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敬愛するチェ・ゲバラ殿~後編~

敬愛するチェ・ゲバラ殿~後編~

古本聡



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キューバ革命の英雄、清廉な革命戦士として名を広く知られていたゲバラ。銃殺刑を執行する政府軍の兵士も引き金を引くのを躊躇ったという。その兵士に向かってチェは「落ち着け、そしてよく狙え。お前はこれから一人の人間を殺すのだ」と語りかけた、という逸話が残っている。動揺したのか兵士は3発撃ちながらも急所を外してしまうのだが、「お前の目の前にいるのは英雄でも何でもないただの男だ。撃て!」と言い放ち、これが彼の最期の言葉となったということだ。

ゲバラは反アメリカ闘争の象徴、南アメリカの独裁政権打倒の象徴として熱狂的にもてはやされ、Tシャツやポスターとなって今なお全世界で親しまれている。反骨のカリスマとしての支持のみならず、理性的な人格者として彼を評価する声も少なくはないだろう。フランスの哲学者サルトルはゲバラを「20世紀で最も完璧な人間」、ジョン・レノンは「世界で一番かっこいい男」と評したそうだ。優秀な指揮官であり、誠実な医者であり、詩人であり、子どもや友をこよなく愛する人だった。 ここに、チェが最後の作戦に出る前に子供たちにあてた手紙を紹介しておきたい。英文からの邦訳は本稿筆者自身である。

『わが子たちへ
愛するイルディータ、アレイディータ、カミーロ、セーリアそしてエルネスト、もしいつかお前たちがこの手紙を読まなくてはならなくなった時、それはパパがもうお前たちの間にはいないからだ。――お前たちはもう私を思い出さないかもしれない、とくに小さい子供達は何も覚えていないかもしれない。――お前たちの父はいつも考えた通りに行動してきた人間であり、みずからの信念に忠実であった。――すぐれた革命家として成長しなさい。それによって自然を支配することのできる技術を習得するためにたくさん勉強しなさい。また次のことを覚えておきなさい。革命は最も重要なものであり、またわれわれの一人一人は(ばらばらであるかぎり)何の価値もないのだということを。
 ――とりわけ、世界のどこかである不正が誰かに対して犯されたならば、それがどんなものであれ、それを心の底から深く悲しむことのできる人間になりなさい。それが一人の革命家のもっとも美しい資質なのだ。――さようなら、わが子たち、まだ私はお前たちに会いたいと思う。しかし今はただバパの最大のキスと抱擁を送る。 』

彼の愛情とそして厳しさが詰まった内容の素晴らしい手紙だと思う。



共にキューバ革命を成し遂げ、終生尊敬しあう関係であったカストロ曰く「道徳の巨人」、「堅固な意志と不断の実行力を備えた真の革命家」だそうで、ゲバラの魅力はゲリラ戦争の上手さや見た目・振る舞いの威厳以上に、自己規律というべき道徳的側面にあったのではないかと思われる。

同じ革命に参加したカストロは死ぬまでキューバに残り、権力の座にしがみついていたが、革命家として、また国のリーダーとして、キューバ国内でも、世界的にも残念ながら、チェほどの人気は博してはいない。

とはいえ、多くの人々が彼を愛し、そして尊敬するのは彼の人柄、そして生き方に共感を覚えるからだ。彼の人生は非常に短い。だが彼は、その短い人生を寸分も無駄にはしなかった。

我々は、自分たちの人生をとても有意義に生きている!と胸を張って言えるだろうか。
一般にチェ・ゲバラは時代のカリスマとして日本人に受け止められている。それは彼の見目麗しい姿と、ゲリラに似つかわしくない医師という経歴、そしてキューバ革命を成功させたカストロの腹心というイメージからだろう。そしてもうひとつ、志半ばにして死んだという悲劇性というのも忘れてはならない。

チェのダンディズムも大きな魅力だろう。
ダンディズムの最大の盟友は、孤独である。このふたつは常に背中あわせであり、しばしば同義語でもある。他人さまの掲げる規範や常識に対し、正反対の位置にある自らの考えや信念を完全に理解させることの困難さ。そこからやすやすと群れることを拒む孤高の精神が生まれる。迎合と妥協の日常に我を失い溺れて生かされるぐらいなら、敢えてその場を去る雄姿。まさにそんな孤独こそがチェのダンディズムの証明であり、勲章なのだ。

チェ・ゲバラに対しては、様々な見解があるだろう。ただ、信念や生き方は語り継がれていくだろう。若者よ、ゲバラのように、旅に出ろ。世界を広げろ。使命感を持て。 彼はこう言った、「闘いたいのではない。闘うしかないから闘うのだ」。私も自分にそう言ってきた。

ゲバラが死んでから52年が過ぎた。だが、ゲバラは過去の人ではない。ゲバラは多くの現代人が求める理想のリーダーとして、それぞれの心の中で蘇ることだろう。私は、そう信じたい。


【筆者プロフィール】
古本 聡(こもとさとし)
1957年生まれ 脳性麻痺による身体障害1種1級
旧ソ連で約10年間生活。内5年間を現地の障害児収容施設で過ごす。
18~24歳の間、障害者運動に加わり、障害者自立生活のサポート役としてボランティア、介助者の勧誘・コーディネートを行う。
大学卒業後通訳・翻訳会社を設立、2019年まで運営。
2016年からユースタイルカレッジの重度訪問介護従業者養成研修統合課程での実習/講話を主に担当。
現在はユースタイルラボラトリー社員。
妻、娘の三人家族。