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動かない体への想像力〜スポーツの現実〜

動かない体への想像力〜スポーツの現実〜

安積遊歩



私がこれから書くことは、もちろん皆を脅迫したくて書くのでは全くない。しかし、スポーツのことを語ることは、アルコールや食べ物のことを語る以上に難しいと感じているので、あえて書いてみることにする。

教育の中に、大人の子どもへの日常的な言葉かけの中に、あまりに想像力の欠如したありようがある。その筆頭に、「将来何になりたいの」とか、「何をして働きたいの」ということを、大人は良く子供に尋ねる。そして、スポーツや踊りの好きな子は、それを懸命にするよう励まされもし、才能や親のお金が続かなくなると、どんなに好きでもやめさせられたりもする。スポーツはお金を稼ぐための仕事の1つでもあるから、才能やお金がなければ、学歴と同じように、それそのものを楽しむという訳にはなかなかいかない。

ところで、私の頚椎損傷の友人達約20人のうち、4分の3くらいの人は、スポーツが原因で頚椎損傷になっている。器械体操やスケボー、スノボー、ラグビーや柔道、水泳の飛び込み、また、首から下が全く動けないという訳ではなくても、厳しいスポーツの練習で肩を壊したり、関節を傷めている人もかなり多いと思う。

そのうちの頚椎損傷の友人の1人を紹介しよう。今から40年以上も前、当時17歳だったKさんは、器械体操でオリンピック選手を目指すくらいまで頑張っていた。「僕は受傷当時、首から下が全く動けなくなったことが全く信じられず受け入れられなかった。もしかしたらオリンピック選手になれるかもしれないと言われていたので、本当に激しい練習をしていた。でも、もう身体が全く動かないと知ってからは、せめて大学に行きたいと思ったが、大学入学のための社会的支援も全くなかったので、家族も自分も当然のように諦めた。その後約30年間、1人では外に出られないと思っていたが、電動車椅子を購入して1人で出られるようになり、初めて外に出た時は、実に嬉しかった。

しかし駅に行って、電車に乗ろうとしたら、エレベーターがなかったので、ここでもまた、当たり前のように、「エレベーターがないので無理ですね」と言われ、自分も「そうだよな」と思ってしまった。しかしその後にピアカウンセリングを知り、「家族の元で何もかもあきらめて暮らす必要はない」と言われた。今は結婚もして、行きたいところにはどこへでも行き、やりたいこともできている。特に今やりたいことは、障がいを持って地域で生きる仲間を増やすことだ。「僕のように30年間も社会的支援のありようも知らず、何もかも諦めて家族の元や施設の中にいないで、外に出て充実した人生を生きる力が人間にはあるんだよ。」と伝えたい。」

最近私は彼に、そこにプラスして、「スポーツをしている若い人たちに是非、本当の現実を伝えていこうよ。」とお願いしている。それは、「スポーツをしている人たちは皆、いつでも障がい者になるチャンスのある場所にいるんだよ、おめでとう。」というものだ。オリンピック選手になれるかもしれない、ということは、圧倒的に光に満ちた将来に思えるが、「障がい者にもなれるよ、おめでとう。」と言われて、「それもありますよね!」と嬉しそうに返してくれる人はまずいない。

オリンピック選手も障がいを持つことも、体の変化の1つのありようなのに、一方は身体を鍛えるという努力をすることで光の中。ところがそのプロセスで思いがけない障がいという変化をとげれば、闇の中のような感覚に閉ざされる。今の社会では、オリンピック選手になることは、光に満ちたチャンスで、障がいを持つことは、人生を破滅に満ちびく大きなリスクという訳だ。

それには理由がある。障がいを持つと、身体的自由、行動力が完全に奪われると感じ、考えられるからだ。

ところで人間は、体と心と、魂の三位一体で生きているとも言われる。魂というものを、私は最近、人との関係性という風に考えるようになった。体と心の自由が奪われた時、人と人との関係性、魂の自由までもが奪われてしまうように感じる。

障がい者になるということは、体の自由はたしかに奪われるが、それ以上に魂の自由、人との関係性を深いものにする、ということでもあると思うのだ。

オリンピック選手は、体や心の自由は一見ものすごくあるように見えるが、魂の自由はどうだろうか。人との関係性の大切さを、体の不自由を通して認識する機会は全くないだろうから、或る日突然障がい者になったとき、側にいる人の大切さに驚愕する。驚愕しながら、その関係性を構築する事が、新しい体で生きる人生のスタートなのだと気づくまでに、かなりの時間がかかる。

私は以前、ある大学で地域福祉学部の非常勤講師をしていた。障がいを持つ人の生活を福祉の現場としてのみ集約することの狭量ぶりを突破すべく、スポーツウェルフェア学科の学生たちも私の授業を取れるようにした。もちろん自由選択であったから、毎学期約二十名くらいの参加ではあったが、授業後に書いてもらうフィードバックを読んで、私はしょっ中驚いた。靭帯を切っても骨折をしても、様々な部位が変形しても、それでも勝ちたいとかやめたくないとか思っている、と言う学生がいたからだ。

これはまさしく、スポーツ依存、スポーツ中毒、という定義があってもいいなと思ったほどだった。

スポーツをやめろと言いたい訳ではもちろんない。スポーツにもよるが、人と助け合うことを学んだり、本当に楽しいと感じることができるなど、体を使っての充実感はリスペクトしたい。しかし、それを激しくすることで、障がい者になれるという現実を幼い頃からきちんと伝えておかないのは、本当にどうかと思うのだ。教育のなさ故に、頸椎という障がいや、体に痛みを抱える人々がどんどん増えていく。増えるのはいいのだが、それを介助する介助者が足りない。さらにまた、幼い時からの隔離分離教育の凄まじい弊害で、障がいをもつ人との関係性を完全に閉ざされているから、介助の仕事はあまりにも未知で、怖いとさえ感じているようだ。そこにプラスして、人を殺める仕事(軍需産業全般)には莫大なお金が回っているが、人の命を大事にする仕事に回されているお金はあまりにも少ない。

幼い時から教育の中でスポーツを教えるのと同じ時間を、様々な多様性を学び、互いの命の尊厳を見る時間に費やし、たとえ障がいを持っても、人々が光から光への世界を構築できるようにしていきたいものだ。子どもたちが小学校や中学校ぐらいの間に、次のようなことを何回も伝えてもらい、様々に多様性を持つ友人に囲まれていたら、どんなに人生が豊かになることかと想像すると心踊る。

「例え完全に体が動かなくなったとしても、生きていることの大切さを分かち合うという、重大な仕事があります。生きていることの大切さを分かち合う仕事は、双方の人間性のありようが、非常に試される仕事です。全く動かない体になった人とその人の手足となって、その人の行動の自由を保障しようとする人は共に、命をどのように分かち合い対等性を作っていくのかの実践者です。介助という仕事は、それを得る側もあげる側も、双方のクリエイティブな力をまんべんなく発揮するということなのです。

つまり、介助という仕事は、介助される側も、具体的に介助を提供する側に対して、様々な気遣いや配慮を重ねるという大切な働きをしている訳です。それは、心を使って、お互いの魂の成長を作り上げていくということなのです。オリンピックなどのスポーツ界で、体を使って自己の成長を目指すのにプラスして、介助は、お互いの体と心を使って魂の成長を目指すという全く新しい仕事とも言えます。また別な言い方をすれば、全く動かない体になった時に登場する、対等な関係性づくりに向けた仕事です。」というように。


【略歴】
1956年、福島県福島市生まれ。生まれつき骨が弱いという特徴をもつ。22歳で親元から自立。アメリカのバークレー自立生活センターで研修後、ピアカウンセリングを日本に紹介。障害者の自立生活運動をはじめ、様々な分野で当事者として発信を行なっている。
2019年7月、NHKハートネットTVに娘である安積宇宙とともに出演。