ニュース&ブログ

2020年の希望

2020年の希望

高浜敏之



まずはじめに。

相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で2016年7月、入所者ら45人殺傷した事件で、殺人罪などに問われた元職員・植松聖被告(29)の裁判員裁判の初公判が1月8日、横浜地裁で行われました。

この史上稀にみる惨劇において尊い命を失われた19名の方々の冥福を祈るとともに、事件のあとに心身ともに傷ついた当事者、ご家族、関係者の全的回復を願ってやまず、またこのような事件をもたらしてしまった社会的文化的背景を探求し、2度とこのような悲劇が再び起きることがないよう、そのために自分自身に何ができるか、諦めることなく、探索しつづけるという決意を、障害福祉分野に携わる者としてその決意を新たにしました。

私は私たちの取り組みを、全ての必要な人に必要なケアを、というビジョンを共有してこの事業を展開する運動を、優生思想との闘い、と自分自身の中に定位してます。

加害者の植松被告は事件後もたびたび、役に立たないものは消えた方がいい、やった行為に対しては全く反省してない、致し方なかった、と述べています。

事件そのものに対しては多くの方々が怒りや嘆きを露にし、加害者を糾弾する言説が飛び交いますが、彼をこのような愚行に赴かせた心理的・思想的なバックグラウンドである、有用性の原理や生産性至上主義と全く無縁であると断言できる人がどれだけいるでしょうか。

もしそのような稀有な人がいるとしても、残念ながら私はその仲間には入ることができません。障害福祉分野に携わることになり20年弱になります。最重度障害者の命の保障に伴走してきた私もやはり、役に立つことはよいこと、無駄な部分を全体から切り離すことで全体の機能は向上する、全体最適のための一部の犠牲は致し方ないという、合理的思考と生産性向上に対する評価、果ては優生主義に帰結するであろう心理的・思想的傾向はたしかにあり、組織の維持と発展を担うマネジメントを生業とする時間のなかでその傾向は顕著になったと残念ながら断言せざるをえません。

この事件の主犯は優生思想です。この世の存在には有用性の原理に基づく優劣がたしかにあり、劣った存在を廃棄することは間違えていないというおぞましくも身近なこの思想が植松聖という身体を借りて起こした蛮行だともいえます。

全ての必要な人に必要なケアを提供することを通じて全ての人の命を保障したいという私たちのビジョンは優生思想と対極にありその超克こそが私たちのビジョンの最終到達点であることは疑いようがないものの、このビジョンの遂行を誓った私たち自身にも優生思想は巣くっています。

故に、このビジョンを遂行する私たちは二重の闘いを余儀なくされます。ひとつはこのビジョンを遂行するために立ちふさがる外的障壁、それをひとつひとつ丁寧に取り除いていく必要があります。もうひとつはこの事業の担い手である私たち自身のなかに住む優生思想、自分自身と向き合うという時間を引き受けることです。やっていることと思っていることの乖離や矛盾は葛藤として私たちのなかにたち現れます。この矛盾や葛藤を安易に取り除こうとせず、あるがままに受け入れながら前進します。

すなわち、有用性の原理に囚われた優生主義的傾向にある私たちが優生主義を超克する社会的・経済的・政治的条件を創出しつづけます。

この矛盾を抱えながら進む歩みは闘いに他ならず、この歩みこそがこのおぞましき思想の膨大な犠牲者に対する私たちなりの追悼と仇討のプログラムであり、このプログラムの継続宣言が私なりの年初の希望です。

なさねばならぬが未だなせてないプロジェクトは膨大です。聞こえているのに未だ応答できず既読スルーが続いている声の数も膨大です。

あきらめない。

この誓いを胸に秘めながら、仲間たちとともにできることを全てやりたい。

昨年は重度障害当事者の木村英子さんが参議院議員になられ、マスコミを賑わしました。彼女が代表を務めた団体が私自身の障害者福祉の入り口であり、彼女の声とその思想の影響下に20年弱の時を経て未だこのフィールドでお仕事をさせていただいております。先日木村さんは毎日新聞の取材に対して、やまゆり園事件の加害者は植松被告だから起こしたとは思っていないと回答していました。

私も同意見です。他者を糾弾することで自分自身が無罪放免されるという無責任のループを常に意識しながら、引き続き脱線の試みに挑戦したいと思います。