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コロナウイルスが伝えるもの~後編~

コロナウイルスが伝えるもの~後編~

安積遊歩



記憶の初めは、脳性麻痺者の人たちの「青い芝の会」の『母よ殺すな』という叫びがテレビを通じて、川崎駅前から全国に流されたところからだった。その後、障害種別を越えて、自立生活運動が展開されていった。現在では人工呼吸器を着けた、重い障害を持つ人の自立生活者の比率は、世界一とも言われている。

それを支えているのが、1960年代後半から立ち上がった日本の障害当事者運動の「障害者解放理論」でもある。

だから、このコロナウイルスの教えによって、私たちが目指すべき方向は非常に明らかだと思うのだ。1つは、大量消費至上主義を見直し、暮らしの中に生命への尊厳を取り戻すこと。そしてもう1つは、重い障害を持つ人に対する人権意識を手放さず、共生社会を実現していくこと。

詳述すれば、コロナウイルスで明らかなことは、暮らしのスピードや大量消費至上主義は見直されるべきで、環境破壊の親玉である戦争や紛争はただちに止めること。それと同時に、重い障害を持つ人の人権意識は、少しずつではあっても確実につくられ、社会に根差しつつあるので、それをさらに高めていくこと。親元や施設の中に隔離されることのない生き方を、暮らしの中に多少不便が生まれたとしても、どのように勝ち取っていくかの方向性は見えているのだ。

コロナ感染が蔓延する中で、職業や働くことに対する価値観も、大きく変えていければと思う。つまり、消費を目的とする暮らし方をやめ、命を大事にするという価値観に変えていくチャンスと捉えるのだ。感染後は失業が増える。そして失業が増えると、自殺が増えるという。それでなくても日本の自殺率はとんでもないほどに高い。

「食っていけないから、養っていけないから」=死に結びつくのは、自殺というより、国家の無策愚策による殺人とさえ言える。先にも書いた通り、命の源である食べ物の自給率が40%、そしてそれしかない自給率のほとんど多くの担い手が60歳、70歳代の人である。この後継者づくりに対する政策と社会的眼差しがあまりにもない代わりに、コンビニやスーパーなどが街に溢れ、その原材料はほとんど海外に依存している。

そして、命の根幹である大事な水をつくるための山の森林の数々。その森の衰退も、戦後の愚策で甚だしい。日本は水が豊かな国だった。今でもまだ、そう言えるだろう。しかし戦後、広葉樹林を切り開き、スギとヒノキばかりを植えてきた。生物多様性の森が極端に減少したために、大型野生動物や様々な生物が絶滅し、あるいは絶滅危惧種となっている。

水は豊かな森からつくられる。命を守る森を保全していくために、コロナで失業した人たちに、農業や林業の素晴らしさを声高に進めたい。

そしてもう1つ、命を守る重要な仕事としてもっともっと知られてほしいのが、重度訪問介護だ。

命は、人知を越えたところに生まれ、死を迎える。それが自然の理りだから、その不思議さ不可解さをなんとかしようと、人類は科学や医学や生み出し、時に宗教に拠りながら生き延びてきた。

しかし、戦後の政治やグローバリゼーションは、優生思想を強力に推進し、生産性という価値観を教育の礎に据えた。そして、命そのものを、生産性が最上であるという優生思想で見る人間たちを大量に輩出してきたのである。

やまゆり園事件の植松聖は、そのうちの典型的で象徴的な1人に過ぎない。その彼に死刑を執行するということは、司法もまた、優生思想を是としているということだ。彼の思考はあまりに無邪気で、強烈に正直だ。彼は言っている。「もし僕が、人気の野球選手になれたなら、こんな事件は起こさなかったろう」。

その言葉は、彼がいかに自然の中にある様々な命への尊厳や畏怖の念と無縁に育ってきたかを教示している、と私には思えるのだ。

私は、死刑制度は優生思想の極みだと思うから、敢然と反対の立場である。大事な仲間である重い障害を持つ人たちが、まったく抵抗もできずに殺された無念さを思うと、今でも涙が込み上げてくる。だからといって、植松聖1人を死刑にしても、何も解決しないのだ。解決しないどころか、現政権の大好きな「臭いものには蓋をしろ」の隠蔽工作そのものだ。

国家による死刑制度は、私たちの人権感覚を完全に混乱させる。そしてそれは、民主主義への冒涜でさえあると私は思う。それは、人の命を敵と味方に分けて、敵ならば殺してよいとする戦争と同じ論理だ。植松聖は「生産性のない重い障害者はこの社会の敵だ」と言い、植松聖に死刑判決を下した裁判官は「凶悪な殺人犯は国家の敵だから殺してよい」と言うわけだ。あまりにも単純な優生思想がそこにある。

日本政府のコロナ対策は、世界各国がほとんどやめてしまっている死刑制度にも似ている。その犯罪が起こった背景を良く見、考えようともせず、犯罪被害者の命に対しても犯人の命に対しても、時が過ぎればあっという間に無関心、無感覚になってしまう死刑制度。再犯防止を本当に必死に考えるのなら、死刑を制度にいつまでもしておくのはおかしいと、もうそろそろ気づいて欲しい。

日本政府のコロナ対策も同じで、命に対す無感覚、無関心があまりに顕著だ。本当に人々の命を守りたいと思っているとは思えない、無策愚作の数々。自粛を要請しながら休業補償もまったく不十分。4月1日には、まさにエイプリル・フールかと思うマスク2枚の配布を決め失笑をかった。その挙句には、ゴミや異物の混入で検品検査に8億円をかけたとか。

ニュースによれば、トヨタの経営は今年大幅な黒字で、取締役1人、⒉7億円の賞与がある。その一方で要請された自粛のために生活の困窮した人たちの電話相談には、3日間で約45万人がアクセスした。そのうちきちんと話を聞けた5千人の人たちの生活状況は、それぞれ実に深刻だったという。

優生思想は命を二分する。助かる命と助からない命。それを権力がコントロールして、助ける命と助けない命を作っていく。優生思想にまみれた政策を許せば、さらに夥しい死者が生まれていくだろう。

そんな中、命の本質を見極めて政治を行い、コロナ対策に成功した国がいくつかあった。それが女性首相がリーダーシップを取る国々だ。女性は自分の体を通して命に日々向き合い続ける。多くの女性は毎月の生理で、自分の意思だけではコントロールできない「命」の不思議と強い力に直面し続ける。

このコロナウイルスと優生思想が蔓延し続けるこの日本社会に、あらゆる場所での女性のリーダーシップの構築をさらに急がねばならない。

前編はこちら


【略歴】
1956年、福島県福島市生まれ。生まれつき骨が弱いという特徴をもつ。22歳で親元から自立。アメリカのバークレー自立生活センターで研修後、ピアカウンセリングを日本に紹介。障害者の自立生活運動をはじめ、様々な分野で当事者として発信を行なっている。
2019年7月、NHKハートネットTVに娘である安積宇宙とともに出演。