレオンはこの街道を通ってクレムリンに攻め入ろうとし、その130年後の1942年にはナチス・ドイツ軍もこの道を進攻した。)。またこの大通り、2006年に、2014年ソチ冬季オリンピック・パラリンピック招致決定に際して、ルシコフ前モスクワ市長が「バリアフリー化が完成した」、と宣言した地区である。

実は言うと、私は高校生時代(15歳~18歳)、この通り沿いにあった外国人居住区(当時の旧ソ連政府は、外国人だけを高い隔壁で仕切った区域に住まわせていた)で生活し、通りを挟んで向かい側にあった学校に通っていたのだが、このクトゥーゾフスキー大通りは、管理管轄区分で言うと「連邦道路」と呼ばれる公用車(政府要人や省庁高官の車、緊急車両、軍用車両)優先通行幹線道路である。公用車は信号も速度規制も守る必要がない。そのためか、幅40mのこのとてつもなく広い道路の全区間(約7㎞)に渡り地上の横断歩道がない。地下横断歩道が3か所程度あるだけだ。



検証ツアーの主だった参加者は、主催雑誌社の副編集長エカテリーナ・クロンガウズ(Екатерина Кронгауз)、映画監督のイワン・ドィホーヴィチヌィ(Иван Дыховичный)、ワレーリヤ・ガイ=ゲルマニカ(Валерия Гай-Германика、気鋭のTVドラマ・プロデューサー)、俳優のアルトゥール・スモリヤニノフ(Артур Смольянинов)、IT企業オーナーのアントン・ノーシク(Антон Носик)、詩人のレフ・ルービンシュテイン(Лев Рубинштейн)、歌手のエレーナ・ポグレビジスカヤ(Елена Погребижская)、ロシアREN TVニュースキャスターのクセーニア・トゥルコワ(Ксения Туркова)、そして経済ジャーナリストのイリーナ・ヤースィナ(Ирина Ясина)、車椅子の国際弁護士のアレキセイ・モロゾフ(Алексей Морозов)、女子車いすテニス・ロシアチャンピオンのナターリヤ・バフマートワ(Наталья Бахматова)など、現代ロシアを代表する錚々たる顔ぶれであった。

なお、車いすで常時生活しているのは最後の3人だけで、その他はいわゆる健常者。この日は全員が車いすに乗って、この通り沿いにある地下鉄クトゥーゾフスカヤ駅~キーエフスカヤ駅間の約4kmを、歩道縁石の高さ、周囲の店舗や街頭設置型ATMの使い勝手の良し悪し、地下横断歩道の状況を確認しながら、3時間強をかけて『散歩』(主催者はこう呼んでいる)した。


 (『散歩』に出発するバリアフリー検証団一行)



 (出発して10メートル程で早くも座礁)



(角度が急で危なすぎて結局使われない『車いす用スロープ???』。引きずり上げてもらう方が安心で早い。)






(店舗に入ろうとしてみた。店員は見て見ぬふり。)



(届かないATM)



(ハプニング発生。公用車優先道路『連邦道路』を横断すると『騒乱罪』に問われる。)


『車いすの進入を拒む地下歩道しかないので、業を煮やした参加者が手を挙げて道路横断を試みた。一般車両は即座に止まってくれて、また青いライト(VIP車両用回転灯)を点滅させながら爆走していた公用車も、車いすでの『散歩』に同行していた取材陣のカメラを見て急停車した。安心して渡ろうとした矢先、何処からともなく交通警察隊のパトカーが現れ、一行は訊問を受けることに。容疑は、徒党を組んでの連邦道路横断による騒乱罪。その内パトカーは2台になり、所轄交通警察の課長まで出てきた。警官は開口一番、一行代表者に尋ねた「その車いすはどこの国の製品だ?、外国かぶれしやがって!」と。何とか話がつき解放されたが、どこで道路を横断すればよいのか、という質問に警官らはついに答えてくれることはなかった』、と参加者の一人であるイワン・ドィホーヴィチヌィ氏は先記雑誌記事で述べている。



大都市誌の記事だけではなく、この検証ツアーの参加者各自のブログ、ならびに一般の人たちの反響記事などを読んでみたが、総じて私の感想としては「どこがどう変わったの、私がモスクワに居た1970年代と??」である。もう一回繰り返すが、このクトゥーゾフスキー大通りは、ルイシコフ前モスクワ市長が2006年に、2014年ソチ冬季オリンピック・パラリンピック招致決定に際して、自ら「バリアフリー完成地区」を宣言した街なのだ。



~後編に続く~

(2017年5月の記事より、再掲載)

古本聡(こもとさとし)
昭和32年生まれ、脳性麻痺1種1級、6歳からの5年間余、旧ソ連の障がい児収容施設での生活を経験した最初で最後の日本人。早稲田大学商学部卒、大学院生だった25歳より英語とロシア語翻訳会社を経営。16年4月よりユースタイルカレッジにて障がい当事者としての講話を担当。