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ブックレビュー 私は海をだきしめていたい 坂口 安吾 (著)

ブックレビュー 私は海をだきしめていたい 坂口 安吾 (著)

高浜敏之



青春時代に愛読した短編小説である。 久方ぶりに、波音が通奏低温のように響くビーチカフェで、読み直してみた。 前回読んでから10数年の時を経たように思う。 何回目だろうか。10回はくだらないと思う。

まず読み始めて思ったことは、自分自身の変化である。かつて没入したテクストと自分との間に、間隙を発見した。違和感やそのあと獲得した概念による解釈や批評的コメント が、テクストを読み進めると同時に脳裏を過った。

近代文学者が一様に抱いた孤独の由来や、かつてはそれが最大のテーマであったにも関わらず、いまやそれはほとんど考えるに値しないテーマともいえる自分自身の変化に思いを 巡らしながらテクストを追った。

そして、短い小説の終末がやってきた。若かりし日と同様の感覚が、去来する波音のよう によみがえってきた。

私は谷底のような大きな暗緑色のくぼみを深めてわき起り、一瞬にしぶきの奥に女を隠した水のたわむれの大きさに目を打たれた。女の無感動な、ただ柔軟な肉体よりも、もっと無慈悲な、もっと無感動な、もっと柔軟な肉体を見た。海という肉体だった。ひろびろと、なんと壮大なたわむれだろうと私は思った。

私の肉欲も、あの海の暗いうねりにまかれたい。あの波にうたれて、くぐりたいと思っ た。私は海をだきしめて、私の肉欲がみたされてくればよいと思った。私は肉欲の小ささが悲しかった。

フランスの思想家ジョルジュ・バタイユは、エロティシズムとは死に至るまでの生の称揚であり、孤独に打ちひしがれた人間には、動物が水の中に水があるように存在するように、連続性への飽くなき渇望があると述べた。

若かりし日に、バタイユに、安吾に、深く共感し、傾倒した。いまも自分の心の底にその ような想いが沈潜していることを思い出した。

探し求めていた。壁の向こう側に、途方もない何者かが存在すると想像した。アートやアディクションに耽溺し、スピリチュアルやワークにもときおり参加した。年を取ってエネルギーが減退したこともあり、また社会生活を通じて折り合いをつけることを学び、かつてのような、途方もない憧れ、は自分自身の中にはあまり見いだせない。

幸せな家庭に身を置き、意義のある仕事に恵まれ、それなりにワークライフバランスも得て公私とも充実している。もちろん様々なフラストレーションがありはするが、取るに足らないと感じられる。

複合施設のアトラクションで子供と遊んでいる時間が、かつては先鋭化した自意識が最も忌避するような時間だったが、いまや最も満たされた時間のようにも思える。

そんな完全に普通のおじさんとなった自分ではあるが、今回かつての愛読書を読み直して、時には青春時代の飽くなき追求とひりひりする感覚を思い出してもいいなと思えた。



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