ニュース&ブログ

介護のお仕事から学んだこと  その懸け橋になることが求められている

介護のお仕事から学んだこと  その懸け橋になることが求められている 

富田祥子



重度障害者介護の世界に飛び込んで、そろそろ二か月になろうとしています。とはいえ、まだまだ二か月。何かを学んだというにはあまりにおこがましく、迷いながらこのコラムを書いておりますが、意外にもすんなりと重度障害者介護の日常に溶けこんでいる気もして、それが初学者の「気づき」でもあるのではないかと思ってみたりもします。

一言でいうと、それがノーマルな状態ではないかと思うのです。すべての人が、同じ空間を行き来することが。
健常者、障害者を問わず、それぞれが豊潤な世界をもっているでしょうし(もっとも、もっていない人や、もとうともしない人も多々、見受けられますが)、それらが混じり合うことで、より豊潤な人生になっていくはずです。

しかし現状は、障害者は隠されている。そして、隠れている。いまだなお、否応なしに。
垣根がある。幼いころから健常者が歩む世界と、障害者が歩む世界は隔てられ、健常者は健常者と、障害者は障害者と語り合う。
だから私たちは、障害者に会うことなく、これまでを生きてきている。街中で見かけることはあるかもしれない。しかし、語り合うことがある人はまれではないでしょうか。私自身、重度障害者介護のお仕事をしなければ、巡り合うことも、語り合うこともなかったでしょう。

そして私は、心の側面からいうと、隔てられて生きてきた私たちが全く変わらないことに気付くのです。どうして今まで会うことがなかったのか、不思議なくらいに。

私はまだまだ障害者福祉に関して知識不足です。この世界について、あまりに知らないことが多すぎる。しかしだからこそ、直感を信じることができます。
健常者と障害者。この垣根は撤廃されるべきであり、社会は障害者にさまざまな可能性を与える場を提供すべきだと。長い人生を生きるに必要な、自らを高め、社会と関わり合う道筋を提示するべきです。
障害をもつ当事者においても然り。ハンディキャップはあるでしょう。コンプレックスも負い目も、引け目もあるかもしれない。やるせない思いや怒り、悲しみが潜んでいるかもしれない。そうしたさまざまな思いを、やはり当事者が伝えていく必要があると思われるのです。より多くの当事者たちが。
そして、当事者にかかわる仕事に就いている私たちが、その懸け橋になることが求められていると思うのです。

障害者介護について学べば学ぶほど、目を開かされる物事が多く横たわっているのを予感します。そしてそれは結局のところ、「私たちはどう生きるべきか」という根本的な問題に向かうと思われてなりません。