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女性の身体3~中絶の自由と出生前診断~

女性の身体3~中絶の自由と出生前診断~

安積遊歩



母が生きた時代は障害のない女性の身体には、中絶の自由があるだけだったから、経済的な事情等、その妊娠を続けるか否かを選べた。勿論経済的な事情等と一口で言ったが、中絶は自分の身体に大いなる精神的身体的負担にもなるから、喜んで選択する人がいるとは思えない。水子供養という生まれなかった子を思い、お地蔵様に前掛けをするというような風習があった時代もある。水子として供養された子は多分死産や流産が多かった。しかし、中絶が盛んになってからは、お寺等が女たちの「自分の子どもを中絶してしまった」という切ない罪悪感に漬け込んで、多額の支払いを要求するという、胎児の命のさえ商品となった。

中絶の自由を勝ち取るまでの女性たちの身体の歴史も凄まじかったから、それを思うと、自由だけでなく権利という言葉も使いたくはなる。しかし、お腹の子の命を自らの意志で、さようならをするとき、それを権利と言われたら、お腹の子の「生きたい」という思いはどうなるのか、と思うのだ。だからこそ悩みに悩んで、考えに考えて、障害があろうがなかろうが、中絶を選択する自由は権利とは呼ばないところで、ギリギリ保障されて欲しいのだ。

なぜなら、この社会は子育ても子殺しも、すべての責任を女性の身体に押し付けてくる。もし子育て全体に対する責任を社会全体で担うことができれば、中絶に追い詰められる女性の数は激減するだろう。

2007年にでさえ、「女性の身体は子産みの機械」と豪語した、厚労省大臣がいた。彼は、その発言に謝罪はしたが、更迭はされなかった。それほどに、日本の女性差別はひどい。女性の身体のケアを一緒に考えなければならない立場にいる人が、戦前、戦時中の意識のままであるということを見せつけたガラパゴス級の発言だった。

戦時中は、彼の発言通り、女性の身体は大日本帝国の繁栄と、大東亜共栄圏構想の成就のためには、『産めよ増やせよ』の時代だった。特に兵士となる男の子を産むことが喜ばれた。そのマインドが戦後にも残り、今40、50代の女性の中には、女性の身体で生まれたことを、親から特に父親から喜ばれなかったという、苦々しい思いを持つ人もいる。

ところでこの中絶も、さすが女性の地位が極めて低い日本というだけあって、今では世界的に使われなくなった掻爬(そうは)という残酷な技術が使われている。女性の身体にとって残酷な技術がなかなか終わらないのも、中絶の自由はあっても、社会がそれに対する罪悪感を煽り、無知を助長しているからだ。

もっとも、中絶の自由が禁じられている国によっては、それでも中絶をしなければならない女性の身体に対する悲惨は凄まじい。いわゆる闇中絶だから、母体、胎児どちらにとっても命の保障はない。

フィリピンの友人から聞いた話によれば、そこには闇中絶を施術する年配の女性がいる。その人によって、腹部を激しく揉み上げるマッサージをされるのだが、その痛みは凄まじい。その痛みを我慢して、ついに胎児が流れることもあれば、それでも産まれる子どもたちもいると言う。「だからか、フィリピンの貧しい子達の中には脳性麻痺が多い気がするんだよね」と、全くエビデンスはないけれど、辛い実感を語ってくれた。彼女はソーシャルワーカーで貧しい人たちの支援をずっとしてきた人だったから、私はなんとなくその話には、信憑性を感じている。

ところで、副題にある出生前診断の話に移ろう。私は障害を持つ女性だから、この出生前診断については、様々な思いが湧き、その技術ができて以降、考え続けてきた。冒頭に母が生きた時代という言葉を書いたが、その時に出生前診断があったとしたら、私は生まれても妹が生まれて来なかったかもしれない。もし妹が同じ障害を持っていたら、という仮定の話だが。

つまり母は、私の事を愛するがあまりに、「妹の存在を助け手として求めた」と言っていたのだ。妹は障害を持たずに生まれてきたので、母の期待通り、100%私を助け続けてくれた。妹は自分が私を助けるという役割を、徹底的に期待されていたにもかかわらず、母を全く恨んではいない。彼女と私は、母の愛情故にお互いへの羨望で引き裂かれることはなく、それどころか、非常に仲良く今でも助け合っている。

ただ、幼い時に妹は、私の手を引きながら骨折を繰り返す私を時には羨ましいと思っていたという。母は常に私の病院通いで忙しかったし、母の愛を求めてよく泣いていた妹は、兄や私にしょっ中からかわれ意地悪もされていたから。だから彼女にとって、出生前診断ができた事は、彼女の存在の根幹を揺るがす事にもなった。つまり「もし私に障害があることが出生前診断で明らかになっていたら、母は私を産まなかっただろうと考え、随分泣いた」と話してくれたのだ。

こんなに辛い話があるのだろうか。

私は聞きながらボロボロと泣き、出生前診断の残酷さに打ち震えた。母はとにかく愛情深く優しい人だったから、兄と私、妹を何の分け隔てもなく育ててくれた。だから3人目の妹に障害があるとわかっても、もちろん産んだかもしれない。しかし、周りの反応はどうだっただろう。出生前診断でその子に障害があるかどうか分かるのだから、「ちゃんと診てもらいなさい」という圧力がかかっただろうし、文字通り「助け手」を求めていたわけだから、出生前診断自体を残酷だと考えるゆとりもなかったかもしれない。

私は自分の娘、宇宙を妊娠した時、沢山の情報を集めた。
その中に同じ障害をもった女性が出生前診断で、次々に妊娠した3人の子供たちを全員堕ろさなければならなかった、という話を聞いた。彼女に使われた出生前診断は誰にでも妊娠後の定期検診で使われるものだ。超音波診断ともエコーとも言われていて、その診断では、胎児がかなり大きくなってからしか障害の有る無しが分からない。だから妊娠初期の中絶とは違って、早産のような形での中絶であっただろう。だから、その体と心に対する負担を想像すると、思い出すたび、考えるたび、胸の奥がキリキリと痛む。彼女のパートナーも障害を持っていた。だから障害を持ったもの同士大変なのに、その上、障害を持つ子は嫌だ、と拒否されたと聞く。もちろん、パートナーの家族や親戚、そして彼女自身の家族からも障害を持つ子の出産は、まるで喜ばれなかった。つまりその技術があったが故に選別され、差別され、3人の子は生まれることができなかったのだ。

優生保護法は非常に差別的な法律だと認識できるのは、私たちが生きて産まれて、存在するという現実があったからだ。しかしお腹の中で、選別され選別され、産まれても良い命、悪い命と別けられる、胎児の凄惨さ悲惨さは、他に類を見ない。

唯一、出生前診断が機能するのは、次の条件で使われるのが約束されている時だけだ。

1つ目が、障がいをもつ胎児がお腹の中で快適に育つために、妊婦がどんな生活をしたら良いかを考えるために。
2つ目は、障がいを持って生まれてくる子に、どんな出産現場を準備したら良いかを計画するためにだ。

私は宇宙がお腹にいた4ヶ月目に、娘が私と同じ体質を持っているのがわかった。エコーに大腿骨の湾曲が映し出された時、「宇宙がお腹の中で骨折しませんように」とひたすらに願った。また帝王切開の執刀医であった桑江先生も、出産のためにどんな体制を組めば良いかを、その映像を見ながら真剣に考えてくれた。

出生前診断が、差別選別のために使われるのではない時代を造り出す為に、私たちは最高で最速のロールモデルではあったと思う。
これからの時代は出生前診断が引き起こす苦悩と絶望を直視し、賢明な使い方を模索する方向に入っていって欲しいと、切に切に望む。


【略歴】
1956年、福島県福島市生まれ。生まれつき骨が弱いという特徴をもつ。22歳で親元から自立。アメリカのバークレー自立生活センターで研修後、ピアカウンセリングを日本に紹介。障害者の自立生活運動をはじめ、様々な分野で当事者として発信を行なっている。
2019年7月、NHKハートネットTVに娘である安積宇宙とともに出演。