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重度訪問介護で平和を作るpart10 〜生と死をめぐる、2冊の本〜

重度訪問介護で平和を作るpart10 〜生と死をめぐる、2冊の本〜

安積遊歩



 我ながら驚くのだが、『こんな夜更けにバナナかよ』(これ以後この本について書く時は、バナナと略させてもらう)を全編、しっかりと初めて読んだ。鹿野さんとは会ったことがあるし、著者の渡辺さんも私の家を訪ねてくれたことがある。その上、何故か「この本を面白かった」と言って、3冊も色んな人から頂いて本棚にあった。だからこそと云うべきか、いつかは読もうと思いながら日々に追われていた。

読むきっかけは、バナナの前に『戦争は女の顔をしていない』スヴェートラナー・アレクシエーヴィチ著の本を読み始めたことだった。ところがその内容が、あまりに死の匂いに満ち満ちていて、どうにもこうにも辛くなった。

「ソ連では第二次世界大戦中に100万人超える女性が従軍し、看護婦や軍医としてのみならず兵士として武器を手にして戦った。しかし戦後は世間から白い目で見られ、みずからの戦争体験をひた隠しにしなければならなかった。」(解説=澤地久枝より)
この本の著者による『チェルノブイリの祈り』という本も前に読んでいたので、著者がどのような語り口をするのかは何となく想像はついていた。

しかし読み出して間もなく、これでもか、これでもか、と押し寄せる死の中にいる女性たちの声に圧倒されていった。あまりに死だけが、それも殺し合っての惨虐の死だけが描かれている証言集…時にページを繰るのが難しくなり、どうしようかと思った時、『こんな夜更けにバナナかよ』が目に入った。

バナナは筋ジスという障害を持った鹿野さんが、大勢のボランティアを巻き込みながらの暮らしを追ったドキュメンタリーである。施設から出て地域の暮らしを選ぶ中で、障害が重度化し、人工呼吸器をつけた。
当時、全く介助料制度はなかったから、日中の平日は自費で有償ボランティアを頼み、それ以外の介助を学生や社会人に声を掛け、集めまくって5年間を生き延びた。

特に人工呼吸器をつけてからのボランティア介助者との葛藤はすごい。そこはまるで時に戦場のような緊張感もありながら、もちろん戦争の中の戦場とはまるで違っていた。生きようとする鹿野さんの宣戦布告を受けての、自由と平和に向けてのそれぞれの戦いの濃密な記録。

それに対して『戦争は女の顔をしていない』の方はどのページを開いても、ただただ圧倒的な死に遭遇する女性たちのモノローグがまとめられている。

日本において女性は戦争の中で常に「銃後の守り」であった。女性が志願し、優秀な狙撃兵となり幾つもの賞を受けたり、極寒の中で行軍し生理の血が雪道を赤く染める中、塹壕を掘り銃をとる女性たちの話…全く知らなかった。この本には戦争の最前線で残酷と冷酷の限りを尽くして戦う男たち、その直ぐ傍で死ぬ事、殺す事を強いられ引き受け、それを自ら鼓舞して敵に向かう女性たち、500人の声が集められている。

バナナの鹿野さんの介助をする人々は、ただただ生きることを、差別される事なく地域に実現しようとする鹿野さんに関わり巻き込まれて、生を謳歌し続ける。それに対して100万人の女性たちが見た戦争の光景は夥しい死、死、死の連続だ。それを今までのどの本にも書かれていなかった女性の視点と感性をもって描いてある。

私は女性と男性の違いがもしあるとすれば、それは命を宿す体を持っているかどうかの、その一点であろうと考えてきた。それ以外に押し付けられた様々なジェンダー規範や、女性的男性的と言われる発想の数々は、この現代においてLGBTQ+の人たちの出現の中で大いに揺らいでいる。

しかしこの2冊の本は女性は女性、男性は男性というジェンダー規範に則った人たちだけが登場している。
どちらの本もLGBTQ+の人たちを敢えて意識的に排除したわけでは全くない。その時代にLGBTQ+の人たちはひたすらにマイノリティーで、ただただ沈黙を強いられ続けていたのだろう。

女性は歴史上、そして体の構造上、生に向けて位置付けられる。
受精した瞬間は女性ホルモンの支配が圧倒的で女性の性であるが、受精卵の成長の中で男性ホルモンが活性化すると男性の体になっていくと聞く。

そして女性の体は子産みの体である為に、命をケアするという特性や能力が男性より高いと言われ、それを時に強烈に利用され、男たちを産むことを強制され家父長制、男性中心主義の社会が世界中、延々と続いてきた。殺し合いの場である戦争、そして戦場は圧倒的に男性中心主義の社会である。

それに対してケアの仕事は女性が圧倒的に多い。どの世界でも命を生かす場、仕事は女性が担い日々を紡いできた。しかしバナナの鹿野さんのケアに入る人たちは、別に女性だけではなく男性の介助者たちも多く、彼等の人間的成長は素晴らしいものだった。ケアの仕事は性別を超えて1人の人間として、他者と向き合う力を高めてくれるものなのだ。

バナナの鹿野さんが求めていたものは、重い障害を持っていても地域の中で尊厳ある1人の人間として対等に生きる場の創出だった。そして今私たちは、重い障害を持つ仲間たちのバトンを受け、重度訪問介護制度を作り、不十分ながらもたゆみなき歩みで、差別なき地域の実現を、さらに図ろうとしている。

『戦争は女の顔をしていない』の方では、ソ連の彼女らの敵はドイツのヒットラーをリーダーとするファシスト達だった。そのドイツで、最初に殺されていたのはユダヤ人ではなくドイツ人の障害者であった。なぜならヒットラーたちが望んだ世界、優生思想に則ったところに1番あってはならない人々が障害者であったからである。にも関わらず、戦場においてはその場事態に、凄まじい数の障害者、傷痍軍人や負傷者が生み出されたことが繰り返し、丁寧に描かれていた。

生きようとする時に必要なもの、それはケアであり、愛であり、命を大切にしようとする仕事である。それに対して戦争はケアも愛も吹き飛ばす、想像を超える圧倒的な暴力である。それは仕事ではないし、仕事と呼んではならない。彼女らの証言とバナナを一緒に読んで益々思うのは、非常にシンプルな結論。

戦争をやめ、平和を作る為に、この重度訪問介護というシステムを作り出した。そしてさらに重度訪問介護にたくさんの人々が喜んで集ってくれる事で、この世界に真実な平和をかならずや、もたらすことができるのだろう。優生思想は、戦争の中で強烈に実践されるが、それとは真逆のところに、ケアの仕事がある。それを言語化し、優生思想を超える思想をさらに紡ぎださねば、という事である。





土屋訪問介護事業所オンライン学習会 #1 コロナクライシスの生存戦略~うちなる優生思想を超えて~
2020年6月27日(土)10-12時
安積遊歩さんが登壇し、170名を超える方々にご参加いただきました。
当日録画は土屋ちゃんねるにてご覧いただけます。
前半 後半



【略歴】
1956年、福島県福島市生まれ。生まれつき骨が弱いという特徴をもつ。22歳で親元から自立。アメリカのバークレー自立生活センターで研修後、ピアカウンセリングを日本に紹介。障害者の自立生活運動をはじめ、様々な分野で当事者として発信を行なっている。
2019年7月、NHKハートネットTVに娘である安積宇宙とともに出演。