ニュース&ブログ

介護のお仕事で困ったこと  いつまでも正答が分からずに

介護のお仕事で困ったこと  いつまでも正答が分からずに 

吉岡理恵



介護の仕事に限らずですが、人と関わることは困るなぁと思うことが常時です。そして自分も他人を困らせているなぁと思います。それは、求めに応じられないときであり、求めとはすなわち、他者からのタスク、他者へのタスク、そして自分自身に対するタスクが未充足となってしまったとき、困ったなぁと思います。

訪問介護の現場では、利用者のイメージ通りの介助ができなかったとき、困ったなぁと思いました。痛い、違う、と言われてしまったとき、私自身も困りましたし、利用者から見てその時の私は困った介護者でした。コーディネーターとして働いていた時は、今日の支援予定のスタッフから、開始時間の数時間前に体調不良を訴えられたときは、では誰が代わりに行けるだろうと困りました。そして、マネージャーの仕事をする中では、課されたタスクを自分がどのように捉え、チームとしてどうやって成果を出していくかということに、都度困りもしますが、PDCAの過程が面白くもあるなぁと思っています。

ただ、これらのタスクは明晰です。タスクそのものはもちろん、自分なりの成果に対して、何が充足していて、何が充足できなかったのかを振り返ることができるのです。

しかしながら、最近、知的障害をお持ちの方々の支援に事業者として携わっている中で、知的障害者支援において介護者に求められているタスクとは何なのだろうと思うようになりました。なぜなら当事者の方の周囲に対する意思伝達が困難なため、介護者への当事者自身からのタスクすなわち求めが希薄となってしまうのです。障害者権利条約19条にあるように、障害者の方は、どこで、誰と生活するのかを選択する機会を有しているのですが、当事者ご自身がその意思を周囲に伝えられない場合、私たちに求められていることは何なのかということです。それは、黒子のように手足となって求めに応じて介助する、という重度訪問介護の伝統が知的障害者の方々の支援においては通用しえないだろうという困難です。

先日、当社の知的障害の方の支援カンファレンスに参加させていただく機会を得ました。そこで、とある有識者の方が、家族の思いとアセスメントから必要だと判断されるものを混ぜてしまうと危険だ、とおっしゃっていました。家族の希望と、支援者が客観的視点で導き出した支援方法とが一致してしまったときに、周囲がそれを正しいと判断してしまうと、そこに本人の意思が介在しないことになってしまうことへの警鐘でした。家族はあくまでも当事者とニアイコールなだけであり、決してイコールではないのだということを改めて教えていただきました。

それでも、当事者が意思伝達ができないからという理由で社会という輪からこぼれ落ちてしまうことは、それは絶対的に不正解です。だとしたら、私たち介護者にできることは何なのでしょうか。

私としては、今現在、身体障害者支援と知的障害者支援を俯瞰してみたとき、同じ支援とはいえども、身体障害者の方々の支援は、社会という土壌からいかに当事者を上に押し上げていくか、という視点があり、一方で知的障害者の方々の支援は、社会という土壌にどれだけ当事者を引っ張り込めるか、という視点があるように思っています。だとすると、身体障害者の方々の支援が、当事者本人の描く強い理想像にどれだけ介護者が共鳴して不足を充足に近づける協力をできるかに注視する理由と、知的障害者の方々の支援が、当事者にいかに介護者が近づいてどう社会と接触させていくかを考える理由の合致ができるように思うのです。

そして、土屋訪問介護事業所の全国各地の事業所で、知的障害者支援を手探りで進めている今現在、介護の現場では、私たちがその当事者のことを今どのように考えているかという機会をどれだけたくさん持てるかということが知的障害者支援のポイントなのではないかと思っています。つまり、私たちがその方のことを考える機会を創出すること自体が知的障害者の方々を社会に引っ張り込むことの一つの成果なのではないかと思うのです。ある知的障害者のご家族の方が、知的障害者の方々と関わることは楽しいことなのです、とおっしゃっていました。それは、知的障害者の方々がふわっとその場に現れたとき、私自身も周囲の人も自然と口角が上がっているのをみると、その理由が分かるように思います。

とはいえ、知的障害者の方々の支援において、どんなに私たちが関係者とコミュニケーションの場を持ったとしても、なぜその方が今日不穏だったのか、なぜ最近体調が悪いのか、なぜ昨夜は一睡もしなかったのかという日々の疑問は、ニアイコールの回答は得られてもいつまでも正答が分からずに、私たちは困り続けるのだろうと思います。そして、そんな私たちの気持ちを知ってか知らずか、その方の笑顔に全てを晴らされていくように思います。