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ヤングケアラーとFGMのつながり~前編~

ヤングケアラーとFGMのつながり~前編~

安積遊歩



最近ヤングケアラーのことがよく取り上げられるようになった。私には兄と妹がいるが、妹があまりにも素晴らしいヤングケアラーだったので、今回はそのことから様々な世界を見ていこうと思う。それを見ることは、女性差別にもきちんと向き合うことになると思うから。

ところで、私は、人は生まれながらに残酷だったり冷酷だったり、あるいは日常の言葉で言えば、意地悪に生まれつく人は誰もいないと知っている。というのも、人間は生まれてから1、 2年は、食べること、排泄すること、眠ることにさえ必ず人の手を必要とする。涙は、赤子がどれだけケアを必要としているか知らせてくれる重要な道具である。その涙がどのような涙であるかを親は聞き分けて、その要求に対処する。

私は上記で「親」とは書いたが、「母親」とは書かなかった。親には、いやもっと言えば、すべての人間には、人をケアする力がある。親でなくてもケアを要求する赤ん坊の涙に応ようと思うほうが自然の力なのだ。ただ、社会が家父長制度と奴隷制度の残滓に凄まじく引きずられているので、赤ん坊や子どもの声を聞こうとする対等性や知性はほとんどない。

このヤングケアラーのことを書こうと思っていたときに、アフリカから来た20代の女性と話す機会があった。彼女は、FGMが少女に伝統という事で強制されている国から来ている。FGMは、赤ん坊から10代くらいの少女の女性性器を切除するという恐ろしくも野蛮で残酷な悪習である。

私は身体に何度もメスを入れられた体験を持つ者として、FGMについては、単に伝統、習慣というふうには言って欲しくない激しい憤りと悲しみを感じている。こんなに残酷な虐待が、なぜ全世界の約27人に1人の女性たちに行われているのか。これも調べてみると、ほとんどが女性の施術師によって母から娘へと引き継がれていることがわかる。

命をケアするときに一番大事なものは、自分の感性である。その感性をヤングケアラーである人たちも、FGMをされている人たちも、徹底的に殺されていると思うのだ。ヤングケアラーたちは、自分の感性を育てる前に目の前で苦しむ家族に手を貸すこと、気遣うこと、そして常に心配し続けることを強いられる。それがあまりに日常のルーティンなので、自分が自分のことをどう感じ、どう見ているのかについては、まったく気づく、余裕なく過ごしてしまう。

常に自分ではない誰かのために生きること、それはつまりFGMをされた少女たちも同じだ。FGMこそ正しいという社会の規範に徹頭徹尾、侵された親と施術師によって、自分の恐怖や痛みは、完璧に無視され続け、周りの大人たちは彼らのそれに祝祭で応じるのだ。

しかし前述した私のアフリカ人の女友達は、幸いなことにFGMはされていない。彼女の親たちが、彼女にそれをしないという決断をして、彼女を守ってくれたという。ただ彼女の記憶の中には、親戚の2人の少女たちがそれをされている光景が記憶としてある。当事者の叫び、苦悩、痛み、絶望を目の前で見聞きし、そして彼女自身は大学に進学。そこで、女性学を学び、早婚やFGM後の結婚や出産の過酷さを私に話してくれた。

私はFGMはされていないが、骨が脆く曲がって生まれたということに対して、何度も手術をされた。私の曲がった骨は真っ直ぐにしなければならないという強力な眼差し、それは、私にとっては、子どものうちに女性器は切除しなければならないという強力な暴力と限りなく近い。何度手術されても折れる骨は折れるし、あの絶望的な痛みは私を障害者解放運動と女性解放運動に導いた。

この1人ひとりの身体を大切にしない圧倒的な暴力を伝統と呼んだり、近代においては治療と称して、子どもの体がいじられてきた。その暴力的考え方は、まるごと優生思想である。

ところでヤングケアラーとはどういう人たちのことを言うのだろうか。簡潔に言えば、幼い時から家族に障害を持つ人がいて、子どもの立場でその人のケアを一身に担わされてきた人と言える。

私には兄と妹がいる。兄に対しては、私のケアをするようにという強力な眼差しは皆無だった。私が赤ん坊のとき、初めて骨折したときも、兄は自分の遊びに没頭していたらしく、私が大声で泣き出すまで何も気付かなかった。母は妹を妊娠したとき、私へのあまりに深い愛ゆえに、母と私を助けてくれる子を妊娠したのだと直感し、喜んだという。そして、思い通り妹が生まれた。長い間私は、妹と私の身体に境界線がないかのように、彼女を頼りにし続けた。妹は、私のそばに常にあり続けて、私の要求のほとんどすべてを私の手足であるかのごとくに手足叶え続けてくれた。また私をからかって、いじめっこの石の礫が飛んできた時には、幼い身体で盾となって私を守ってくれた。

それでも、多くの時間を、骨折や手術の痛みとギブスでまったく動けなかった私は、その苛立ちを彼女に言葉を刃にして向け続けた。もし彼女が抵抗しようとすれば、いくらでもそれは可能だったろう。しかし、彼女にとっては、自分の思いや感性より、私の「動きたい」と思うことの数々を実現することがあまりにも自然な愛であり、周りからの期待でもあった。

妹は、呪文のような言葉を聞かされて育った。つまり、結婚もせず、私のケアをし続けて暮らすのだというものだった。というのも、私に対する治療は過酷を極めた。おびただしい数のレントゲン、度重なる骨折、湾曲する骨の手術など、妹が痛みに苦しむ私の八つ当たりを受け止め続けてくれなければ、私の今の人生はなかったとさえ言える。

妹はその存在そのものをヤングケアラーとして期待され、それを担い続けてくれた。ヤングケアラーの役割はどういったものであるのか。障害を持つ子どもにとって、自分の身体が思いどおりにならないということの認識は、物心付いた頃に始まるわけではない。まして思い通りにならないことが不幸だという認識は、大人社会からの押しつけであるとさえ言える。私は自分の身体が思い通りにならなくても、そのこと自体を侮辱されたり放置されたりすることはなかったので、つまり母と妹が実によくケアをしてくれたので、家族の中では不幸だという感覚はまったくなかった。ただただ不幸だったのは、医療の関係においてであった。

後編に続く


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前半 後半

【略歴】
1956年、福島県福島市生まれ。生まれつき骨が弱いという特徴をもつ。22歳で親元から自立。アメリカのバークレー自立生活センターで研修後、ピアカウンセリングを日本に紹介。障害者の自立生活運動をはじめ、様々な分野で当事者として発信を行なっている。
2019年7月、NHKハートネットTVに娘である安積宇宙とともに出演。