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ブックレビュー 生命学に何ができるか~第一章 いま脳死を再考する~ 森岡正博/著

ブックレビュー 生命学に何ができるか~第一章 いま脳死を再考する~ 森岡正博/著

八木橋武尊

~以下引用~
脳死が人の死かどうかという根本問題について、私は『脳死の人』で、次のように述べた。そもそも「脳死が人の死かどうか」という問いは、無意味である。それは、以下の三つの問いにわけて考えなければならない。すなわち、

(1) 脳死が《私の死》であるかどうか。
(2) 脳死が《親しい他者の死》であるかどうか。
(3) 脳死が《見知らぬ他者の死》であるかどうか。

これらは脳死についての「一人称の問い」「二人称の問い」「三人称の問い」と名付けてもよい。
また(1)(2)は脳死についての「当事者の問い」であり、(3)は「傍観者の問い」である。


本書で著者が述べているポイントは
(1)私の死=内的な意識の存在
(2)親しい他者の死=私と他者の間に積み重ねられてきた人間関係の歴史
(3)見知らぬ他者の死=医学的な常識

でした。つまり、脳死とは「人と人との関わり方である」というのです。

前回私がブックレビューで記した、重度訪問介護サービスの現場での話がまさにこれと一致しました。

科学的に脳死の人はもはや感覚も意識もない死者なのだと説明されても、精神的な命を共有し合ってきた家族にとっては、脳死に陥った愛する者の肉体は、そんな単純なものではないのだということです。
例え脳死状態でも、その人を愛する人がいる限り、その存在は「生きている」として認知されるべきであり、存在価値になんの遜色もないと私は思います。

以前、私が重度訪問介護サービスの現場でお世話になった利用者様のご家族も、きっと同じ思いを抱き生活されていたことでしょう。そこに「愛する人が存在している」「愛する人との歴史や想い」が折り重なり、『脳死』を簡単に『人間の死』として考えるなんてありえないという気持ちは、胸が痛くなるほど伝わりました。

そして、(3)にあった見知らぬ他者の死は、見知らぬ誰かにとっては関心のないことかもしれません。それには人と人との関係性が現れますが、しかし、どんな命でも、愛する人がいたり、誰かに愛されているということを想像すると、見知らぬ他者の死だとしても、全く関心を持てないかといえばウソになる気がしてなりません。
命とは、誰かの「意識」が生みだす。そんな気がしました。

「脳死」というテーマについて語られた第一章では、人間の生と死や、生命世界のあり方を探求しつつ、命の大切さや人と人との関係性から生まれる意識の大切さを学ばせていただきました。