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孤独と自由~自宅待機を続ける中で~

孤独と自由~自宅待機を続ける中で~

安積遊歩



新型コロナウイルスでなるべく自宅待機を続けている。私はシェアメイトたちがいるので、孤独ではない。そのうえ、介助者もほとんど毎日外からやってくるから、孤独とはほど遠い状況だ。

さらに、ラインやメッセンジャー等で、娘や世界中の人々と話すこともできる。それなのに、なぜかとんでもない孤独感にこの自主隔離のなかで、ときに襲われる。

生まれたときから骨が弱いという、人と違った体を持って生きてきたことの孤独なのか。中学1年のときに地域の学校の校長に学ぶ権利を拒否され、家に3ヶ月間閉じ込もらざるをえなかったことがあったのだが、その時の孤独感を思い出してゆえのことなのか。理由はいくつもありそうだ。それぞれにそこにあった孤独感も、家族のあまりの深い愛ゆえに、施設に行って自由を閉ざされるまで、孤独感を意識したとはなかったのだが。

母親は、私をひとりぽっちにすることなく、どこに行くも私をおぶって連れて出た。ただ、妹や兄が外に遊びに行く姿を追っかけたい私の気持ちにまで付き合うことはほとんどできなかったけれど。

台所にガス台というものがなかったため、食事の煮炊きは七輪で行っていた。冷蔵庫も、私が9歳になるまでなかったので、買い物にもほぼ毎日行っていた。行けない日には、貧しい食卓がさらに貧しくなり、父の罵声が母に向けられた。

掃除も洗濯も今とはまったく違った。洗濯機はなかったので、風呂場で腰を屈めて手洗いしたあとは、近所の田んぼの間を流れていた川まですすぎに行った。

私が初めて骨折をしたのは、母がその洗濯川に行っていたときのこと。母は、そのとき5歳だった兄に、寝ている私を見ているようにと頼んだ。しかし私は、母が出てすぐに目を覚まし、一人遊びをしていた兄の邪魔をして、さらしの帯で柱に括り付けられた。そのうち私はそこも抜け出して、風呂場のタタキに落ちて、大声で泣き叫んだ。そこで初めて兄は母を呼びに行き、私はその数時間後には生まれて初めてのギブスを付けられた。

私の娘は、何度骨折しても、ギブスはまったく付けないで治した。だから同じ骨折とはいっても、ギブスの拘束と苦痛がまったくなかった。その担ってきた苦痛の量の違いは、私と彼女の、人間に対する信頼の深さの違いを表しているかのようだ。

骨折の痛みで動く自由を奪われ、ギブスの拘束で圧倒的な不快感に追い込まれる。その後、そうした経験が20回くらいあったので、私が見た孤独と絶望の深淵は、かなり深いものになった。

そのうえ私は、骨折の痛みで、夜中に目を覚ますことがよくあった。兄と妹は昼間十分遊んでいただろうから、父親の夜叫症の叫びを聞いていないかもしれない。しかし私は、父親が戦中のトラウマで、よく夜中に叫んで跳び起きていたのを何度も茫然と見ていた。

父親はシベリア抑留者だったのでレッドパージに遭い、結婚前に教員の職から追われていた。そのあとは町の小さな書店に就職した。

父の兄弟は皆、満州引き揚げ者だったが、祖父の郷里である福島に帰ることなく東京に残った。商才がある人たちだったので、それぞれ一城一国の主となった。その体験の過酷さゆえなのか、母親の兄弟たちとは違い、父親の兄弟たちはそれほど仲良くはない。父は長男であったがゆえに、福島の墓守をしなければならないという役割を担い、福島に戻ったのである。

私はときどき父にもおぶわれた。そのとき、父が独語をし続けながら歩くのを、彼の背中でよく聞いた。日本軍の兵士たちは、すさまじい命令管理のなかで常に走らされていたという。だから命令を忘れないように、父は独語をし続けたのだろう。兵士の生活というのは、人間らしさや対等なコミュニケーションなどというのは完全にない世界だ。

男性たちの人間らしさやコミュニケーション力の欠如、そしてそれゆえの孤独を見ると、彼らのなかの戦争はまだまだ終わっていない。

いま私が感じている孤独感は、彼が戦時中に感じ続けた圧倒的な孤独感にどこか似ている。私は自宅待機で、彼は戦争という人殺しの仕事で、自分のしたいこととはまったく違ったことをやらなければならない。私は散歩に出ようと思えばもちろん散歩にも出れるし、人間的なコミュニケーションにも溢れている。でも状況として私は、これはコロナウイルスを生みだした近代社会との戦争だとさえ感じている。産業革命以降、自然のなかにあった無数の命たちが絶滅に追い込まれ、自然や命に対する畏敬の念は、開発という暴力で、消失の一途をたどっている。

気候変動ということで、世界の危機感は地球や自然を守ろうという方向に向かってもきた。そんななかコロナウイルスが登場したのである。日本の多数の人々の危機感は、政治の貧困ゆえに、命を失うよりも経済を失うことを恐怖させられている。経済的支援のない自宅待機はただただ孤独感を煽る。

ところで、私は自宅待機のなか、自分の自由が人と違うことをさらに感じる日々だ。私は散歩に出ようという決断に、それなりに力がいることに今さらながら気付くのだ。

普段はやりたいことのすべてに介助者の手を借りることに何の抵抗もなかった。介助者の支援を受けることで自由に行動できる自分、そこには孤独感が介在する余地はなかったのだ。

しかし、自宅待機を一緒にしている友人たちを見ていると、介助者に「車イスを用意して」とか「押してほしい」とかいう伝達なくして、本当に自由に外に出ているのだ。

外に簡単に出る自由がほしくて、42年前、車イスを取得した。駅にエレベーターも、バスにリフトも付けた。出先でのトイレも、多目的ルームがたくさん増えてきた。

人に頼み、助けを求めること、つまり介助をきちんと得続けることが私の仕事で、自由への道筋だと行動してきた。

しかし世界は、助けを求め合うことや介助をし合うことは自由とは違うと認識しているようだ。孤独であるからこそ、自由が保たれると言う障害のない人々が圧倒的なこの世界。しかしこの自主隔離によって孤独のパートナーは自由ではないとしみじみ気付くのだ。言葉を言い換えれば、自由のパートナーは孤独であってはならない。

介助が必要な人たちは、そこにお金という対価を払い、介助者たちの自由を労働として買うというシステムを作り出した。自由を得るために、お金を社会に分かち合うことを要求したのだ。介助者のほうはその仕事をすることでお金が得られ、自由が得られるから、そうした価値を宣伝して、介助の仕事も広がってきた。お金を持っている事が重要になり、強くなりそれは資本主義社会そのものでもある。助け合うことは自由をもたらす愛とは一概には言えなくなった。

自由を求め続けるあまりに孤独になり、自由と愛情は違うものだと思ってきた、マジョリティー社会。助け合い協力しあうことは、一方の側の自由を提出し、なくしてしまうことだという認識のなか、それを曖昧にするために賃金を媒介としている側面がある。賃金を媒介とするからこそ、戦時下でなければ自由な生活をしていると思い込んできたし、それはある面、真実ではある。

しかしコロナウイルスで戦時下となって、本当の自由は、ただ単に介助という仕事によって得られるものではないと気付く。

介助の仕事は、介助者は自分の自由を我慢し、切り売りすることによって成り立つものではなく、利用者とともに一緒にいたいという感性がまずベースに徹底的にあってほしい。また利用者はお金を出しているのだから、よい介助を受けることは自分の自由を獲得するために当然のことなのだと居直り、そこに留まらないでほしい。

戦時下になれば、お金以上に命そのものが大事になる。そのときにお金を、媒介にしなくても、一緒にいたい人と思い合えるほどの愛情ある関係性がもっとも必要になる。

本当の自由は、孤独とともにはない。本当の自由のパートナーは愛情である。障害を持つ人たちが命がけで出てきた地域に本当の自由を獲得するのはいつの日になるのだろうか。

自由そのもの、つまり愛がなければ生き延びられない赤ん坊たちが人間のモデルなのだ。それにもかかわらず、その赤ん坊たちを障害のあるなしで選別している社会、出生前診断の跋扈する社会にそんな日は来るのだろうか。

コロナウイルス感染拡大を止めるためにマスク2枚を支給するという、あまりに馬鹿げた政策。エイプリルフールに発表されたから、各国にいる友人から「これはエイプリルフールなの?」というマジな質問も来た。そして最近では、観光客で激減したホテルを余らせないで皆さんのためにというホテル経営者たちから、「ホテルを使って下さい」という申し出があるという。しかしそこに見え隠れするのは助成金と社会貢献という名の野心だ。

ここまで感染を拡大させたのは一重に経済活動のみを優先して、人の命をまったく考えていない政治と経済界のありようによるものだ。その犠牲になるのはいつもいつも、病気持ちの年寄り、小さい子たち、そして障害を持っている私たちだ。私たちが介助の人を求めるのは、生きていることを大切にしあえる関係をつくりたいからだ。孤独に閉ざされ様々な自由を奪われた状況に陥りたくないのだ。しかし日本の政策を見ると、トリアージはかなり近いと思わざるを得ない。

病院に赴いて、大量のクライアントの1人になって、命の選別に巻き込まれるのは絶対に嫌だ。だからこそ最後まで、私は地域で介助者とともにあり、自由のパートナーを愛として生きることを選び続ける。


【略歴】
1956年、福島県福島市生まれ。生まれつき骨が弱いという特徴をもつ。22歳で親元から自立。アメリカのバークレー自立生活センターで研修後、ピアカウンセリングを日本に紹介。障害者の自立生活運動をはじめ、様々な分野で当事者として発信を行なっている。
2019年7月、NHKハートネットTVに娘である安積宇宙とともに出演。