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土屋人(旅ガラス)日記4~映画「幸せのありか(CHCE SIĘ ŻYĆ)」~

土屋人(旅ガラス)日記4~映画「幸せのありか」と人間が自己の尊厳と居場所を求め続けた生~

古本聡



東京駅で東北新幹線に乗るとき、背後から聞き覚えのある外国語での話し声が聞こえてきた。ポーランド語だった。同じスラブ語族に分類されるロシア語を解する私にとって、また十代半ばくらいの頃に、なぜだかポーランド人の友人が多く居た私にとって、体系的にしっかりと勉強したわけではないが、ポーランド語は聴けば大体の意味が把握できる言語なのだ。

ちらっと振り向くと、そこには40歳代くらいの、割とかっちりとした服装をした白人カップルがいて、どうやらある映画について語り合っているようだった。その映画は私も数年前に見たことがあった。マチェイ・ピェプシツァ監督による 2013年ポーランド映画、邦題「幸せのありか」、原題“CHCE SIĘ ŻYĆ (僕は生きたい)”である。

現在、YouTubeに残っている予告編はココ



ちなみにこの映画、今はもう上映もされておらず、またDVDも残念ながら販売されていないようだが、せっかく思い出したので、旅ガラス日記として書き残しておこうと思う。

先ずは、映画のあらすじから・・・。
『身体の障害と言語が話せないため幼少期に脳性麻痺と知的障害を持つ植物状態と医師に診断された男児マテウシュ(幼児期から青年期を、2人の役者が演じている)。その診断が、実際は明晰な知性と豊かな感情を持ちながら、他者に伝える手段を持たないがために表現できないだけのマテウシュの人生を’知的障害の植物人間’として決めつけてしまう。常識的に見れば、医師の診断に誰しもが納得する状態ではある。(それだけに、人が人の生きる道を尊び、その存在を認め合うとは何なのかを、じっくり深く考えさせられる作品だ、と本稿筆者は思う。)

医師に脳性麻痺と知的障害を持つ植物状態と診断されたマテウシュだが、両親は決して嘆き悲しみ、絶望のあまりマテウシュ少年を家の中に隠して人の眼から遠ざけるようなことはしない。母親は、家事があるときはマテウシュを出窓の縁に座らせ、その下にソファーを置いて’社会観察’をさせる。うららかな日和には、マテウシュを車椅子に乗せて散歩。背骨は歪み、いびつな指でしゃべれないマテウシュにしっかり目を見つめて語り掛ける。

マテウシュの父親は、仰向けになって移動するしかない息子に、夜空に輝く星の話を聞かせて宇宙や天体へのロマンを駆り立てる。一方で、満足に手首を動かせないマテウシュに、「男は、怒りや抗議を示すときには拳をテーブルに叩き付けるんだ!」と、男の子としての在り方を遠慮せずに教え込む。両親がマテウシュに接する姿は、障害を持つ子どもをテーマにした映画を重苦しいものにせず、またお涙頂戴の安っぽい劇にもせず、希望を持たせてくれていて救われる。

だが、ポーランドが民主的な第1回自由選挙(1989年6月4日)が実施されることで、町中が浮足立ち花火が打ち上げられた夜に、父親はうっかり2階から転落死してしまう。成長するマテウシュの身体は、母親一人では介護が難しくなり、マテウシュの姉は、結婚を機に彼を知的障害者の施設に入所させてしまう。

家にいたときは、近所の幼なじみの少女に淡い初恋を覚え、姉や兄たちにいじられながらも家族の一員として存在感を認められていたマテウシュ。だが、入所した施設では、周囲の誰もマテウシュにコミュニケーションを取ろうとする者はいない。患者は身体的に不可能であり、看護師たちは処置をするだけで語り掛けてくることはない。マテウシュにとっては苦痛な日々だが、自分なりに看護師たちを評価する方法を考え出した。その評価基準とは、容姿、胸の大きさ、異性としての魅力度だった。だが、ある日、マテウシュが考案した評価の枠に収まらない介護ボランティアのマグダ(胸が小ぶりだった)が現れる。カセットテープの音楽に合わせて車椅子に乗ったままのマテウシュとダンスするマグダ。彼女の優しい振る舞いにマテウシュの胸は躍らせるのだが、マグダがマテウシュを最後まで対等な異性の相手として見ることはなかった…。

マグダの行動はかなりエキセントリックだ。知的障害と脳性麻痺を持つと思われていたマテウシュに対して他と分け隔てなく接するとか、人間としての愛をもって接するのは看護師の職業倫理としてなのだろうか。なぜマグダはそれ以上にマテウシュに対して男女の愛を示したのだろうか。そして、それは本心からなのか。それとも自分やマテウシュを束縛する既成概念に対する反発なのだろうか。映画を観ている側はハラハラ、モヤモヤさせられる。

父親の誕生日パーティに、いきなり車椅子に乗せたマテウシュを連れて参加するマグダの行動は少し異様。父親は娘のことを‘突飛な性格’と表現する。確かに、彼女は毎年、風変わりな男を家に連れてくるようだ。去年はホームレスの男、そして今年はマテウシュ。さらに、夜中にマテウシュの部屋を訪れて、明らかにマテウシュが興味を示している自分の胸を見せたり、触らせたりする行動は、突飛そのものだ。もっとも、それが(男女の)愛情の証ならそれでいいのだが・・・。

看護ボランティア、マグダの優しい振る舞いにマテウシュは胸躍らせるのだが… 少年期から青年期までマテウシュの心の内の独白が、両親と家族を見つめ、我が家の周辺や幼なじみ少女の家庭を語り、知的障害者施設の患者と看護師たちを観察し分析する。その視点と解釈が、的を射ていて時にはユーモラスでもある(モスクワ郊外の障害児施設に居た頃の私そのものなのだ)。

マテウシュは、障害者施設での訓練と実験によって瞬きの回数で意思疎通を図る絵文字シートを選択し、ある日、「私、植物、違う」と自分の意思を他者に初めて伝えることが出来た。植物状態という決めつけが解かれ、人間としての知性と感情が認識される。それを判断するのは立場と権威を持った人たちなのだが、やはり、不自由な身体と発作のように見えてしまう彼の動作に対して、それらお偉いお医者様たちも不躾な感想を漏らしてしまう。その一言を耳にしたマテウシュは、母親の静止を振り切って渾身の力で声にならない抗議の行為を、幼い頃に父親に習った方法でやり遂げる。』

毎日毎日、単に生命を維持しているだけではない、意思や感情をもち、思考することができることを伝えたい、そんなマテウシュの心の叫びが、CHCE SIĘ ŻYĆ 「僕は生きたい」という原題に表現されている。

1960年代~1970年代、ポーランドと同じ政治体制の旧ソ連にあった障害児収容施設での生活を経験した本稿筆者にとって、どのシーンも、特に障害者施設での人間関係や生活の様子を写したシーンの一つ一つがデ・ジャヴュのように感じられた。あの障害者収容施設の下級職員らの無知蒙昧さ、こずるさ、欲の深さ、冷酷さ、物質的な貧困に必ず付随する精神的貧困、そして、そんな中であっても時折出会う人間らしい優しさ、そして「生きたい」という気持ちを沸かせるささやかな希望。全て、モスクワに居た当時、私が感じ取っていたものだった。

全体としては決して重苦しい映画ではない。むしろ明るくユーモアを交えて障害者の生と性を描いていると思う。それもまた私の経験と符合するのだ。今考えるととんでもなく酷い、動物以下の扱いを受けていた状況にあっても、「こんなもんだろうなぁ・・・」、とあっけらかんと感じていた子供の頃、悲劇的な状況に陥っても、早くに亡くなった、優しくて頼もしかったお父さんの口癖「大丈夫さ!」で乗り切るマテウシュと同じような心理状態だった。映画の中で、えっ、この状況で!?というような場面も、「大丈夫!」で、ストリーはコミカルにサラッと進んでいくのだ。

実話をベースに作られた正に「人間が自己の尊厳と居場所を求め続けた生」という、どちらかと言えば重めの物語であり、ラストも決してハッピーエンドではない。観た者の頭には、考えるべきことがたくさん残されることだろう。それでも温かさや希望が勝る映像作品になっているのだ。

誰が見ても得るもののある、心打たれる作品だと思うが、医療関係者、介護や福祉などに携わる、ベテランの域に罹ってきた人、そして障害当事者には特に観ていただきたい作品だ。そして考えてもらいたいのだ、自分の障害観が果たして正しいのか、どうかについて。また鑑賞できるチャンスが巡ってくることを心から願っている。

ところで、この映画は実話に基づいているのだが、モデルの青年と主演男優がエンディングで二人そろって映る。そのときに、分かってはいたけど今まで観ていたのは本当に演技だったのか?!、とあらためて衝撃を受けたのを今でもはっきり覚えている。脳性麻痺の特徴を研究しつくした演技だったのだ。それほどにも、マテウシュ役の俳優の演技力、役作りが凄かったのだ。また、少年時代のマテウシュを演じた子役も然りで、素晴らしいの一言である。

あの映画を観たとき、こんなことを考えたのを思い出した・・・。
人は共感と繋がりの生き物である、と思う。自分に共感を見せる相手に対しては心を開くが、自分に無関心な相手や自分を目の敵にする相手に対しては、殻の中に閉じこもりコミュニケーションを拒む。言わば、諦めてしまうのだ。

人は誰しも他人とは異なる人生を歩み、それゆえ同じ価値観を持つ人はほとんどいないと言って良いだろう。家族ですら、一つの物事に対する捉え方はまったく違うことがある。特に、重い障害を持っている者は他人から勘違いされやすいし、大したことを考えているわけではないから理解しても価値がないと思われてしまうことが、悲しいかな実に多い。心を開いたり閉じたりするのは、違う価値観を持ち歩み寄りのできない相手から身を守るための手段なのかもしれない。

その一方で、この世界は広くどこまでも続いているように見えるが、その全てを自分が把握できている訳ではない。人にとって世界を知るための方法は人と繋がることであり、繋がっている相手が自分の世界を規定するとも言えるだろう。

人はまず、自分の両親を通じて世界を知る。家の中で生きているうちは、運のよい子供であれば、自分の両親から気にかけられ、愛情を注がれるだけでも満ち足りた生活を送ることができる。あの映画の主人公は脳性麻痺ゆえ、家の中からほとんど出ない期間が長かった。そのため、両親以外の人と繋がり、自分の世界を広げるチャンスはなかなか巡って来なかった。しかし、やがて恋を知り、恋人と共感の繋がりを作るようになる。そして世界の幅が広がっていく。

両親や恋人など、一人もしくは少数の人との繋がりだけでも、充分幸せな生活である。しかし、恋人とは出会いがあれば別れもあり、両親は年老いていく。新しい環境で、新たな繋がりを作る必要性が出てくるのだ。

そうして、人はより広い世界へと目を向けるようになる。接する相手が増えるほど、自分とは相容れない人間も増えるだろう。一方でそれは非常に残念なことだ。が、・・・。

しかし、それでも自分の在り方に共感を示し、強い絆で繋がる人の存在が、生きる喜びや幸せを伝え、生き続ける力を与えてくれる。生きていれば嫌なことや辛いことも多いが、強靭な精神で立ち向かっていれば、そんなことは実は取るに足らないことで、自分は「大丈夫」だということに気づくのである。あの家畜小屋のような障害児収容施設に居た子供の頃のように・・・。

2014年第30回サンダンス国際映画。2013年第37回モントリオール世界映画祭グランプリ、観客賞受賞。第38回グディニア国際映画祭観客賞受賞。第49回シカゴ国際映画祭観客賞、シルバー・ヒューゴ賞受賞。第11回トフィフェスト映画祭金の天使観客賞・部門別特別賞受賞。2014年第16回ポーランド映画賞観客賞・主演男優賞・助演男優賞・助演女優賞・脚本賞受賞、第38回クリーブランド国際映画祭ジュージGUND記念本部&東ヨーロッパ映画コンペティション部門優秀作品賞受賞作品。


【筆者プロフィール】
古本 聡(こもとさとし)
1957年生まれ 脳性麻痺による身体障害1種1級
旧ソ連で約10年間生活。内5年間を現地の障害児収容施設で過ごす。
18~24歳の間、障害者運動に加わり、障害者自立生活のサポート役としてボランティア、介助者の勧誘・コーディネートを行う。
大学卒業後通訳・翻訳会社を設立、2019年まで運営。
2016年からユースタイルカレッジの重度訪問介護従業者養成研修統合課程での実習/講話を主に担当。
現在はユースタイルラボラトリー社員。
妻、娘の三人家族。