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敬愛するチェ・ゲバラ殿~前編~

敬愛するチェ・ゲバラ殿~前編~

古本聡



10数年程前の話。私が当事愛用していた、チェ・ゲバラの肖像画がエッチング加工されたZippoライターを見て、通りがかりの大学生らしき男子にこう言われた。
「その絵って、確か、有名なテロリストですよね。」
テ、テ、テロリスト!? 人々を弾圧と搾取から救うために闘った革命家がテロリスト呼ばわりされるとは・・・。いやはや世も末だ・・・、と深い虚無感に襲われたのを思い出した。

そう言えば、つい最近も、沿線では有名な遊園プール帰りの娘さんたちが電車の中で、Tシャツにプリントされたゲバラの肖像画を指して、「このオジサンって、どこかのミュージシャン? ドラッグとかやってた系のひと? キャハハ」って、笑ってたな…。

時代は確かに変わったようだ。最近とみにそれを痛感することが多くなった。私が単に歳を取っただけだとはよく分かっている。それでもエルネスト・チェ・ゲバラは私の心の中で、若いまま生き続けている。

ゲバラが最も激しく華やかな活動を続けた1950年代末、キューバ革命を成功させた60年代、その後キューバだけでは納得せず、さらなる戦い、さらに多くの人々を資本主義の搾取から救おうと銃をとり、そして死してまさにレジェンドとなった70年代に青年期を過ごしたわれわれの世代の人間にとってゲバラは、革命家を超え、スーパー・スターのような存在だった。この時期、少し社会問題に関心を持つ若者たちは、生煮えのゲバラの革命思想を熱っぽく語り、「チェは、こう言ったんだ…」などと、わけ知り顔で話す奴がグループ内に必ず一人はいたものだ。

社会の不条理について、それほど真剣に考えてもいなかったか、あるいはその場限りの憤りを周囲にぶつけてきた私のようなグダグダ人間でも、自宅の本棚には「ゲバラ日記」や「ゲリラ戦争」などのゲバラ関係の本が数冊収まっていた。そして、何を隠そう、それらの本は今も私の本棚に収まり、さらに、私の仕事部屋の壁には、限定物のゲバラ1999年フォトカレンダーが掛かっているのだ。

世界中の被搾取者を救おうと戦った永遠の革命家、ゲバラは死後も長く多くの人々から敬愛され、今も世界各地で関連する著書が読まれ、写真展が開かれ、しばしば自伝などが映画化されている。2008年には半生を描いた映画「チェ・28歳の革命」が、日本など世界で上映された。これはゲバラ・ファンが年齢、性別、国籍を問わず、世界中に数多くいるという証明だろう。



革命家チェ・ゲバラは、疲弊していたラテンアメリカを武力革命で一新させようと試みた人物だ。
1928年に生を受けたチェは、ブエノスアイレス大学で医学部に進み、医師になった。どちらかと言えば裕福な中流階級の出身と言えるだろう。しかし、当時のペロン政権下で軍医となるのが嫌だったため、アルゼンチンを離れて南米を放浪する旅に出た。

旅の途中でチェは、ボリビアでは農地改革の酷い実態を目の当たりにし、グアテマラ滞在中にはクーデターが勃発したため、メキシコへの亡命を余儀なくされた。南米の貧困問題やアメリカ資本による搾取、アメリカの傀儡である独裁政権などへの疑問が膨らんでいた頃、メキシコで亡命キューバ人のフィデル・カストロと出会うのであった。

カストロと意気投合したチェは、カストロのキューバ独裁政権への武装闘争に、軍医として参加することに。メキシコから小さなヨットに82人が乗り込んで始まった武装闘争だったが、政府軍の猛烈な攻撃に遭い、無事にキューバに上陸できたのはたったの12人だけだった。「俺たちは“17人も”生き残った。これでバティスタの野郎の命運は尽きたも同然だ!」、とチェは言ってのけた。当時、キューバのバティスタ政権の軍隊は2万人程度だったことを考えると、あまりに無謀な発言だと思われた・・・。しかし、彼の言ったことは正しかったと後でわかるのだ。彼はゲリラ戦を指揮し、連戦連勝を重ねていった。それは彼が軍人として優秀な作戦を練ったということだけではなく、負傷した敵兵にも必ず治療を施したり、さらに宿泊した農村には必ず代金を払ったりして、人間として周囲を惹きつけて行ったことに勝因があったのだ。

この少人数が山に潜んでゲリラ戦を行い、じわじわと支持者を増やして25ヶ月後にはキューバ革命を成し遂げたのだ。これぞチェ・ゲバラの持つ人間力の大きな成果だったのではないだろうか。ゲバラは軍医として革命軍に加わっていましたが、戦いのさなかで見せる冷静な判断力、人を惹きつけるカリスマ的魅力、ゲリラ戦に必須の粘り強さなどを買われて、武装闘争の途中からはカストロに次ぐNo.2として兵士を率いた。

革命成功後、ゲバラはキューバ出身ではなかったものの、その功績からキューバ市民権を与えられ、キューバ新政府の国立銀行総裁に就任した。また、キューバ政府の要人として、1959年には訪日もしたこともある。

キューバの発展のために、粉骨砕身の思いで取り組んだゲバラだったが、理想主義的な彼は次第に政府内で浮いた存在となってしまう。そして、第二回アジア・アフリカ会議においてキューバの主要貿易相手国であったソ連を公然と非難したことで、ソ連はキューバ政府に対して「ゲバラを解任しなければ、キューバへの援助を減らす」と迫った。チェは地位に執着せず、政治から離れることを盟友カストロに告げ、キューバを出ることにした。彼は、赤であろうと白であろうと関係なく、大国による覇権主義、横暴を徹底的に嫌ったのだ。米ソ、両方とも嫌悪した。その点こそ、私がゲバラに傾倒する最も大きな理由なのだ。

その後はコンゴ、チェコスロバキア、東欧諸国などを転々としたのち、チェはボリビアの革命運動に身を投じた。アメリカの軍事顧問団による全面的なバックアップを受けた政府軍を相手に苦戦を強いられ、また、ボリビア国内勢力やボリビア共産党、他の南米共産政権からの援助はほとんど望めぬ絶望的な状況に陥ってしまう。そして、ボリビアで武装闘争を始めてから1年ほどが経った1967年、とうとう政府軍に捕らえられ、処刑されてしまう。

後編に続く


【筆者プロフィール】
古本 聡(こもとさとし)
1957年生まれ 脳性麻痺による身体障害1種1級
旧ソ連で約10年間生活。内5年間を現地の障害児収容施設で過ごす。
18~24歳の間、障害者運動に加わり、障害者自立生活のサポート役としてボランティア、介助者の勧誘・コーディネートを行う。
大学卒業後通訳・翻訳会社を設立、2019年まで運営。
2016年からユースタイルカレッジの重度訪問介護従業者養成研修統合課程での実習/講話を主に担当。
現在はユースタイルラボラトリー社員。
妻、娘の三人家族。