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母へ~ありがとう~

母へ~ありがとう~

福武早苗



仕事中に母のケアマネから電話が鳴った。
娘さん!訪問したらお母さんが、また床に倒れてる状態で発見されました。
救急車で病院へ搬送されたのでお仕事終わられたら病院へ行ってください!!

また、倒れたんだ……
力が抜けてしまいそうになった。

うちの母は83歳の独居老人。
自宅での転倒はこれで3回目だ。
認知症の画像検査、問診、診察結果はケアマネと共に聞き、今後の方針が決まったばかりの少し安堵した矢先の転倒だった。

認知症になる手前とはいえ、脳全体は高齢者独特の収縮があり、前頭葉の萎縮が進んでいた。
お母さんに攻撃性はなかったですか?主治医は人格の変化を1番に心配して尋ねた。
前頭葉の萎縮が進むと、周囲への配慮や感情の抑制が出来なくなり、思った通りの行動を取るようになり、温厚だった人でも攻撃性が現れ暴言を吐いたり暴力を振るったり、中には鬱も伴うこともあるそうです。
そして担当医は、診察中に母に最近困っていることは無いですか?と静かに尋ねた。
辛そうな顔で母は、「もう、包丁を握る力もないから料理も作れなくて、足も痛いから起きるのも歩くのも辛いんです。」  そう答えた。

母は3年ほど前から関節リウマチにかかっていた。
身体中の関節が熱と激痛で浮腫み、次第に関節の骨が破壊され変形していくやっかいな病気だ。薬で抑れたとしても痛みは無くならない。副作用から骨粗鬆症が進む。
母は、私に頼るのは迷惑だと思い1人で出来る限り頑張っていた。
買い物も足が腫れ上がると行けない日もあった。自分で行けるから大丈夫だから。
その言葉は単なる気遣いにしか過ぎなかったので実際に食べてない日もあったと後から聞いた。
一体いつからだったのか、薬剤管理も出来なくなり、お薬カレンダーを試しに購入して利用してみたが、今の母にはポケットへ薬を入れることも、必要な曜日時間帯の薬を取り出すことも、もう出来なくなっていた。

1枚の紙に一緒にその日の薬を貼り付けたり、それでも上手く貼れない母。
何とか良い方法は無いのかな。
出来る範囲でフォローしてきた中で少しずつ問題が増える。
一昨年の今頃は、生活介助のヘルパーさんやデイサービスをたまに利用する比較的軽度の要支援の高齢者だった。
けれども、ヘルパーさんが時間になっても来ない、リウマチで足が腫れ激痛でデイサービスにも通えない、たまに通ってもなかなか馴染めない。

ある日、娘さん以外の外部を受け付けなくなってるよ、とケアマネから言われたことがある。
今日は大丈夫だろうか、
ちゃんとご飯食べているだろうか、
薬を飲んでいるだろうか、
生きてるのだろうか、
何事もなく無事に過ごしているのだろうか……。
常に気を揉みながら仕事をしている隙間にフッと母の顔が過ぎります。
ヘルパーもデイサービスも拒否されると、本人が1番困るのですが、家族に負担がかかってしまう。
これは本当に社会問題だな、何度思ったかわかりません。

母は、この度の入院でいきなり歩けなくなり、寝たきりになりました。
足が痛い!リウマチ?理由聞いても、わからん痛い。しか言わず、食事記録には0/10、1/10、2/10、3/10と記入されている。
どうして食べないの?と聞くと、だって、美味しくないんだもん。と答えていましたが、本当のところはわかりません。
病院で見ていても、ゆっくり食べさせてあげる時間もあるとは思えなかったですし、忙しいからといえばそれで済まされるのかもしれませんが。

実際、誤嚥性肺炎だった事も聞いてない、熱があっても、担当看護師から話もありませんでした。
みるみる痩せてしまい1ヶ月経過、そろそろ今後の方向性を決めなければいけない頃、かなり酷い状態の褥瘡が発見されました。
次の新しい担当医から直々に謝りの連絡があったのです。
入院時の担当医がしっかり診ておらずここまで酷くなるまで気づかなくて本当にすみません、即皮膚科に診てもらいます、と。
ほぼ、食べられなくなり栄養状態も悪くなると痩せ細るので、当たり前のように褥瘡は避けられなかったんだと思いますが、食事介助もどんな日々だったのか、痛い痛いとあれだけ言っていたのに診ていない病院側の杜撰な管理体制だったのか……。

そして2ヶ月経過する前に次の受け入れ先探しが始まり、良くして下さったケアマネの紹介で特養に入れると思っていましたが、褥瘡があまりにも酷すぎて結局入れませんでした。
バタバタの年末、療養型の医療院へ移り、ここでは食事を10完食したり食べなかったりで、精神的な抑揚があるので気分の問題なのではないかと言われました。少しでも以前より食べれているのを聞くと、1人の患者を診る。ということに関しては全然安心感が違うので、ここなら少しでも安心して母も過ごせるのでは、と思いました。

どぉ?
ご飯少し食べれてるみたいやね。
うん、美味しいよ。

居てくれて助かったわ。
ありがとう。

入院する度にこの言葉を言われ、そして細くなった手を握り返す。
少しホッとしてる母を見て、私も仕事に少しでも集中出来る。
そう思えました。

ある日、仕事で連絡が着きにくい日があり、移動中ミーティング中の時間帯に鬼着信が入っていたのですが、私は全く気づいておらず、その時、母は痰が詰まり呼吸困難になり息が止まって危うく死にかけていたそうです……。
医療院側は、息が止まっても応急処置しか出来ない為、病室は大慌てになり、師長から緊急事対応の確認の連絡が入っていたのでした。入院時に延命治療をそこまで明確に示していなかったのもありますが、呼吸困難になった場合はそのまま自然死でとお伝えはしていました。
翌日、師長からの電話で起き、詳細を伺いそこで叱咤されました。
ここに入ってるからと安心せず電話を気にしてください!トイレくらい行って連絡出来るでしょ!と。

数日後にカンファレンスを開いてもらいました。
今後の延命治療については、胃瘻造設手術を行う。
褥瘡も改善が難しく、何より大事なお薬すら飲めなくなっていく事に問題があり、手術は医療院では出来ないので前の病院で行う。
しかし、胃瘻増設前の検査が必要なので、もし合わなければ手術は出来ない。
多忙な私の代わりに、医療院の看護師さんが胃瘻増設前の検査通院に付き添うと言ってくださいましたが、病院側は、絶対家族が同席でなければ検査も出来ない。規則通りに絶対家族同席。と言い張り、胃瘻増設を急かされていながらも、私の都合に合わせて2週間後の月曜日に検査予約となりました。

呼吸管理は自然に任せ、何かあっても挿管はしない方向で看取ってもらうことになりました。
何だか、あっという間に覚悟が必要な時期が来たんだな、と思うと本当に何とも言えなかったです。
後、2週間も……そんなに長く通院出来ない間……母の乏しい命は持つのだろうか……。
医療院の看護師さんが付き添って下さると説明しても受け付けない病院に、なんだか理不尽さを感じ、私は家族やめます!とまでその時叫んでました。
家族居ない人だって居るのに、、、

翌週も遠方の鞆の浦で、いのちの対話という催しがありました。
また遠方で嫌な知らせがなければ良いのにな、そう思いながら参加させていただき、Ryo-heyさんが唄う社歌である「いのち」そして新山志帆さんが唄う「mam」
楽しかった催しの中でも特に印象深かったお2人のその曲は、母の事で命に直面していた私にとって、何度心が癒されたかわかりません。

そして後4日で胃瘻増設検査が待っている月曜日が来ます。
今日はまた遠方でのミーティングがあり、なんだか嫌な予感が朝からしていました。
連絡取りにくい時に限って、息が止まったこともあり心がザワつきました。
頭の何処かで母のことが気になり仕事をしていました。

その日は携帯は判るように机の上。
ミーティングの最中に病院から着信16:53、16:54、16:55その後何度も着信。
多分、いやこれは絶対に母が亡くなった知らせだ。私は確実に思いました。
冷静になんとかミーティングを終え、休憩時間に病院へ電話しました。

母が亡くなりました。
事情を話すと、即、高浜さんが遠いのに駅まで送って下さり、本当に助かりました。
この話をしてると、またあの日あの時間が思い出されて、涙が込み上げて来てしまいます。
このコラムも、母があの日倒れてから少しずつ書いてきた物でした。
あの頃、丁度お題は、生と死だったので、母の事は延命治療で続き物を書く予定だったから、犬の話を話題に変えてお話しました。
書き終えることが、まさか自分の母の死と向き合うことになるだなんて、思ってもいなかったのです。

延命治療は結局しなかったね。

寝たきりになり3ヶ月
食べれなくなって
体力も勿論落ち、抵抗力も無くなり、
気力も無くなり…
それでも、本当によく頑張ったね。
母には感謝しかありません。

ありがとう

娘より。

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