ニュース&ブログ

介護のお仕事から学んだこと  絶対的な居場所を持つことができる

介護のお仕事から学んだこと  絶対的な居場所を持つことができる

吉岡理恵



介護歴というところでは5年半くらいになりました。スタートは当社のデイサービスでした。利用者の方々の約半数と、職員の約8割が私を含めて「独り身」だなと気づいたのは、働き始めて2,3か月経過した頃だったかなと思います。家族はいるけれども物理的に離れて暮らしている、または心理的にも物理的にも家族と疎遠になってしまった方々。そして、利用者の方々の残りの半数は、家族と暮らしてはいるけれど終日家にはいられないといった方々でした。それは、徘徊、物忘れ、感情の起伏、妄想といった認知症状に加えて、家事全般と身辺の清潔保持が一人ではできないため、誰かの介護が必要だけれども、常時つきっきりで家族が介護するわけにもいかないので、ご家族のレスパイトのために通所されている方々でした。

年中無休で営業している当社のデイサービスに、元旦に臨時で通所予定を立てた利用者の方は、お正月を皆で迎えることができる、と嬉しそうにお話しくださいました。そして、職員も通常通りの勤務をしました。利用者の方だけでなく職員も、一人ぼっちのお正月を回避できたのではと勤務可能の申し出をやんわり遠慮された当時の私は思いました。

その後、訪問介護事業部に主軸を移したところ、障害者・難病の方々の支援は学びの宝庫でした。自分たち障害者の存在意義は自分たちで作るものだ、という強い意志と行動の成果の賜物として重度訪問介護があること。排泄介助の機会を作るのも社会参加の一つだ、という頭の後ろから視点が飛び出してくるような真っ当なご意見。身体的ハンディキャップを逆手に取ったかのように精神的エネルギーに満ち溢れる障害者の方々と出会い、それぞれの方々から社会とご自分たちの生活に絶対的な居場所を確保する強さを学びました。

介護/介助の仕事、とくに障害者・難病の方々を支援する仕事という言葉の響きは、内実をご存じない方には、弱いものを助けるという難しくない仕事、と変換されることが多いようですが、上述の理由から利用者の方々はなかなかに手強い存在です。職員は、継続して支援をすることの難しさに入社して割とすぐに向き合うことになり、その困難さがあちこちにあることを知るようになります。そして、なぜ困難を抱えながらも支援が持続しているのかは、職員が隣にいる仲間たちを不可欠な存在として迎えいれ、自らもその一員として奮い立たせているからだと思っています。折れそうになる心を支えてくれる存在が隣にいること。「私が頑張れるのは、いつも〇〇さんが支えてくれているからだ」という職員の言葉を各地で何度も聞いたことがあります。

しかしながら支える側の職員も人間なので、辛いことも投げ出したくなることもあります。だからこそ支え合う関係が介護現場を取り巻く人々の間に自ずと生まれているように思います。それは、土屋訪問介護事業所の職員だけに限ったことではなく、同業他社の方々とお話をすると、出会う方すべてが同じ思いを抱えていることに気づきます。それゆえ、この事業に関わる方とは、詳細な説明をしなくても一言で相手の状況が分かってしまうという、なんともいえない同志感を抱いています。

昨年、「えんとこ」という映画を見ました。脳性麻痺で自立生活をされている遠藤滋さんという方のドキュメンタリー映画ですが、作中で一人の介護者の方がおっしゃっていました。「遠藤さんの介護ができるということが前提にはなるけれど、その前提をクリアしたら絶対的な居場所をその介護者は持つことができる」と。利用者の居場所が介護者の居場所にもなるというこの言葉に、介護のセーフティネットは複数なのだと思いました。

人が独りで生活をしていくのは大変に苦痛が伴います。それでも、致し方ない理由で今を独りで生きている人は意外と多く存在しているように思います。社会の中で、絶対的に助けが必要な人が自らの居場所を作ったことと、その人の生活を護ろうとする介護者が、実はその介護者にとっても自らの居場所の確保をしていること、そして介護者のネットワークも相互扶助によって成り立っていることは、私が介護の仕事を通して得た学びです。

※吉岡理恵プロフィールはこちら